第15話『弱火でじっくりコトコトする部屋』
ヴァンデロ一家のアジトが高層の建物であると気づいたのは、独房が並んでいたフロアを抜け出してからのことだった。白い壁と赤いカーペットの廊下に出た私とニナは、回り階段を利用して一気に5階分駆け上がった。
「……そういえば、はぁっ、ここの人たちって……手にかけたん、ですか?」
早々に息を切らしつつ、先を行くニナに問いかけると、ニナは涼しげな表情で答えた。
「かけてない。屋内で鎖鎌を振り回すと、建物が崩壊して自滅するからな」
「あぁ、それならよかったです……」
「なんだ、人殺しは嫌いか?」
「す、好きな人はいないと思いますけど……ヴァンデロさん、葉巻の男性とはなるべく穏便に話がしたいんです。でも、部下が殺されているとわかったら、取り合ってくれないかもしれない。だから、出来るだけ人を殺してほしくないんですよ」
「……ハッ、呑気な女だ。仲間を奪われて、鎖に繋がれておいて」
変なものを見る目で一瞥してくるニナ。彼の考えにも一理あると思うけど……私の考えだとヴァンデロさんは、きっと勘違いをしているだけなんだ。親代わりの大事な人を殺されて、少し落ち着きを失っているだけ。
彼が路地裏でオスカーさんを蔑んだときから、私はそう信じている。
「いいんです、これで」
私が強く言い切ると、ニナは口を結んだ。
どうやらここは建物の端っこの階段だったみたいで、上っている最中は誰とも遭遇しなかった。が、ニナの足音が響くこと響くこと。
おかげで階段を上りきったとき、廊下のずっと離れた場所にいた男2人が『あ』とこちらを発見。真っ青になった私は、慌ててニナを正面の部屋に押し込んだ。
その部屋は、ギャングの誰かの私室のようだった。ベッドやクローゼットが置いてあり、あちこちに服が散乱している。『汚い』とニナが呟いた気がしたが、私はドアの鍵を閉めるのに夢中でよく聞いていなかった。
鍵を閉めてすぐ、ドンドンドン! と力一杯にドアが叩かれる。
「開けろガキども!」
「テメェら、そこは俺の部屋だぞ!」
「……少し待ってろ」
そう言うなり、ニナは部屋の窓を全開にした。そしてそり返って上半身を外に出すと、鎖鎌の持ち手側をプロペラのように振り回し始めた。
増していく速度と共に鋭くなる風の音。激しくなるドアの音。私が息を呑んで見守る中、ニナはある程度鎖に勢いをつけると、空に向かって放り投げた。
――多分、成功したんだろう。ニナは垂れ下がった鎖を何度か引っ張ると、床を蹴って全身を窓の外に送り出した。次いで、手の力だけで器用に鎖を上っていく。
少しすると鎖が引き揚げられて、今度は持ち手側が降ってきた。
……え、もしかして今のと同じことをやれって言われてる!? むり、絶対無理だけど!? 試したことはないけど、多分自重を支えられるほどの握力はないし、あっても高層から飛び出す勇気がない。手も汗でベタベタしてるし……。
いや、待てよ。
私は部屋の中に散乱する服の下から、なるべく細くて丈夫そうなベルトを拝借。窓の外に垂れ下がる鎖を手に取ると、鎖の穴にベルトを通しつつ、ベルトを自分の胴に巻いた。めちゃくちゃ簡易な命綱だ。ベルトが安物でないことを祈ろう。
「……チッ、仕方ねえ。チェンソー持ってこい。ドアをぶち抜いてやる」
「わかりました」
そんなやりとりを背中に聞きながら、私はニナに倣って窓の外に飛び出した。が、
「エッ?」
飛び出したそこは思っていたより地上が遠かった。私の足元には屋台街が広がっていたんだけど、色とりどりのテントや行き交う人の姿が豆粒みたいに小さくて、地上との圧倒的な距離を理解してしまって、血の気が引くのを止められなかった。
ど、どうしよう。思ってたみたいにいかない。鎖をよじ登るのは無理だから、鎖を手繰りながら壁を歩いていこうと思ったのに。宙ぶらりんになっていて、足が全く届きそうにない。少しの風すら怖くて、手にも力が入らない。
「下は見るな、下は見るな……」
落ち着きさえ失ってしまったら、本当にどうにもならないんだから。
言い聞かせていると、建物の屋上からニナが顔を出した。あまりに遅いから痺れを切らしたんだろう。こちらの状況に気づいたらしい彼は、1度顔を引っ込めてすぐにまた現れる。そして鉄柵に身を乗り出すと、垂れる鎖を両手で握りしめた。
ぱくぱくと口が動いたような気がしたけど、距離と風と焦りで何も聞こえない。間もなく、ニナは魚獲りの網を引き揚げるように、鎖を引っ張り始めた。
振動が上から伝ってきて、鎖が振り子みたいに揺れ始める。少しずつ、少しずつ引き揚げられ、屋上まであと少し、というところに来ると、
「えっ、え、えぇぇぇぇーーーーっ!?」
思いっきり振り上げられた。ニナを中心に弧を描き、屋上に投げ出される私。迫り来る地面に思わず目を瞑るが、いつまで経っても衝突の痛みは来なかった。
「……え?」
ふと見ると、私はニナにキャッチされていた。彼は私を受け止めても転倒せず、少し後退しただけで勢いを殺していた。
安定感のある横抱きに、不覚にもときめきそうになった次の瞬間、
「あだっ」
ドサリと地面に下ろされ、私の腰に痛みが走った。絶対恋なんかしねえ。
「いっっっ……たぁぁ……」
悶絶しながら顔を上げる。すると目に入ったのは、ニナの青い垂れ布と、プチ農園つきの白い屋上の光景だった。なんだか最後雑だった気がするけど、無事に屋上に辿り着けたらしい。そのことに気づいた瞬間、ドッと疲労が押し寄せてきた。
「はぁぁぁ〜……」
普段は気にも留めない、地面の有り難みをじっくり味わう。と、私から命綱代わりのベルトを外していたニナが、途端に不服そうな顔をした。
「おい、どうして溜息をつく」
「あっ、いえ、溜息をついたわけでは……! ありがとうございます、ほんとに」
「そうだ、もっと感謝しろ。こっちは毒まで使ったんだからな」
「え、毒?」
なにゆえ毒――と思っていると、ニナは鉄柵の方に寄っていって、縛りつけていた鎖を解こうとし始めた。が、あまりにもガチガチで解けないので、鎖鎌で鉄柵を切り取り、ぐるぐる巻きの鎖から柵を抜いて捨てた。
からんと落ちた柵のそばには、空の小瓶が転がっている。うっすらと内側に液体が残っており、ついさっき捨てられたものだと理解できた。おそらくこの小瓶が、ニナが飲んだ毒の容れ物だったのだろう。しかし、
「な……なんで毒なんか飲んだんですか?」
「オレが毒の魔法使いだからに決まってるだろ」
「初めて聞きました……」
私はじと目で睨みつつ、胸中で納得した。『空の魔法使い』のシエルシータが空にいる間強くなるように、ニナは毒を飲むことで強くなるのだろう。でも、
「毒って、ダメージは受けないんですか?」
「受ける。けど、慣れてるから問題ない。今の毒は効き目が弱くて、二口程度だからないも同然だな」
と、ニナが口の端を吊り上げたそのとき。どこかから喧騒が近づいてきて、私は身を強張らせた。ニナが鎖鎌を構える。
少しすると屋上の扉が蹴り開けられ、武器を持ったスーツの集団がぞろぞろと現れた。彼らはこちらに気づくなり、
「いたぞ! ビーム女だ!」
「隣のガキはなんだ? 殺していいのか?」
「ビーム女は殺すなよ! あらぁヴァンデロ兄貴の獲物だ!」
と、一斉に喋り出す。誰が何を言っているのか全然わからなかったけど、彼らがこちらに友好的でないのと、彼らがニナと同じで『ビーム女』という酷い名前で私を呼んでいるのは確かだった。隣のニナが低く唸る。
「殺すか?」
「ウッ……」
こちらは私を戦力に数えても2人、対するあちらは8人もいる。ただでさえ数で負けているのに、ニナに殺さないという縛りを設けたら、あっという間に捕まってしまうんじゃないだろうか。そんな考えが頭をよぎる。
でも、ここまでずっと頑張ってきたんだ。ヴァンデロさんの勧誘を諦めたくない。
「こ、殺さないで倒すことって出来ますか」
ほとんどダメ元だった。生っちょろいって、鼻で笑われる気がしていた。
けれどニナは、
「仕方ない」
鎖鎌の上下を持ち替える。垂れ下がった持ち手側が、風を切って回り出した。警戒したギャングたちが一斉に拳銃を構える。みんなニナを狙っているようだった。
「――オレは天才だからな。ハンデくらいくれてやる」
そう言った瞬間、連続で銃声が響いた。
ニナは利き腕を引いて、胸のそばを通る銃弾を避ける。間髪をいれず、引いた腕を男たちへ振り払った。黒い鎖が扇を描き、銃弾を2つ排除。滑空する鳥のように颯爽と走り銃弾を潜り抜けると、ニナは視界端に消えた鎖を反対の空へ振り上げた。
直後、力強い足音を残してニナが跳躍する。
彼は大空へ舞う鎖鎌に追随し、持ち手側を男たちに振り下ろした。残像。墜落した鎖はコンクリートを叩き割り、砂塵を巻き上げ、男たちの足場を崩壊させた。
「えっ、エッ……!?」
動揺する私。鎖鎌の刃の切れ味が凄いのは知ってたけど、鎖の耐久力と威力も大概だ。魔力でも込めているんだろうか。
ドキドキしながら見ていると、砂塵の中からギャングたちが現れた。今ので半数が下の階に落ちたみたいで、人数は4人と少なくなっていた。白く汚れたスーツもそのままに、4人はたった今着地したニナを狙って発砲する。
「ッ……」
ニナは両手に鎖を握りながら、指の背を代用してバネのように側転。4回転して一旦銃声が止むと、菱形の黒い短剣のようなものをまとめて投擲。そのうち2本はギャングの肩と脚に突き刺さり、刺さったギャングは拳銃を取り落とした。
そこに追従する鎖。鎖はギャングたちを薙ぎ払い、ビルの鉄柵に叩きつけた。
奇跡的に鎖を避けた男がいたが、1人では勝てないと踏んだようだ。慌てて階段を降りていき、辺りには静寂が残った。
唖然とする私の隣、戻ってきたニナが胸を張る。
「ほら、天才だろ」
「えっ、ほ、ほんとにあれで殺してないんですか」
「当たり前だろう。ほら、天才って言うんだ」
「え、て、天才です」
「だろ」
――そんなんでいいんだろうか、と疑問に思う私をよそに、散らかった鎖をまとめるニナ。綺麗な束を作り上げると、鎖が青い光を帯びて消えた。
「詳しくはないが、葉巻野郎の部屋は最上階のどこかにあるらしい。あの階段を降りたら、アイツの部屋を探す」
「……わかりました」
私は頷いて、ようやく立ち上がった。足が痺れていて、普通に転んだ。
*
ヴァンデロとオスカーがいたのは、ビルの最上階、数十種の赤が彩る部屋だった。
ソファは赤、クッションも赤、カーペットもカーテンも赤。今は使っていない暖炉の前に置かれた、6人掛けの食卓のテーブルクロスも赤だった。流石に壁は白かったが、少し異常を感じる赤への執着がそこにはあった。
ただ、現状の1番の問題はそこではない。
――頭がクラクラする。
食卓の椅子に縛りつけられたオスカーは、そんなことを思いながら部屋を眺めた。
この部屋は今、燃え盛っていた。
ソファもクッションもカーペットも、カーテンもテーブルクロスも全て燃えている。柱などは天井まで火を昇らせており、倒壊していないのが不思議なくらい焦げていた。当然、熱い。背中を焼く火も、肌にまとわりつく空気も熱い。
しかし、対面のヴァンデロはというと、呑気にワインを注いでいた。
それもそのはず、この火炙りの部屋はオスカーにしか見えていないのだ。息が出来ずクラクラしているのも、汗をかいているのもオスカーだけである。
ヴァンデロの『五感を狂わせる魔法』。オスカーは今、その術中にあった。
路地裏での事件の後。オスカーはステラ同様、ヴァンデロの部下によって捕らえられ、ステラとは違う牢屋に入れられていた。その後何時間か放置されていたのだが、突然牢屋から出され、ヴァンデロの部屋に連れてこられたのである。
オスカーがこの部屋に来たとき、部屋には煙の匂いが充満していた。
ヴァンデロの幻覚は、対象に一定量の煙を吸わせることが発動条件だ。おそらく幻覚で判断力を奪い、オスカーから何かを聞き出したいのだろう。
ヴァンデロの目論見は早々に看破したが、拘束されている今抗う術はなかった。だから、こうして10分ほど放置されていたのだが。
――このままだと、本当に気絶するな。
幻覚とはいえ、オスカーの身体には明確に被害が出ている。これ以上時間をかけるわけにはいかない。一刻も早くこの場から解放されるため、オスカーは回らない頭で話題を考えた。
「……俺たちを尾けてきたのか?」
オスカーが尋ねると、ヴァンデロはワインを注ぐ手を止めた。
「うちのとテメェがカフェで騒ぎ起こしたって聞いて、テメェのホテルには予想がついてたからな。そこのスタッフを揺すったら、次の宿泊先を吐いたもんで。その周辺で2時間張ってたのさ。徒労に終わらなくてよかったぜ」
「お前……」
珍しく、嫌悪を露わにするオスカー。彼のねめつけるような視線も無視して、ヴァンデロはグラスに口をつけた。
「じゃあ、俺がキースを殺してないこともわかるだろう」
「……確かに、テメェにはチェックイン以降の外出記録はなかったし、泊まったフロアも5階。普通なら降りたり戻ったりするのは無理だ。専門の探偵も雇ったが、魔力痕跡も検出されなかった。飛行魔法も移動魔法も使ってねぇな」
「だったら、どうして俺を疑う必要がある」
「それは――」
キ、と言いかけて口を止めた。ヴァンデロはおもむろに椅子から立ち上がり、オスカーも通ってきた両開きの扉の前に立つ。
訝しみ、体重を駆使して椅子の向きを変えるオスカーと、冷静なヴァンデロの視線を受けながら、扉の片方がこっそりと開いた。
「……あ」
僅かに出来た隙間から、気まずそうなステラが顔を現す。
「さよなら」
「逃がすかテメェ」
「ダァァァァーーーッ!!」
首根っこを掴まれ、引きずり込まれるステラ。聞き馴染みのある声にオスカーが驚くと、ヴァンデロは扉を乱暴に閉め、猫のように摘まれるステラを下ろした。
「プリマステラ……!?」
予想外の再会に、僅かに目を見開くオスカー。彼のトパーズの視線を受け、ステラは両手で顔を覆った。




