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闇暗の渓谷


03-添削済み

闇暗の渓谷



 ベルタウンを出て二日。僕は空飛ぶカンザーの背中で凍えていた。

 ひどく寒い。この寒さは気温のせいなのだろうか。いや、気温以外に寒さを感じる要因など存在しないはずだが、僕はそれ以外の何か別の寒さを感じているような気がした。凍えすぎると手の感覚がなくなって自分の手がそこにあるか分からなくなってしまうような、そんな感覚だ。だから、不意に自分の手を見て確認してしまう。僕の両手はまだあるということを。

「貴兄よ。降りるぞ」

 カンザーは突然そういい、一気に高度を落とした。

 すぐ下を漆黒の騎士を乗せた一頭の馬が走っていた。時の街からの使者である最年少騎士、ジーンだ。彼は僕らよりも外の世界に徘徊する存在、幻獣について詳しかったので、僕らにとって心強い存在だ。

 僕はカンザーに二人乗りしたほうが絶対に早く着くと主張したのだが、ジンはそれを拒んだ。いくらなんでも二人分の荷物と、鎧を着た人間を一頭の竜に乗せるのは難しいというのだ。

 カンザーはそれでも運ぶことは可能だと答えたが、いろいろな考案の末、多少遅くなろうとも、闇暗の渓谷を竜の羽で運べば、時間短縮することには変わりないということ。さらに前回の通り、何もない外から人が突然現れては街の衛兵も混乱するし、ベルタウンからの使者だということも信じてはもらえないだろうという結論に達した。

 というわけで、カンザーには最低速度ぎりぎりを飛んでもらうことになったのだが、どちらにしろこの寒さでは今以上に速度をあげたら凍死してしまいそうだ。

 地面がぐっと近づき、空が狭まる。まるで巨大な壁に、自分らは吸い込まれているのではないかという錯覚をなぜか覚えた。

 カンザーはジンの馬の進行上に着地する。吹き上げる真っ白い砂埃の向こうで、ジンが減速しながら近づいてくるのが見えた。

 僕はすぐに留め具を外し、固い地面に降りる。あれだけ青々としていた平原はすでになく、僕らは灰色の一枚岩の上にいた。まるで巨人が岩を荒々しく削った後のように、継ぎ目のない粗めの表面がいつまでも地面を覆っている。これが自然につくられたものなのだろうか。

 この世界はほんの少し移動するだけで全く違う一面を僕らに見せつける。僕はこれからもこの異質さについていけるだろうか、不安になった。

 僕がそう辺りを見回している間に、ジンは僕の横で馬を止めた。ジンも今の僕のように肌寒そうに体を震わせている。

「こりゃあ、流石に竜の鎧でもきついぜ。繋ぎの金属部が触れるだけで凍傷になりそうだ」

 僕もたまらず手袋を取り、手を口に当てハーッと息を吐き出す。ところが、肺から吐き出したはずの暖かな息は全く暖かくなかった。それどころか、この気温だというのに吐いた息が白くなることもない。体温はたしかにあるはずなのに、その証拠が何一つなかった。

 なんだか違和感がぬぐえない。空を見上げても、たしかに空は青いには青いのだが、いつもの空と違うような―――

「この先、谷に近づくにつれてもっとひどくなるらしいぜ」

 少し疲れたようなその言葉に、僕は振り返った。

「ひどくなる?それって寒さのこと?」

「寒さもそうだが、色だよ。自分の鎧とか、よく見てみろよ。そんなに色あせてたものだったか?」

 僕は自分の鎧をまじまじと見てみる。たしかにそんな気はするが、それは薄暗いからではないのか―――いや、薄暗いはずはない。太陽は出ているし、日光も当たっている。これが違和感の正体なのだろうか?いや、僕には彩色以外にも、何かが足りなくなっているような気がした。

「そんな気はするけど―――」

 僕は曖昧にかえした。

「まぁ、俺たちに限ったことじゃないからな。太陽の色も、空も、竜の鱗さえ、ゆっくりと色を失っている」

「色を失うと、どうなるの?」

「さぁな。俺も詳しくは知らないよ。命に別状はないし、ここを過ぎればもとに戻るってよ」

 ジンは苦笑いをしながら肩をすくめた。本当のところはよく分かってない、お手上げだと目が言っている。

「とにかく、今は急ごう。少し休憩したらすぐに出発しないと。太陽があるうちにここを通過しないと、凍えた夜はかなりきついからな」

 この世界のまま夜を迎えるということを想像するだけでぞっとした。これだけ寒ければ、普通は雪が降ったり、地面が凍りついたりする。少なくとも僕の今までの経験ではそうだった。だけど全くその気配がない。空気はからっと乾燥し、地面の岩にも全く水気はない。

「世界が薄まっている。ここは存在の傷口かもしれない」

 カンザーがため息まじりにそう答えた。

「―――そうだね。ぼくもそんな感じがするよ」

 カンザーの言葉には頷くしかない。何もかもが、消え入りそうな場所だ。早くここから進みたい衝動に駆られた。薄まってるのは世界だけじゃなく、僕らの存在そのものも、消え入り始めている気がしたからだ。


 谷への距離はそれほどなかった。だがその間に世界は急激に色を失ってゆき、やっと谷が見え始めたころには全ての彩色は完全になくなっていた。あの竜月色に輝いていたカンザーの鱗も、皮のつなぎも、持ってきた果物の色も、白と黒の比率によってのみ表現させるモノクロと化し、そこには現実感などまるでなかった。匂いも全くない。僕らがそこにいるという事実がちょこんと上に乗った絵のように感じた。

 空と呼んでいたその広がりは、白い丸が描かれているだけで、それが普段のように僕らに温かみを与えることはない。灰色の地面はきっとどんな色をしていてもここでは意味がない故に灰色なのだと思った。

 影だけは今までと同じ法則に従って太陽と真逆に伸びるが、黒く塗りつぶされるということ以外の意味を見出すことができなかった。

 そんな幻のような世界にある闇暗の渓谷は、液体が流れる谷という僕の想像とは全く違っていた。遠目では、灰色の大地がある線を堺に突然なんの塗り残しもムラもなく、真っ黒に塗られたかのように見えた。だが僕はそれは錯覚だと思った。今までの常識からして、そんな場所があるはずがない。僕は近づけばそれの正体が分かるだろうと思っていた。

 だけど、僕らが闇暗の渓谷の端と呼ばれるその境界に到着しても、僕には結局その正体がわからなかった。

 それは渓谷と呼べるのか疑問に思えるものだった。遠目で見た錯覚そのままに、今まで単調に続いていた灰色の地盤は前触れもなく途切れ、誰かがここで地面を割ったのではないかと感じるほどに、そのまま90度の崖となっている。

 そのはるか下は、真っ黒だった。真っ暗なわけではない。黒い何かがのっぺりとただ広がっているだけで、それがただひたすら地平線まで続いていた。

「これが、闇暗の渓谷―――まるで漆黒の海だ・・・」

「噂には聞いてたが、とんでもねえ場所だな・・・」

 僕らが発することができたのはそれだけで、あとは何も言えなかった。大地がその場で引き裂かれている光景は、率直に言って絶望感しか感じない。しかしカンザーは何とも思ってないのか、平然と首を伸ばして下を覗いている。カンザーの爪が削った崖の端がカラリと割れて下に落ちたが、破片がその黒い面に触れても音を発することもなければ、液体のように波面を発することもない。なんのリアクションもなかった。

「ここは、世界の終端だな」

カンザーはこちらを見ることなく、下を覗いたまま呟いた。

「まるで、ね。これを見てると自信がないけど、谷なんだよねこれ・・・」

「ここからは向こう岸が見えないが、地平線の向こうにはあるはずだ」

 ジンは自信なさげに嘆いた。だがやがて気を取り直して、馬の荷物に手を伸ばした。

「まずフィードと荷物を向こう岸に運んで、もう一往復で馬と俺を運んでほしい。頼めるか」

「無論だ」

 カンザーは谷の観察をやめ、ゆっくりと頷いた。僕らはすぐに荷物を積み始める。こんな場所早く立ち去りたいと、二人は無言で了承していた。

 ジンは黙々と荷を移す作業に没頭している。街を出ることを決意したジンだけど、まだ前のような明るさは感じられず、事件の影が色濃く残っている。だがジンへの励ましの言葉が全く見つからない。僕もあれを体験したのだ。何を言っても今は無駄であると何となく分かっていた。だからせめて普通に接していこうと思う。多分だけど、ジンも分かっているだろう。

 馬に積んであった分の荷物をカンザーに乗せ、再びカンザーに乗って改めて地平線を眺めるが、このまま対岸がなかったらと思うと身が震えた。

「本当にあの向こうに陸地があるのかな・・・」

「あるにきまってる。幅が広いから今は見えないだけだって」

 僕はその励ましに勇気づけられた。

「降りる地がなくばもどってくればよいのだ、貴兄よ」

「うん、分かってるけどさ」

 僕は初めてカンザーと飛び立つかのようにしっかりとハーネスを握りしめた。

「いくぞ」

 僕が首を縦に振るのを確認すると、カンザーはふっと崖を飛び下りた。

 あっという間に陸地から離れる。それにと共に風の音も小さくなっていった。カンザーの羽が発する甲高い小さな音以外、何も聞こえないし、何も感じない。風の圧力さえ、いまはないように思えた。僕らは今、静かな漆黒の水面の上をゆっくりと滑っているようだった。

 水面から大体2身くらいの低空を飛んでいるために、下がよく見える。こんな速度で飛んでいるにも関わらず僕らの姿が歪みも滲みもなく綺麗に映っていた。表面は全くムラがないのだろう。

 やがて出発した陸地は地平へと隠れ、僕らは二色の世界に取り残された。本当にカンザーは進んでいるのだろうか。もしかして羽を広げているだけで、僕らはずっとここに止まっているのではないか?そう感じてしまうくらいに、ここには何もなく、ある意味浄化されていた。

「貴兄よ、下だ」

 カンザーがじっと、水面に映る僕らを見返している。僕もまじまじと下を覗いた。

「・・・特に何もないようだけど、どうしたの?」

 そう言っても、カンザーはじっと水面を睨み続けている。時々口を開けたり首を動かしたりして、反射する姿を確認しているようだ。

「貴兄よ、この向こうにいるのは、我々だ」

「それはそうだよ。反射した僕らじゃないか」

 僕は水面に映るそれをじっと観察してみた。何一つ違いはなく、完全な鏡像であることは間違いない。

「僕らが映っているんだもん。当たり前じゃないか」

「いや、映っているのではない。この下にいるのは、もう一つの我々なのだ」

「もう一つ?ただの光の反射じゃないか」

「光の反射ではない。存在している」

 どういうことなのだろうか。つまり、僕らと瓜二つな何かが、この下にいるということなのか?

「でも、もしそうだとしてもおかしいよ。もしそうなら、左右逆さまじゃないか」

「そうだ。そして、裏側の我々から見た我々も、表裏逆の存在だ」

 カンザーのいうことが本当だとしたらどういうことなのだろうか。僕らの裏の存在はこの裏側で僕と同じ生活をして、同じようにカンザーに会って、同じように今この瞬間この裏側を飛んでいるということなのか?僕は少し驚いて、もう一度水面を覗いた。向こう側の僕は、僕と全く同じく、少し驚いた表情をして、僕を見つめている。あの僕も今、今の僕のような考えをしているんだろうか。僕は不意に、一つの疑問にぶち当たった。

「じゃあ、どちらが本当の僕なの?」

「その答えは、誰にも答えられないし、見つけることもできないだろう。相反するもの同士が触れれば、互いに消滅する」

 裏の僕に触れようと、僕が手を伸ばした時、不意にカンザーの高度が上がった。前を見ると、出発した崖をまるで鏡に映したかのような崖縁が、もう見え始めているところだった。


お疲れ様でした。

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