第11話『乙女は幽霊をわからせたい』
それは、私が死の魔法使いと出会った日の夜。深夜1時のことだった。
不意にその音は聞こえた。
キッ、キッ、キィッ。
家が軋むようなその音は、私の部屋の天井から――3階から聞こえた。最初は誰かが夜中に作業をしているのだと思って、その日はぐっすり眠った。しかし翌朝聞いてみると、昨夜は誰も夜更かしなどしていなかったという。
もしや悪い奴が入ってきていたのだろうか。いや、プリマステラとその眷属の拠点に忍び込むなんて、そんな大層な輩がいるのだろうか。まぁ、確かに宿舎はまだボロボロで、空き巣狙いからしたら餌にしか見えないかもだけど……。
結局わからないまま迎えた次の夜、私はもう1度その音を聞いた。キィッ、キィッ、ドタドタドタ、バタバタバタ……。
――忍び込む気がない!
私が飛び起きると、その瞬間、かけていた布団が1人でに浮き上がった。ぎょっとした私は半狂乱になりながら、寝巻きのまま杖を構えていた。けど、誰かが現れることはなくて、1人でガタガタ震えながら眠ったのである。
古い屋敷だから、『そういうもの』がいる可能性は全然ある。けど、まさか2日連続で私が被害に遭うなんて。多分宿舎で1番弱いのに、いや、弱いから?
今日は火の国のホテルに泊まることになっているから、きっと心霊現象は起きないはずだけど――もし今日もあの音が聞こえたらどうしよう。布団が起き上がるだけならいいけど、首とか絞められたらどうしよう。
怖いけど、流石にオスカーさんに一緒に寝てもらうのは……!
そんなことを考えながら、船員用の休憩室を借りて休んでいたら、火の国についたようだった。
だいぶ気分がマシになった私と、オスカーさんはタラップを降りる。もうこの頃には夕方になっていて、火の国の名物らしい赤、黄色、水色などの色とりどりの木材で作られた街並みが、真っ赤な夕焼けに照らされていた。
火の国の主な移動手段らしいゴンドラが行き交う水路も、街灯にぼんやりと照らされ、ほのかに煌めいていて目を奪われる。本当にこんな美しい国にギャングがいるんだろうか。治安が悪そうには見えないけど……。
「……あのゴンドラには、明日乗りましょう」
「え? あ、え? は、はい!」
ボーッとゴンドラを眺めていると、乗りたいと思っているように見えたのか、オスカーさんに保護者みたいなことを言われた。た、確かに乗りたいとは思っていたけど……子供っぽいって、浮かれすぎって思われなかったかな……!?
ダメだ、今日は私のイメージダウンになるようなことしかしていない。オスカーさんにはもっと、私の仕事ができる大人の女性なところを見せないと。
私はこっそり拳を固めながら、オスカーさんと共に港近くのホテルを訪れた。
*
火の国はどうやら温泉でも有名な国らしく、いいお風呂に入ってホカホカになった私は、昼間の体調不良が嘘みたいにもりもりご飯を食べた。
「んぐんぐ……」
バイキング形式のディナーなんだけど、鳥の串焼きが本当に美味しい。あまりにも美味しいので現在7本目に突入している。絶妙な塩気が身体に染みた。はぁ、こんなに美味しいものを食べて、幸せになってしまっていいのだろうか。
私が頬を緩ませていると、対面でミルクのコップを傾けていた――お酒は明日に響くから飲まないらしい――オスカーさんが、ぽつりと呟いた。
「プリマステラは、美味しそうに召し上がりますね」
……ん!? もしかして皮肉か!? お行儀悪かった!?
オスカーさんからの評価に過敏になっている私は、つい疑り深くなってピンと背筋を伸ばす。すると、オスカーさんは予想外と言いたげな顔をした。昼間にも見たことのある顔だ。もしかして彼の言葉って、文面通りに受け取っていい……!?
「はい、美味しいです。シェフを呼びたいくらいに」
私が素直に答えると、オスカーさんはコップをテーブルに置いた。
「俺もそれを取ってこようと思います。味がわかれば、宿舎でも再現できるかもしれませんから」
「えっ……いいんですか!?」
「はい。……まぁ、もっと美味いものを作ってしまうかもしれませんが」
そう言って、席を離れていくオスカーさん。
……え、最後のどういうこと!? もしかして、私が串焼き美味しいって言ったから、敵のこと調べて張り合おうとしてる!? 料理人のプライド煽った!?
いや、まさか。私は落ち着くため、オレンジジュースを口に流し込んだ。
――それから5分経っても、オスカーさんは帰ってこなかった。
あれ、オスカーさん席わかんなくなっちゃったかなぁ。まぁ、店内もだいぶ混雑してきたしなぁ……探しにいきたいけど、彼の二の舞になりそうで怖い。荷物を守っておくためにももう少しここにいて、それでも来なかったら探そうかしら。
そう思いつつ、だんだん不安になってきて周囲をひっきりなしに見回していると、バイキングメニューが置いてあるスペースのそば、関係者専用らしき扉が開いて、中からオスカーさんとセクシーな美女料理人が出てきた。
「ブッ!?」
思わず噴き出す。お、オスカーさんなんでそんなところにいるの!?
私は必死に気づかないふりをしながら、ちらちらとオスカーさんたちを盗み見る。部屋から出てきたオスカーさんは片手に何かを持っていて、もう片方の手に串焼きを乗せたトレーを持っていた。
にこやかに笑う美女に、オスカーさんはほんのうっすらと笑みを浮かべて頭を下げ、こちらの席に迷いなく戻ってくる。……そうだ、記憶力いいんだった。
わっ、わっ、どんな顔して話したらいいんだろう。秘密の逢瀬を見てしまった気分になって、オスカーさんが1歩近づいてくるごとに私は慌ててしまう。
一方、そんな私に全く気づいていないオスカーさんは、『ただいま戻りました』とトレーをテーブルに置き、再び私の正面に座った。
「料理人から直接レシピをもらえたので、宿舎でも完璧に再現できると思います」
「えっ……直接?」
「はい。取りに行ったら串焼きがなくなっていて、そこにちょうど補充の串焼きが来たんです。料理人と鉢合わせになって、『あのお嬢さんのお連れの方ですね』と言われ、『よかったらレシピをお渡しします』と裏に案内してもらったんです」
「ひょ……」
お姉さんに認識されていたことを知って、私は萎縮する。しかもその話しかけられ方、私が串焼きばっかり食べてるのも知られてるじゃん。はずかし。
私が頭を抱えていると、オスカーさんは持ってきた串焼きの山から1本手にとって、一切れ口にする。私は心の底から美味しいと思ったけど、オスカーさんにしてみれば大したことないかもしれない……そう思うと、心臓がバクバクし始めた。
私が固唾を呑んで見守る中、オスカーさんはごくりと飲み込んだ。
「……確かに、プリマステラの言う通り、この串焼きは美味い」
ッシャァ!
「ですが、俺はもっと美味いものを作ります。楽しみになさっててください」
眼鏡のレンズの奥から、真っ直ぐなオレンジの瞳に捉えられ、すくんだ私はカクカクと重い動作で頷く。彼は美女になんて興味を持っていなかった。ただ、料理のことだけを考えて、料理だけに心血を注いでいた。
迂闊なことは、言わないようにしよう。私が拳を固めた2度目の瞬間だった。
*
その後、完食した私たちはそれぞれの部屋に入った。ちなみに普通の部屋だ。プリマステラの権限があれば、スイートルームも夢じゃないけど、仕事もろくにしてないうちから権限フル活用はまずい、と思った結果である。
1人の部屋はすることもなくて、私は早々にベッドに入った。今日1日寝不足だったのと、ベッドの温かみがあいまって、私はすぐの夢の世界に誘われた。
と、思ったんだけど。
ドタドタドタ。バタバタバタ。……ゴトッ。
嫌な音が聞こえてきて、私は目を覚ました。嘘でしょ、幽霊ついてきてる……!?
私は跳ね起き、ベッド脇の机に置いていた杖を手に取った。
今度こそ追い払わなきゃ。いや、私の杖今のところビームしか出ないんだけど。もうこれ以上、おばけに眠りを妨げられるのはごめんだ。ビームは出さないけど、臨戦態勢を見せて、こっちにも戦う力があるんだぞってわからせないと。
そう思っていると、月明かりしか差し込まない薄暗い部屋で、影が動いた。
何奴!
私は光の差し込んでくる方、窓の辺りを見た。けど、特に異変はない。
もしかして、外にいるのかな……?
私はおそるおそる、窓の方に近づいた。窓を開けて、周囲を見渡してみる。特に何もない、っていうか風が冷たい。ここ、海に面してるんだ。道理で寒いわけだ。
月光を跳ね返す黒い海を、私はボーッと見つめる。不自然なくらい月が明るいので、ここから少し離れた港の景色もよく見えた。
「……ん?」
一瞬、レンガ倉庫の辺りで何かが光った気がして、私は窓から身を乗り出した。今の、なんだろう。もう1度光らないか、しばらく待っていたんだけど、それ以降赤い光が放たれる様子はなかった。何だったんだろう。
「――ゔぇくしょい!」
どれくらいの間窓を開けていたのか、流石に寒くなってきて、大きなくしゃみをかます。
このままだと風邪を引く。そろそろ寝ないと明日に響きそうだ。私は窓を閉め、ベッドの中に潜り込んだ。心霊現象も治ったみたいだし、今日は久しぶりにぐっすり寝れそう。明日はプリマステラになって初めての仕事だ、頑張らないと……。
そう思って寝返りを打った瞬間、掛け布団が浮き上がって天井に張りついた。
……寝れないかもしれない。




