第12話『ジャムトースト、星の瞬きを知らず』
翌朝。私とオスカーさんはホテル近くのカフェを訪れ、テラス席で朝食をとっていた。
私は苺ジャムとマーガリンのトースト、林檎ジュース。オスカーさんはチーズとハムのカスクート、そしてブラックコーヒーだ。カフェで販売されている朝刊を手に黙り込んでいて、大人の余裕を感じさせた。
彼が対面にいるのが手伝って、相変わらず子供っぽさが浮き彫りの私だけど、今は嘆いている暇はなかった。
私はテーブルにうつ伏せる。完全に、寝不足だ。
慣れない建物で幽霊側も苦労したのか、外がドタバタうるさくて、たった2時間しか寝られなかったのである。おかげさまでご飯を食べても全く頭が回らない。こんなんでヴァンデロさんをプリマステラの眷属に勧誘できるんだろうか。
あぁ、気を抜くと夜まで眠ってしまいそう。ダメだダメだ、何か考え事をしていないと。そうだ、オスカーさんが読んでる新聞の裏面を読ませてもらおう。
えー、なになに? 幻の黄金マグロ、野良猫に食べられる……白帝クジラが暴走、漁船沈没……3人が負傷、1人意識不明、2人死亡、1人行方不明……。
と、私が回らない頭で新聞を読んでいると、どこかでお皿が割れる音がした。私はビクッとして、本能的に音が聞こえた方向を見る。
そこでは、5歳くらいの女の子がすっ転んでいた。お店のトレーを頑なに握りしめて、地面にうつ伏せている。顔面から転んだのだろうか。けど、トレーには何も乗っていない。乗っていたであろうものは、すっ転んだ方にぶち撒けられていた。
その方向には、黒スーツのいかつい男がいる。男はいかにもギャングみたいな装いで、そのスーツはジャムとスープ、ジュースに塗れて――。
「な……」
周りのお客さんたちも、その惨事に気づいたようだった。
空間に走る緊張。ぶち撒けたものの行き先には気づいておらず、ただ顔面を強打した痛みに号泣する女の子。ちらちらと女の子の様子を伺いながらも、いかつい男に気を留められないよう、おそるおそる食べ進めるお客さんたち――。
保護者らしき人物が介入してくる様子は、ない。
オスカーさんが新聞から顔を上げたのと、いかつい男が蹴るように席から立ち上がって、女の子の腕を無理やり掴み上げたのは、ほぼ同時だった。
「なッにすんだこのクソガキぃ!」
やばいやばいやばいまずいまずいまずい!
私は高速で女の子とオスカーさんを交互に見やる。オスカーさんどうしよう。そんな気持ちで首をブンブン振る。そんな動揺しまくりの私と違って、オスカーさんは静かに新聞を置き、席から立ち上がった。
「聞こえてんのかテメェ! テメェにこの服の価値がわかんのか!? あぁ!?」
男は一喝するが、事態を把握しきれていない女の子はただただ呆然としていた。やがて、動揺よりも恐怖の方が勝ったのか、より大声を上げて泣き始めた。その様子に、男は苛立ったように舌打ちを1つし、
「ピーピーうるせぇなぁ! 弁償できんのかって聞い……」
「《ラティエボルパ》」
男の後ろから近づいたオスカーさんが、呪文を詠唱した瞬間。どこからともなく水が現れ、滝のような勢いで男の頭に降り注いだ。
突然のことに驚く男は、思わず女の子から手を離す。四つん這いになって、各席の間を縫うように近づいていた私は、その隙に女の子を抱き上げて逃走した。
「ぷはぁっ!」
滝が止むと、男は窒息寸前の青い顔を振って、周囲を慌てて見回した。そして背後のオスカーさんに気づくと、やはり気配を感じなかったようでビクッとした。突然現れるオスカーさんに驚くの、私だけじゃないんだやっぱり。
男はオスカーさんが、バケツやホースの類を持っていないことを確認し、魔法使いであることを察すると、更に顔色を悪くした。多分、彼は魔法使いじゃないんだろう。となれば、その力の差は歴然だ。じゃなくても、オスカーさんガタイいいし。
「あ……エト……」
「……子供のよくある不注意です。俺たちいい歳した大人が、我を忘れて怒るのはみっともない。どこの組織の方か知りませんが、貴方のボスが信頼と尊敬に足る人物なら、ボスに恥をかかせるような真似はしない方がいいかと」
『それから』とジャムやスープのシミ抜きの仕方、スーツの洗い方などを説明し始めるオスカーさん。完全に彼のペースに持ち込まれ、男は呆然としていた。周りのお客さんたちも困惑している様子だ。完全に変な空気になっていた。
その間、私は近くのテーブル席に座っていた旅行者さんに、消毒薬と傷薬と包帯を貸してもらい、不器用ながら女の子の擦り傷の手当てに注力した。
と、
「あ? お前……」
ふと、男がオスカーさんの顔を見て訝しみ始めた。
「オスカー、か……?」
「はい」
「なっ……」
瞬間、男の顔に火が昇った。
「てめぇ……よくも!」
男は濡れたジャケットの内側から、拳銃を取り出した。周囲のお客さんたちから悲鳴が上がり、皆一斉にその場を離れ始める。オスカーさんは少しだけ驚いたような顔をしていたけど、怯えるだとか、逃げるような反応はしていなかった。
「《ラティエ》……」
「――よくも、キースさんを殺しやがって!」
「ッ……!?」
途端、オスカーさんの動きが止まる。ハッとしたときには発砲されていて、銃弾がオスカーさんの肩に突き刺さった。
えぇぇぇぇぇぇ!? うた、撃たれた!?
更に混乱するカフェ。店内もこちらの状況に気づいたようで、慌ただしい音が聞こえてくる。でも、誰かが割って入ってくることはない。みんな、自分が撃たれることを恐れて逃げ惑っていた。
「オスカーさん……!」
テーブルに隠れて様子を伺いながら、私は彼の名前を零す。
オスカーさんはきっと、これまでにいろんな魔獣と戦ってきている。いかつい男の1人や2人、魔法で易々と倒せるはずだ。――でも、それは本来ならの話。
「……お嬢さん、名前はなんですか?」
抱きしめていた女の子に尋ねると、女の子は涙声で言った。
「あ……アイリス……」
「アイリスちゃん、向こうに逃げられますか」
「おね……お姉ちゃんは……? お姉ちゃんも一緒に来て……」
ぐっ!
子供のか細い声でお願いされると、つい言うことを聞きたくなってしまう。というか、お姉ちゃんも本当は逃げたい。すごく逃げたい。
けど。
動きを止めたオスカーさんの、ショックを受けたような顔。オスカーさんがあんなに感情を露わにしたのは、私と彼が出会ってからは初めてだった。それだけ、男の言葉は衝撃的だったのだろう。詠唱も止めてしまったくらいだ。
彼を1人にして、逃げてしまってもいいのだろうか。違う、こんなときにまでオスカーさんに任せっきりにしちゃダメだ。
「ごめんなさい、私あの人を助けなきゃいけないんです」
「なら、オレが連れていく」
「ひっ……!?」
不意に真横で聞こえた男性の声に、私は悲鳴を上げかけて堪える。おっかなびっくり隣を見ると、全く知らない男の人が、私たちと同じようにテーブルの陰にしゃがみ込んでいた。店員さんでもさっきの旅行者さんでもない。誰だこの人。
ていうか、なんだこの人。私がギャングに立ち向かうことには賛成なのかしら。私がプリマステラってこと知らないはずなのに。いや、問答する時間が減って助かるんだけど……なん、なんなんだこの人。まぁいいか。
「お願いします」
私は不安そうな顔の女の子を男性に預ける。男性は屈みながら、お店の裏まで女の子を連れて行ってくれた。
「よし……」
これで女の子を巻き込む心配はない。私はスカートの裾の一部を持ち上げ、太腿に括り付けていたホルダーに手を伸ばした。オスカーさんが特注してくれた、星の杖専用のホルダー。息を殺して、留め具を外して、星の杖を取り出した。
私に出来るのは、ビームを撃つことのみ。意味がわからない。なんでもっと有用な魔法を覚えてこなかったんだろう。でも、今はそれでどうにかするしかない。
男にビームは撃たない。細かい調整が効かない今、オスカーさんまで巻き込んでしまうかもしれない。それに、男は魔法使いでも魔獣でもない。男を殺すことは、プリマステラの仕事には含まれていないし、そもそも人殺し自体私には無理だ。
だから。
「――俺は、昨晩ホテルに宿泊していました。……深夜の外出記録があるか、スタッフに確認を取ってください」
「んなの、魔法使いのてめぇならどうにでも出来んだろうが! 兄貴はな! てめぇがアジトの防犯写真機に映ってるって言ったんだ!」
彼らの会話を聞きながら、私は星の杖を握りしめて集中する。狙うはあの大空。
「《プリマステラ・ビーム》……!!」
私が小声で詠唱すると、なんだか気持ちが足りなかったみたおで、杖の先端から細く青白い光線が放たれる。ほっそ! こ、こんな細いビーム気づいてもらえるかな、無理だよね、私まだ大声で詠唱しなきゃ威力出ないのかな……!?
ええい、こうなりゃやけだぁ!
「《プリマステラ・ビーーーーーム》!!」
恥も外聞もない大声。瞬間、強い突風が炸裂する。辺りのテーブルや椅子が吹き飛び、テーブルクロスが舞って、あら!? あららららら!? 損害!?
お、おかしい、ビームでこちらの気を引いて、そのあとすぐ男の死角に回って椅子でブン殴るはずだったのに。
私を男の目から隠していた遮蔽物たちが、一斉に吹き飛んで私の姿を露わにする。ハッとして見ると、こちらの状況に気づいたらしいオスカーさんは強風に踏ん張っていて、飛んでくる家具を魔法で切り刻んでいた。
その隣では、ギャングの男がひっくり返っている。ふ、吹き飛んだ家具にぶつかったのかな? 気絶させられたみたいで嬉しい、けど……!
「ぐっ……ぬぬぬぬぬ……!」
とま、止まんねえ、杖がプルプル震え出して今にも手から吹っ飛びそう。でも、いま手放したら蛇口全開のホースみたいに暴れて周囲を焼け野原にする気がする。今度は村長さんに謝るだけじゃ済まないんだ、絶対に手放してはいけない……!
「と……止まれ……っ!」
必死に念じていると、次第に風は弱まって、杖から放たれる光も消えた。なんだか気持ち的にも体力的にもごっそり疲れた気分だ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
というか、めちゃくちゃテラス席を荒らしてしまった。どうしよう。私が塩をかけた青菜のように萎れていると、髪を乱したオスカーさんがやってきた。もちろん、乱れ髪のオスカーさんも男前……なんだけど、今はそれどころじゃなくて。
「プリマ、ステラ……?」
「はい、すみません……」
彼が言いたそうなことを先読みし、私は深々と謝罪をする。というか、
「肩、大丈夫ですか……!?」
「いえ、ご心配なく。このくらいの怪我は、何度も負ってきてますから……」
怒りのあまり言葉がまとまらないのか、いつもより発言がゆっくりなオスカーさん。彼はしばらく黙り込むと、無骨な手を差し出してくれた。
「手を。……立てますか」
「は、はい」
私はおそるおそる彼の手を握って立ち上がる。しばらくの沈黙の後、オスカーさんがぽつりと呟いた。
「助けてくださって、ありがとうございます」
「いえ、あの……もっとスムーズに助けられなくて、すみません。その、弁償のことって……」
「大丈夫です。俺が、ヴァンデロ一家に請求しますから」
えっ。ヴァンデロ一家って、今探してるヴァンデロさんのグループのはず。その名前が出てくるってことは、もしかしてさっきの男の人って……。
「あれは、ヴァンデロ一家の構成員です。……ですが、今は緊急事態らしい。少々事情が変わりました。とりあえず、1日もらっても構いませんか。病院で銃弾を取り除いたあと、今日以降のホテルの予約をキャンセルします」
「やっ、あの、病院はぜひそうしてほしいんですけど、ホテルはどうして……?」
「どうやら、ヴァンデロ一家は今血眼で俺を探しているらしくて。理由ははっきりしませんでしたが……もしも大勢で乗り込まれれば、俺とプリマステラでも勝つのは厳しい。ですから、1度拠点を変える必要があるんです。すみません、慌ただしくて」
「いえ、全然……」
私は首を振りながら、さっきのことを思い出す。ギャングの男はさっき、オスカーさんに向かって『キースさんを殺しやがって』とか、『防犯写真機に映ってる』とか言ってたけど……いったい、どういうことなんだろう。
考えていると、店内からおそるおそる、店員さんが様子を伺いにやってきた。
「あ、あのぉ……」
「――ごめんなさい!」
店員さんが何かを言う前に、私はもう1度深々と謝罪をした。




