1章SS『サイカを知ろう!』
――足にいばらが絡みつく。足が血塗れになって、恐怖に青ざめる私を『死の魔法使い』が笑って見ている。まるで憐れむみたいに。
そうだ、杖は? 杖があったら反撃できるかもしれない。探してみるけど、ポケットに星の杖は見当たらない。また? 今度はどこに落としちゃったんだろう。
大声で助けを呼んでみても、誰も路地裏へは来てくれない。ルカもオスカーも、憲兵の人も街の人達も。喧騒だけは通りから聞こえてくるのに、どうして。
――本来ならとっくに失血死している量の血が流れ、地面を覆い、かさを増し、私と『死の魔法使い』の身体を飲み込んでいく。
血の洪水を足で掻き分け、側までやってきた『死の魔法使い』が、子供みたいに小さな口を私の耳に寄せて囁いた。
「可哀想なプリマステラ。杖を持たない君なんて、誰も興味がないんだね」
「――ッ!」
飛び起きた。
脈を早める胸に手を当てて、何度も呼吸を繰り返す。
汗を流した私の目に映るのは、先日割り当てられた宿舎の一室だった。ベッドと机とクローゼット以外には、積み重なった箱と紙袋しかない殺風景な部屋だ。遠くからするピーヒョロロロロ、って鳥の鳴き声以外には何も音がない。
――夢を見ていたんだ、と気づく。
私は安堵して、もう1度ベッドに身を投げた。
濡れた額を腕で隠し、大きく息をつく。
「変な時間に起きちゃった……」
カーテンがレールからほとんど外れて、外が丸見えになっている窓。そこから見える空は白んでいるが、どちらかというと夜の方が強い。まだ起きるには早い時間に起きてしまったのだと察して、私は掛け布団をもう1度被った。
……ダメだ、寝れない。完全に目が覚めちゃった。
とりあえず、かいた汗を補うために水だけ飲んで、ゴロゴロしよう。
決めた私は起き上がり、自分の部屋を出た。
私の部屋は2階にあって、1階にある目的の食堂までは少し遠い。だけど、何かあった時にすぐ助けを求められるように、みんなが毎日使用する食堂までのルートは頑張って覚えたので、1人でもすいすい歩くことが出来た。
私は廊下の途中にある階段――1段踏むたびにギィギィ音がする――を降りる。
あとはこう行って、ここを曲がって……ん?
今、ふと視界の端で影がちらついた気がして、私はそちらを振り向いた。見えたのは窓の奥の中庭だ。雑草があちこちから生えていて鬱蒼としているそこに、なんと青緑色の髪の青年――サイカの姿があった。
「……何してんだろ?」
一体こんな時間に、こんなところで。気になってつい見ていると、サイカは適当な場所にしゃがみ込んで、雑草を抜き始めた。――草抜きしてる!?
こっこっこんな早朝から!? 偉い、偉すぎる。なんて偉いんだろう。わたし草抜きとかした記憶ないけど、草抜きって言葉だけで嫌な気持ちになれるよ。絶対にやりたくないって本能が訴えるもん。
……仕方がない。水だけ差し入れて帰るか。
私は食堂に向かい、水を飲んで、別のコップにサイカ用の水を注ぐ。どれが誰のコップか分からなくて、適当に選んじゃったけど……まぁいいよね。
初日にドーナツ食べてた時も、4人で同じデザインのカップ使ってたし。他人が使ったかもしれないコップでも、サイカは気にしないんだろうから。
私は水をちゃぷちゃぷさせながら戻ってきて、室内用の靴のまま中庭に入った。
「サイカ? おはようございます、草抜きですか?」
「あっ、ステラ! はよー。そうだ見ろこれ、根っこが超長え!」
こんな早い時間にもかかわらず元気一杯に笑い、抜いたばかりらしい雑草を見せつけてくるサイカ。勢いよく見せるものだから、私の身長よりも長そうな根から、ポロポロと土が飛んでくる。あの、一応こっち新品の寝間着なんですけど。
ムッとする私の前、サイカは土を飛ばしたことにも気づかず雑草を抜いていき、
「けっこー放置されてたのに、すげえ育っちまったみたいでさー。よっぽど風の国の環境が良いんだろうな! さすが、豊穣の国って言われるだけあるなーって思ったぜ。まぁ、土の国には敵わねーけど!」
と笑った。
後でアサジローさんに聞いた話だけど、ここ風の国は天候に恵まれていて、野菜や穀物が凄く採れるってことで有名な国らしい。土の国はその風の国の環境を上回るほど土壌がよくて、これまた食べ物がいっぱい採れるみたい。
言われてみれば、ボロ屋敷の雑草にしては色艶がいいような……? と、植物の知識もまるでないのに思っていると、ふいにサイカが吐露した。
「俺さ、ここの雑草全部抜いたら、でっかい畑が作りたくて」
「はた……畑!?」
「うん。こっからここまでぜーんぶ畑にすんだ」
長い指で中庭のある一点を指し、長方形を描いてみせるサイカ。どうやら彼は中庭の真ん中を通路にして、両脇のスペースを畑に変えようとしているらしい。
確かに、雑草が生い茂る庭より野菜が育つ庭の方が素敵だろうけど――意外だ。サイカみたいな作るより食べる派! って感じの人が、畑を、しかも耕すところからやろうだなんて。いったいどうして畑を作ろうと思ったんだろう?
考えていると、よほど顔に出ていたらしく、サイカが照れたように笑った。
「俺、もともと農家なんだ」
「え、そうなんですか?」
てっきり何かのスポーツの選手だと思ってた。格闘とか。でも、農家でもしっくり来るかもしれない。農家だって体力がいる仕事なわけだし。
「うん。俺んち、じーちゃんの代から土の国で農家やっててさ。野菜育ててるじーちゃんが好きで、じーちゃんみたいになりたかったから、俺も農家になったんだ。あ〜、ステラにもじーちゃんの野菜食わせてやりてーな〜。超うめえんだぜ?」
『あ、俺のもうめーけど』と呟きながら、雑草を抜いていくサイカ。話している間にだいぶ引っこ抜いたみたいで、草が山のように積まれている。
そうして何分の1かのスペースが綺麗になると、私はサイカに水を差し出した。サイカは土だらけの軍手を外し、感謝の言葉と白い歯の輝きを送ってくれる。傾けられたコップの水は、ものの2秒でサイカに吸い込まれていった。
「ぷはー! うま! なんだかんだ水が1番うめーよな。あ、ごめん持ってて」
「あっはい」
返されたコップを受け取る私。さりげなく私をここに縛りつけたサイカは、腕で口元をごしごし拭うと、軍手をはめて作業を再開する。
……草を抜くだけの地道な作業だけど、サイカがやっていると見飽きない。やっぱり画がいいからだろうか。イケメンは得をする生き物だ。
「すごい慣れてますね。前の宿舎でも、畑をやってたんですか?」
「んーや、そもそも作ってなかったな。プリマステラの眷属になってからは、ちゃんと畑ってやったことねーんだ。眷属になりたてで俺も余裕なかったし、作らなくても王様がいい飯送ってくれるし。でも」
『思ったんだ』と、サイカはこちらも見ずに呟いた。
「俺たち住む国が新しくなって、もっと強え王様に飯の約束したけど。前住んでた国みてーに戦争が起こったりしたら、いつ食いものやれねーって言われるかわかんねぇだろ。だから、うちでも育てることにしたんだ。そしたら食いっぱぐれねー」
「……サイカ」
思わず名前を呟いてしまう。私てっきりサイカのこと、無邪気な顔で人の秘密を漏らすクソ野郎だと思ってたんだけど……なんか、だいぶ舐めていたみたいだ。
「すいません、サイカ。私、貴方のこと馬鹿にしてました」
私は、反省の意を込めて告白する。するとサイカは、意味を理解する前に『あっはははは!』と笑い飛ばした後、ぎょっとして固まり、
「……え!? ば……馬鹿にされてたのか……!?」
「はい。私が杖を落としたこととか、遺跡を破壊したこととか、恥ずかしい話みんなにバラすから。でも、無かったことにしようと思います」
「えっ、俺そんなことし……たけど、えっ、い、嫌だったのか!? ごめん、俺なんでも話しちゃうから……馬っ、馬鹿っ、馬鹿に」
「あ、オスカーさんが」
丁度いいところに、と声を上げる私。オスカーさんは着替えていて、多分これから朝食を作りに行くのだろうと伺えた。私は取り乱してしまったサイカの気を逸らすため、話題を作ろうと思って彼に触れただけだったんだけど、
「……簡単なものなら、すぐに作ります」
視線に気づき、中庭に出てきた彼は、そう言ってキッチンに向かっていった。
「ほら、行きましょうサイカ」
私が彼の広い背中をつつき、キッチンの方角を指し示すと、サイカはまだ動揺したように『う、うん……』と首を縦に振る。
「あの……ステラ?」
「はい?」
「俺たちって……友達だよな?」
不安そうなサイカの声。
いや、別に友達になった覚えはないんだけど。逆に友達だと思ってたんだ。え、もしかして友達だと思ってたのが、酷い評価を受けてたから動揺してたの……?
反応に困る私。彼とはまだ出会ってから2日だ。友達と呼ぶにはまだあまりに彼のことを知らないんだけど……いや、今日はちょっとだけ知れただろうか。
多目に見れば、あながち間違いではないかもしれない。多目に見れば。
「――はい、友達です」
答えると、サイカはようやく安堵したように笑った。
「だよな!」




