第14話『マジカルステッキ、美容に効く』
その後の記憶はなかった。どうやら私は気絶していたらしい。ふと目が覚めると、知らない石造りの部屋にいた。よく見ると独房のようだった。薄暗くて狭くて冷たい。頑丈そうな鉄格子が廊下の松明の灯りに濡れていた。
「……うん?」
脳の覚醒と共に思い起こされる、路地裏での出来事。
そうだ、私たちは火の幻覚に惑わされながら逃げていて……葉巻を持った男性に捕まったんだった。それで、私だけ葉巻の子分っぽい人に連行されて――。
杖を、落としたんだ。
血の気が引いた。何故だか知らないけど、あの杖がないと私はプリマステラとして認識されなくなってしまうのだ。前回はサイカたちに認識されなくなったけど、今回はオスカーさんがそうなって……いや、その前にオスカーさんは!?
私は勢いよく立ち上がろうとした。けれど、がしゃんという鎖の音がそれを阻んだ。思わず尻もちをついた私は、腰に走る痛みに悶絶しながら手元を見る。そして驚愕。私の両手首には、鈍く光る手枷が嵌められていた。
……マジで?
私はしばらくフリーズし、やがて状況を整理し始めた。
多分、ここは葉巻の男性――ヴァンデロの一家のアジトかなんかなのだろう。
オスカーさんの現在地は不明。オスカーさんの現状も不明。現在の時刻は……詳しくはわからないけど、ずっと私の頭にまとわりついていた眠気が綺麗にとれているから、3時間以上は経っているんじゃないだろうか。
なお、今の私は金なし杖なしどうしようもなしの人間だ。自力でオスカーさんを探すことや、ギャングに立ち向かうことは難しいだろう。
となると、私がやるべきは他の眷属たちに助けを求めることなんだけど……まずここから出る方法が思いつかない。その上運良く出られたとして帰る手段がなく、あったとしても眷属たちが私を認識してくれない。そんな絶望的なことあるんだ。
「……いや」
カフェの店員さんと話して決めた、弁償周りのことを記載した紙は私が持ってる。その紙を証拠に私が先日のプリマステラですってゴリ押して、店員さんを保証人に憲兵のところに駆け込んだら、風の国の政府に連絡が入るはず。
政府から眷属たちに連絡がいけば、ひとまず私たちの捜索はしてくれるはずだ。
諦めちゃダメだ。私は、私に出来る最大限のことをするんだ。
気合を入れようと息を吸い込む。そのときだった。ふと、今ではすっかり聞き慣れてしまったあの音が、1人ぼっちの独房に響き渡った。
ドタ、ドタ、ドタ、ドタ……。
「――ッ!?」
ゆ、幽霊!? こんなギャングのアジトにまでついてくるの!? い、いや、もう国境越えてついてきたから臆する場所なんてないのかな!? にしても、そんな恨み買うようなことしたかな私!? したな!? 遺跡にビーム撃ったな!?
否定しようのない心当たりに、頭を抱え込みたくなる私。手枷がついてなければ抱え込んでいた。ど、どうしよう。こんな状態だけどここで謝るべきかな。
私が慌てていると、その足音のような音が止まった。そして、私の手前にぱらぱらと石粒が降ってきた。
え、なになになに?
天井に目をやる。すると、石造りのそれが微かにひび割れているのがわかった。いや、ヒビと言っていいのだろうか。人工的な力を感じるくらいまっすぐなヒビで、それはみるみるうちに伸びていった。そして途中で折れ曲がり、垂直方向に伸びていく。
見え隠れする刃物の先端から、誰かが天井をくり抜こうとしているらしい、というのはわかった。
その様子を呆然と見ていると、ヒビは正方形を描き上げて止まった。くり抜かれた天井が、分厚い石板になって落ちてくる。
その、到底くり抜けるものではない分厚さに――それをくり抜ける人物の異常さに声も出なくなっていると、天井をぶち抜いた犯人は猫のようにしなやかに降りてきた。
ドタッ。ありえないくらいうるさい着地音がした。
「――!」
知っているその姿に、私は目を見開いた。
夜に溶けてしまいそうな黒髪に、ピンクダイヤモンドみたいな赤い瞳。腹から垂れる布が特徴的な、青を基調とした民族衣装。キリリとした気高い獣のような顔立ちに、ボロボロの手に握られた鎖鎌。
私はこの少年を知っている。
「……ポトフの、人」
「違う。不名誉な呼び方をするな。オレの名前はニナだ」
「ニナ」
私がぽつりと呟くと、いつぞやにポトフをご馳走してくれた少年は、得意げに口の端を吊り上げた。
「ビーム女、これは必要か?」
そう言って彼が取り出したのは杖だった。先端にキラキラ輝く小さな石と、リボンの飾りに見覚えがある。まさしく、私が落としたはずの星の杖だった。何故この杖を彼が、と驚く私の手前、ニナは淡々と話し始める。
「必要ならやるよ。パクってやろうかと思ったが、オレには使えないみたいだからな」
「ありが……えっ、パク?」
さりげなく、とんでもない言葉が聞こえた気がして、私は杖に伸ばした手を止めた。え、パクる? 星の杖を? しかも思いとどまったとかじゃなくて、使えなかったから返してくれるの? な、なんだ、この人。
――そうだ、この人ちょっとおかしいんだった!
私は遺跡に行く前のことを思い出す。幽霊に追われて彼の野営地に逃げたとき、干し肉泥棒だと思われて服を剥かれそうになったのだ。
いけない、数日ぶりに会ったのと助けが来た嬉しさですっかり忘れてた……でも、拾ってもらえたのはよかった。ビームしか撃てないけど、ないよりずっと安心――。
「ちょっと待ってください。ここ数日私のそばで足音立ててたのって……」
「オレだが」
平然と言ってのけるニナ。ストーカーだと告白している自覚はないらしい。私は面食らいながら、
「でっ……すよね。ど、どうして私につきまとってたんですか? ……あと、なんでたまに布団とか浮かせてきたんですか?」
「この杖の構造が知りたくて、お前の寝てる間にどうにか手に取りたかったんだ。お前、日中はスカートの中に隠してるだろ。流石に捲るわけにはいかないから、浮遊魔法の応用でどうにか吸い寄せられないか、試行錯誤してたんだ」
「普通に聞いてもらったら見せましたよ!?」
「そうなのか」
びっくりするニナ。スカートは捲れないから寝てる間に取るなんて、いったいどういう環境で生まれたら思いつくんだろう。嫌味とかじゃなくて、珍しい装束を着ているし、割と本気で世間を知らないんじゃないだろうか。
「……ちなみに、杖を狙ってたのは夜だけですか? 流石に、1日中監視されてたわけじゃないですよね?」
「1日目は昼も狙ってた。けど、お前の仲間が杖入れを買ってきたのを見て、お前が寝てる間じゃないとダメだと思って夜にした」
「なるほど……気になったんですけど、なんでお風呂の時間は狙わなかったんですか? 着替えと一緒に置いてありますし、寝てるときより奪いやすいと思うんですけど」
「風呂には他の奴も入るだろ。その中にオレの魔力痕跡を感知できるやつがいたらまずいからな。お前しか入らないお前の部屋で浮遊魔法を使いたかったんだ」
そう言われて思い出したのは、ルカが言っていた死の魔法使いの話だった。
ルカは一夜にして壊滅した村から、死の魔法使いの魔力痕跡が検出され、彼の復活が判明したと言っていた。魔法使いにとって魔力痕跡とは、魔法絡みの事件の犯人が自分だと示してしまう、消せない証拠なのだろう。
つまり、
「罪の意識はあったんですね……でも、私が魔力痕跡? を感知できるかもしれないじゃないですか」
「魔力痕跡を感知できるやつは、のこのこ魔法使いの野営地に来ない」
「な、なるほど……」
納得させられていると、ニナは持っていた杖を私に握らせた。瞬間、ほのかな熱が全身を巡る。この感覚を味わうのは2回目だった。多分、しばらく杖から離れた後に触るとこうなるのだろう。心地よい熱に放心していると、ニナは目を伏せた。
「悪かった。杖の構造は古すぎてよくわからなかったから返す。でも、いつか詳しい奴に見てもらった方がいいぞ」
「どうしてですか?」
「何の努力もしてないのに、女を美しくする道具なんて、半分呪いみたいなものだろ」
――それってもしかして、星の杖のことを言ってるんだろうか。
確かにサイカも、杖を持ってるときの私に対して『ギラギラしてる』みたいなことを言ってた覚えがあるけど……まさかこの杖って、美容効果もあるんだろうか。謎すぎる。けど、そんなこと知ったらもっと手放せなくなってきた。
思わず両手で杖を握る私の前、ニナは『それより』と口を開いた。
「お前に頼み事がある。オレをお前の仲間にしてくれないか」
「……はい!?」
「それで、オレに魔法を教えてくれ。ビームもそれ以外も全部。一緒にいたいかつい男の魔法も。あと、あのときいた白髪の女と、青緑の髪の男のもだ」
「なん、なん、なに」
飛躍する話に驚くあまり、私の呂律が狂い出す。
仲間にしてくれって、プリマステラの眷属になりたいってこと? いかつい男っていうのは多分、オスカーさんのことを言ってるんだろうけど、白髪の女っていったい……もしかしてシエルシータのことだろうか。
となると、青緑はサイカで……彼らや私の魔法を教えてほしい……?
ニナの言葉を噛み砕きながら、私は考える。この口ぶりからすると多分、ニナは私たちのことをよく知らない。プリマステラとも、眷属とも言っていないのだ。きっと彼の中の私たちは、魔法が使える以上の情報がないのだろう。それなのに、
「どうして私たちの仲間になりたいんですか?」
「お前たちが強そうだからだ。……オレには、見返してやりたいやつがいる。そいつを見返すためには、いくつもの魔法を覚える必要があるんだ。だから、お前たちから魔法を習いたい。もちろん、礼としてお前たちには貢献する。協力してくれ」
「そ、そう言われても……」
彼の思考はちょっと変だし、彼の正体も強さもわからない。何より、眷属のみんなに『勧誘してくる』と伝えてあるのは、今回はヴァンデロさんだけだ。話が違ってしまうし、私の一存で受け入れるのはまだ不安がある。
とはいえ、ここから抜け出すにはニナの力が欲しいしなぁ……。
「……ちなみに、貴方は何が出来るんですか?」
「変装が出来る。あと、毒と薬が作れる。身体が柔らかいから、普通のやつじゃ入れない穴とか隙間にも入れる。走ったり飛んだりも得意だ。それからこの鎖鎌はなんでも斬る。足音がうるさいから、気を引くのも得意だ」
「お、おぉ……」
思ってたより多芸だ。けど、どれも一風変わっている。変装したり毒を作ったり、穴や隙間に入ろうとするなんて、普通の人じゃまずしないことだと思うんだけど……彼はいったい、普段何をして過ごしている人なんだろう。
まぁ、詳しいことは後で聞くとして。
「……わかりました。では、貴方にお願いがあります。さっき貴方が言ったいかつい男……オスカーさんを探してください。見つけられたら私は、仲間全員に貴方のことを紹介します。あとは、貴方から仲間たちにお願いしてもらえますか」
「……わかった。その言葉、覚えておけよ」
ニナはそう釘を刺し、身を翻して鉄格子のそばに行く。そして短く持った鎖鎌を2回振った。銀色の線が走って、斬られた鉄格子がかたーん! と廊下側へ倒れる。……本当になんでも斬れるんだ。
私が唖然としていると、ニナがこちらを振り返った。
「オスカーってやつの居場所はわかってる。葉巻野郎の部屋だ。ここに来るまでに耳にした。案内してやる、オレについてこい」
「は、はい!」
……そんなに堂々とここを出て、ギャングに見つからないのだろうか。さっき開けた穴は使わないのだろうか。少々不安になりつつも、私はニナに続いて脱獄した。




