時の街-5
「やぁフィード。俺はうれしいよ。こんなに清々と人が殺せる日が来るなんてさぁ」
ジンは真っ赤な服を着ていると僕は思ったけれど、それは僕と別れるときに着ていた白い服だ。そこに染められているのは、全て血だった。たくさんの返り血が付いていた。剣の刃先からまだ新しい血が滴り落ちている。まさか、後ろで倒れている人たちは――――
「君もまた、あの白い奴に操られているのかい・・・」
「操られている?そんなことはないさ。俺は今までの俺だよ。ただ違うのは、開放されたということかなぁ」
赤い青年はそんなことは興味がない、といった様子で持っている剣を舐めるように見つめながら近づいてくる。
「開放?人を殺すことの何が開放なのさ!目を覚ましてよ!」
「大丈夫。目はきっちりさめているからさ。フィードも、他の騎士や人々と同じところに連れて行ってあげるよ」
本当に、言っていることとやっていること以外はいつものジンだった。だけど、僕に剣を振り下ろそうとしているジンは、やっぱり普通ではなかった。僕はその衝撃に心がついていかず、そのすばやい剣先をどのように回避するのか、見当も付かなかった。
鈍い金属音。僕が何度目かの我に返ると、そこには大きな剣身がジンの刃の軌道を逸らしていた。
「ジン、いい加減にしろ!お前も騎士ならば、そのような幻獣に心を支配されるな!」
バルシュタット隊長だった。ジンの剣を弾き返す。
「君は早く逃げるのだ。どこか安全な場所へ。ジンは私にしか止めることはできないだろう」
そう言うと、バルシュタットさんはためらいもせずジンに斬りかかっていった。
「我らはもう躊躇いはしない!例えお前を殺そうとも、それがお前にとって一番幸せなことだと言うのならば!」
「それはそれは隊長。俺もあなたが怖くて仕方が無かった。今日で最後にしましょうよ!」
僕は変わってしまったジンと必死に戦いを繰り広げる二人をただ見ていた。べっとりとついた血糊の剣を互いにぶつけ合わせ、怒涛と共に振り下ろす。なぜ争わなければならないんだ。そもそもこの戦いに敵も味方も無い。ただの殺し合いじゃないか。誰も悪くないはずだ。
その時なんと、白いくねくねしたものが僕の抱いていた少年に取り憑いた。僕はすぐに気づいて取り払おうとするが、ものすごい速度で少年にもぐりこみ、すぐに体の中に入ってしまった。僕はその後どうなるのか何回も見てきたけれど、絶対に想像したくなかった。
だが突如、少年の体が反るように大きく打ち震えた。目は焦点が合っていないように虚ろになっていき、口からは嗚咽と共に涎が垂れている。痙攣とともにみるみるうちに体中から黒い毛が生え始め、顔も鼻と口あたりが引っ張られているかのように伸びてゆき、手の指も信じられない光景で三本に変化してゆく。体が少しずつ大きくなって、やがて窮屈にしていた衣服を破り、今まで生えていた歯がぼろぼろと抜けて、鋭利な牙が姿を現す。
獰猛なうめき声と共に、僕の目の前には、一頭の野獣が静かに佇んでいた。僕がいることに今やっと気がついたかようにこちらに向くと、僕に威嚇の咆哮をあげる。
「グルルルルル・・・・ダ・・・ダスゲテ――――」
なんだろう、これは。一体どうなっているんだ。人が獣になるなんて・・・街中で見かけた獣も、こんなふうになってああなったのか・・・。僕は体中が震えて力が入らない。もう本当にダメだ。心臓の音が外の音よりも大きく聞こえる。僕はその獣の目に取り付かれたかのように動くことができなかった。
少年だった獣は僕に飛び掛ってきた。襲ってくる牙と爪が元々何であったか知っている。だから僕はもう動けなかった。僕に刃を向けているということが、理解できていなかった。僕は死んだだろう、彼が来なければ。
すばやいその獣よりもさらに早く、その獣の何倍も大きく、それでいて聞きなれた咆哮が舞い降りた。大きなそれに弾かれ、漆黒の獣は簡単に吹き飛ばされる。少年だったそれは、体勢を立て直すと、すぐに襲う目標を変えたようで、別の人に向かって走っていった。
「騒がしいと思って来てみれば、とんだ大騒ぎだな。貴兄よ」
僕の目の前には、この炎の中でもまだ青い、大きな鱗の体があった。そう、見上げればいつもの牙、いつもの羽、青い鱗・・・。たった二日くらいしか離れていないというのに、僕には数年ぶりの再会にも思えた。
「カンザー・・・来てくれたんだ」
「次からは笛で合図をしてほしい。貴兄を探すのには苦労した」
僕は何かの糸が切れたかのようにカンザーに抱きついた。涙がどっと溢れてくる。
「僕・・・僕!・・・・」
「やはり、貴兄を一人にしたのは良くなかったようだ。早くこの街を離れよう」
僕はその言葉に驚き、顔を上げた。
「そんな!この街の人を見捨てていくことなんてできないよ!」
次の瞬間、カンザーは片方の羽を突如大きく広げた。刻まれた文字が風を呼び出し、ものすごい突風が巻き起こる。
それと共に、カンザーに襲い掛かろうとしていた騎士が吹き飛んで倒れた。あの槍は・・・。
「・・・くそう!獣の次は竜か!もう次に何が出てきても怖いもんはないな!!」
僕はそれが誰だか分かると、慌ててその騎士に走り寄ってゆっくりと身体を起こした。
「フェンさん、大丈夫ですか?」
「ああなんとかな。それよりも早く逃げるんだ。竜はいままでとは段違いの強さだ。炎を吐かれたらひとたまりもないぞ!」
そう言って立ち上がると、カンザーに向けて槍を構える。よく見れば体中傷だらけだ。鎧を貫通した割れ目から血が噴き出している。
僕はぞっとして慌ててフェンさんの前に回りこんだ。
「彼は人を襲ったりしませんから!!それよりあなたを早く手当てしないと!血が!」
「どうしてそんなことが言えるんだ。もう何も信じられないんだぞ! お前だって本当は俺を殺そうとしているんじゃないのか!!」
僕はその言葉が心に突き刺さり、そして嫌に悲しく感じた。信頼していた誰もが敵となり、守るべき誰もが敵となる。きっとフェンさんだっておかしくなって当然だ。僕だって、カンザーが獣のように獲物を襲ったあの時は嫌だった。だから僕は、フェンさんに抱きついた。あの時と同じように・・・。でも、あのときよりも僕はずっと震えていた。
「そんなこと・・・言わないでください。信じなければいけないんです。そうしないと、殺されていった人の為にならないじゃないですか・・・・」
僕はそのままずっとそうしていた。フェンさんは、やがてゆっくりと槍を戻していき、そしてしゃがみこんで僕に目線を合わせた。兜の間にある暗いくらい隙間から、強い意思を持った瞳が見える。
「――――すまない。自分もおかしくなっていたんだな。これじゃああの暴徒となんら変わらない。ほんとうにすまなかった・・・」
「いえ・・・」
僕は立ち上がるとカンザーに振り向いた。フェンさんの瞳から受け取った強い意志が、僕に宿ったかのようだ。僕の心は強く固められた。
「カンザー。あの白いくねくねをなんとかできないかな」
「それは一体何のことだ」
竜が話せることに、フェンさんはとても驚いているようだった。だけど説明している時間はないし、フェンさんも僕たちの話に割り込むことなく黙っていた。
僕はくねくねを指で指し示したり、いる場所を口で説明したりしたが、カンザーにも全く見えていないようだ。
「カンザーにも見えないなんて・・・」
僕が絶望に落ちそうになった時、
「見えぬなら見えるようにすればいいだけのこと」
カンザーは簡単にそう言うと、頭を空へ向けた。まるで長い首がぐんぐん伸びていくのかのような錯覚を覚える。口を大きく開けて息を吸っているようだった。そして、ふっと息が止まった刹那、咆えた。
爆音なんてめじゃない。地面が轟くほどの深く、それでいて大音量の咆哮が響き渡った。僕はすぐに耳を両手で塞いだけれど、全く役立たず、頭がぐわんぐわんしてへばりこむ。
本当に地響きでも起きているんじゃないかとも思った。石畳の地面から何からが共鳴して細かく揺れ動く。カンザーが息を吐ききるまではすぐだったんだろうけれど、ぼくにはとんでもなく長く感じた。
「 」
カンザーが何かしゃべったようだけど、全然聞こえない。耳鳴りが世界を支配している。
「カンザー、全然聞こえないよ」
そう言うと、カンザーは僕の額にゆっくりと口の先をつける。
(見えぬ世界から引っ張り出した。これで誰にでも見える。貴兄には少し悪かった)
その声は確かにカンザーだったけれど、それはまるで竜玉からの声と同じようだった。そう、声だけでなく心のようなものも繋がったような感じだ。
「見えなくて半分イライラしてたんじゃない?」
(そんなことはない。が、否定はできないな)
顔は相変わらず凶暴だけど、笑ったような意思が伝わってきて、状況も忘れて僕も笑った。
だんだんと耳が回復してくると、辺りはさっきよりもますます混乱したものになっていた。よく見れは白いくねくねは透き通ったものではなく、しっかりとした姿になっていた。他の人たちにもすでに見えるようになっているようで、慌てながらも切ったり叩いたりしている。
「こいつらは幻獣だ。なるほどだから兜まで装備したものは狂わなかったのか!」
フェンさんが辺りを見回し、穴が開くほどの形相で幻獣を睨み付けている。近くにいた一匹を見つけると、槍で突き刺した。竜玉が瞬き、幻獣は跡形もなく消え去る。
「これが、幻獣なんですか?」
「君には見えていたのか。いや、そもそも君は一体何者なんだ。いやいや、今はそんなことよりも幻獣の殲滅だ。相手が見えればこちらのものだ」
フェンさんはすばやく立ち上がると、いよいよ勢いづいて槍を振り回していく。
「カンザー、僕らもなんとかしないと」
「ああ、貴兄がそう決めたのならば」
僕はカンザーに笑いかけるとすばやくカンザーの背中に乗り、足腰を固定した。カンザーは今までにない速度で離陸した。すぐに空にいる幻獣の集団に突っ込んでいき、爆炎をあげた。するとまるで気化したガスのように炎は連鎖して、一帯をすっきりとさせる。ちょっと感動した。
僕も負けじと弓を取り出すと、下で人々に襲い掛かろうとしている幻獣に向かって弓を引いた。カンザーの回りから何かが流れ集まり、矢を紡いでいくのが分かる。そして、青白い筋が僕の口元に触れる。カンザーの羽の動きが安定した瞬間に矢を放った。見たこともないスピードで下に届いたが、やはり幻獣にあたることはなかった。
「だめだ。あんな小さいのに当るわけが――――」
そう言いきる前に、驚いたことに狙っていた幻獣が、掻き消えた。いやそれだけではなく、矢が突き刺さった場所を中心に、次々と幻獣が消え去っていく。
「あの矢は私の風を強くまとめたもの。織り成す風は私の炎だ」
「すごい。これならなんとかなるね」
「相反する存在。存在してはならなかったものは消え去らなければならない」
カンザーは無感動にそう言うと、また轟々と炎を吐いていく。僕もできる限り人に当たらないように注意しつつも、風の範囲を考えながら次々と矢を放っていく。
お疲れ様でした。