侍女たちの裏話
「ねえ、聞いた? お嬢さまの話」
「お嬢さまってどのお嬢さまよ。この家にはお嬢さまが三人もいらっしゃるっていうのに」
「そうねぇ。まず最初に、一番上のお嬢さまの話からでも良いかしら。お嬢さま、この家の跡継ぎじゃない。婿養子もらう予定で親戚のあれ、なんだっけ。伯爵家の令息が婚約者候補でちょくちょく訪問しに来るの」
「ああ、伯爵家の次男ね。あの方、婿養子なのね。養子に入って後継になるのかと思っていたわ」
「そうそう、最初はそのつもりだったらしいのよ。この家、侯爵じゃない。実子とはいえ娘にその重責を負わせるのは旦那さまも悩んだみたいで。でも直前になって取りやめになったんですって」
「え? なんで? お二人、仲良さげにお茶飲んだりお庭の散策したり、たまには絵画展とか観劇にもお出かけになっていたじゃない」
「そうなのよ。途中までは周囲の思惑通りに進んでいるように見えたのだけれど、実はあの令息、他に女ができたんですって。しかもそれが平民。貴族相手ならまだしも、侯爵家でも伯爵家でも即断で拒否するような相手だったらしいの。一過性なら、という希望で様子見していたら、どんどんのめり込んで駆け落ち寸前までいったらしいわ」
「へぇ、勇気あるわね。養子候補の立場で」
「うん、それがね、平民と駆け落ちしても侯爵家の跡継ぎは自分になるって思いこんでいたらしくて、お嬢さまのことを『しつこく縋ってくる鬱陶しい女』って言いふらしたらしいわ。養子なんて、当主の旦那さまが正式に跡目を譲るまではいつでも解消される立場なのに」
「えー、凄い勘違い野郎ね」
「そのうえ、平民との間にできた子供に侯爵家を継がせる手続きを今からするって言い張って、書類作っていたらしいわ。それが見つかって大問題になったんですって」
「そりゃぁ、大問題でしょ。妾の子供に令息の実家を継がせるのならともかく、養子に入った家の跡継ぎなんて、誰が聞いても無理な話じゃない。まんま乗っ取りじゃない。そもそもあの伯爵家、長男夫婦に跡継ぎがいたんじゃなかったかしら」
「そうなのよ。だからもう、婚約の話も養子の話もなし、ってことになったらしいの。まあ、そういう書類を用意する時点で、そういう関係ですって公言したようなものだし、当家の旦那さまにしても乗っ取りを企むような男と関わりたくないってことで」
「当然ね。普通でしょ」
「それがここで終わらなかったのよ。お嬢さまがどうしても結婚相手は彼が良いって言い張ったらしくて。当主の仕事も責任も自分が引き受けるから、彼を夫にしてほしいと旦那さまに談判なさったらしいわ。だから婿養子って話で細く縁が残っているんですって」
「えー、なんで? そんな浮気野郎、思い合う平民に熨斗付けてくれてやったら良いのに」
「ほら、お嬢さまってば旦那さまに似て茶髪でしょ。あれはあれで柔らかくていい色合いだと思うのだけれど、お嬢さまは奥さまの金髪に憧れが強くて、どうしても金髪の子供が欲しいのですって。だから、どうしても相手は金髪の男性が良いって譲らなかったそうよ」
「未婚で金髪の令息なんて、他にも探せばいるわよね。なんで浮気令息一択なの?」
「顔が好みみたい。あのミニチュア版さえ産まれれば、令息は用無しで即刻離縁決定なんですって。普通なら相手の家が激怒する条件でしょうけれど、今回の一件で伯爵家も息子を体よく追い出したい理由ができたから、あんなのでも役に立つのなら有効利用してくれて構わないって言われたそうよ」
「それって無一文放逐決定なヤツね」
「多分ね。その間に平民は処分しておくって双方合意の決定事項みたい。誰だって面倒事は処理しておきたいんでしょ」
「ふーん。私ならずっと一緒に寄り添って生きてくれそうな、金髪の誠実な未婚令息を新しく探しちゃうかもしれないわ。そっちのほうが効率良さそうだもの」
「確かに。高貴な方は考えることが違うのね、きっと。自分の人生まで捨てる覚悟の壮大な嫌がらせよね」
「……捨て身なのは同意するわ。嫌がらせかどうかは知らないけれど。もしかしたら初恋拗らせているだけかもしれないし……」
「そうそう、初恋を拗らせるといえば二番目のお嬢さま、あの方、殿下の婚約者じゃない。妃教育とやらでお城に日参している方」
「ええ、そうね。確か三男の王子に嫁ぐ予定だったわね。王太子殿下の即位と同時に新しい公爵家を興す予定なのでしょ? それまでは王子妃になるから、一応の妃教育ということで。将来的には夫婦で外交を担うとか」
「ええ、そのお嬢さまだけれど、先日、王城でお倒れになったらしいわ。同じくお仕事で登城されていた旦那さまが駆け付けたらしいけれど、そこで判明したのが、異常なレベルの仕事量を担っていたらしいわ」
「えー、それって嫌がらせかなにかで? 嫁いびり的な?」
「それが、違うらしいわ。ほら、お嬢さまは奥さま似の美人なうえに頭脳明晰でしょ。一を教えれば十を知るって言われるくらいの理解力に、一度でも見聞きしたら忘れない記憶力にどんなことにでも興味を持って取り組む前向きさと明るさとで、王子妃候補っていうより、もうどの殿下に嫁がせるか、くらいのレベルで召し出された方じゃない。王太子殿下の婚約者が決定した後だったから次男か三男という選択肢しか残らなかっただけで、側室腹の次男殿下よりも正妃の産んだ三男殿下のほうが年が近いっていう理由で即日決定されたって話だったわ。王族のほうが大歓迎で、いびりとか虐めとかは無縁だったはずよ。お嬢さまが補佐につくだけで仕事量が半減するって、諸手を挙げて迎え入れられた、とか」
「だったらなんで倒れているの、お嬢さま。大事にされているんじゃ?」
「実はお嬢さま、次男殿下のほうに一目ぼれだったらしいわ。でも、先方から三男の嫁にって言われたら拒否できないじゃない、王命だし。そこで考えたのが、仕事上のつながりってヤツらしいわ。周囲に変に疑われないために王太子妃殿下の補佐という名目で手伝いをはじめ、次第に三男殿下の仕事も手伝い、王妃陛下の仕事も手伝い、徐々に信頼と任される仕事を増やし、念願の次男殿下の仕事も手伝うようになってようやく接点ができたのですって。それからは必死で全ての書類を捌きつつ、淡い思いを消化させるべく努力なさっていたとか。それを知らなかった王族の方々は有能な娘ができた、義妹ができた、嫁ができた、と単純に喜んでいて、お嬢さまが過労で倒れるまで知らなかったらしいの、結構な仕事量を任せていたことに」
「……ねえ、ちょっと待って。それだと、お嬢さまの本心っていうか、お気持ちなんか誰にもわかるはずないわよね。だってお嬢さま、過労でお倒れになっただけなんでしょ? 仕事量勘案したら、誰でも働かせすぎただけって思わない?」
「そこよ。お嬢さまがお倒れになってすぐ、王宮医が呼ばれて診察したらしいの。その際、お嬢さまに渡された薬が間違っていて強力な自白剤だったらしく、旦那さまが駆け付けた時に目を覚ましたお嬢さまは、旦那さまの質問に嘘がつけない状態で泣きながら全部を白状させられたのだとか」
「えー……」
「そのうえ、お嬢さまの告白を途中から聞いた三男殿下は激しく落ち込まれたとか」
「まあ、ねえ……」
「王宮という耳目のある場所での告白だったから隠しようがなく、陛下にまで奏上されたらしいわ」
「だからお嬢さま、昨晩からお部屋に籠って出ていらっしゃらないのね。お気の毒に。言いたくもない秘め事を薬の力で言わされて」
「ほら、旦那さまは王太子殿下の派閥の一角じゃない。その繋がりもあって同母の三男殿下の婚約者にお嬢さまが推されたわけで、これが次男殿下に嫁ぐとなったら色々問題があるわけよ。次男殿下には派閥も後ろ盾もないから、比較的自由に軍部のなかで暴れていたわけだけれど、お嬢さまの相手となるとそれでは問題だらけだし。なにより、お嬢さまが王族を謀っていたという疑いもかけられるわけで、旦那さまの立ち位置も微妙になりそうなのですって」
「不幸な事故、という割には反動が大きいわね」
「陛下もね、倒れるほどのすさまじい量の仕事をこなしていたお嬢さまを労わるのが先か、本心を隠していたことを咎めるのが先か、命じた婚約を無難に解消してやるのが先か、決断を迷っていらっしゃるらしいわ。過剰な負担をかけたことに間違いはないのだし、そもそも王宮医が処方する薬を間違わなければ発覚しなかったことだし、全部が全部、お嬢さまの責とするのは躊躇う事案だと仰って。要するに、手放すのは惜しい人材だということなのでしょうけれど」
「王宮医の方は咎められないの?」
「既に身分を剥奪されて城から出されたと聞いたわ。まあ、当然ね。準王族ともいえる三男殿下の婚約者に間違った処方薬を渡したのは、その方の責任なのだから」
「朝から手紙の配達が途切れない理由って、それなのかしら」
「でしょうね。王妃陛下に王太子妃殿下は仕事を任せすぎた謝罪と労い、三男殿下は様子伺い、陛下や王太子殿下は体調を案じるってところじゃないかしら。お嬢さまの過労は捏造でも仮病でもないわけだし、弱った令嬢を急いで無理に引っ張り出すようなことでもないから」
「確かに、喫緊ってわけじゃないわね。反逆罪とも不敬罪とも微妙に違うだろうし。お嬢さまはきっと、外見は奥さま似だけれど中身は旦那さまに似たのね。ワーカホリックっていうの? 仕事大好きで熱心で熱中したら時間を忘れるって、あれ。旦那さまもその気があるし。で、肝心の次男殿下はどんな反応なの?」
「なにも」
「なにもって?」
「早く元気になることを願うって旦那さまに言伝ただけ、らしいわ」
「……なに、それ」
「完全に、義妹予定の女の子ってレベルでしか見てなかったっぽいわ」
「この期に及んで、それ?」
「うん」
「……お嬢さま、お可哀そうに」
「そうね。いくら初恋拗らせていようとも、どうにか諦めようと努力なさっていたのに、こんな形で周囲に露見するのはね。でも評判の才女のお嬢さまは、男を見る目はなかったってことね。この期に及んで相手の気持ちすら理解しようともしない男よりは、傷心を抱えながらでも気遣いの手紙を寄せる三男殿下のほうが、はるかにマシじゃないかしら」
「そりゃ、第三者が冷静に見ればそう判断できるけれど、お嬢さまの思いはそもそも露見するはずがなかったものなのだし、今更隠蔽するのは難しくても、なんとか持ち前の明るさだけでも取り戻して頂きたいわ。すぐには難しくても、いずれ」
「そうそう、隠蔽と言えば一番下のお嬢さまの話なのだけれど」
「まだあるの?」
「そうよ。一番下のお嬢さま、婚約者の悪事を隠蔽さなろうとしたらしいわ。ギリギリのところで旦那さまが気づいて止めたらしいけれど」
「一番下のお嬢さまの婚約者って、確かまだ、お嬢さまと同じ年の十三歳じゃ……」
「そう、同じ年の公爵令息。こっちは軍部も暗部も動いた大きな事件にかかわっているらしく、麻薬とか奴隷とか聞き捨てならない単語が飛び交っていたわ。途中で気配を察知されから逃げて全部は聞けなかったけれど」
「……あなた、一体なにをしているの?」
「いやだ。たまたま通りかかっただけよ。面白そうな話を聞いたら、続きも聞いてみたくなるものじゃない、人間って」
「それは、どうかしら。私、今、猛烈にあなたの口を塞ぎたい気分だわ」
「嫌だわ、一人で良い子ぶっっちゃって。現にあなた、私の口を塞ぐどころか完全に聞く姿勢じゃない、それ」
「私のことはどうでも良いのよ。末のお嬢さま、一体なにをなさったの?」
「だから、婚約者の公爵令息が秘密裏に行っていた麻薬の取引の目晦ましに、ご自分の名でレストランの予約をして取引の場を提供なさっていた、とか」
「なにも知らずに利用されていたわけじゃなくて?」
「うすうすご存じだったらしいわ。良くないことに利用されている、程度には。でも、相手に嫌われたくなくて、予約くらいなら、と思ってしまった、と」
「そんなことをどうして旦那さまが察知できたの?」
「あまりに頻繁に予約をなさるのに、お嬢さまの姿が見えないことを不審に思ったレストランから問い合わせが入ったらしいわ。それで、旦那さまが同日に隣の部屋を抑えるように言って、そこに私兵と張り込んで内情を知り、捜査が始まり証拠を揃え、陛下の前に、という手順ですって。まあ、そうよね。末のお嬢さまくらいの年齢なら、頻繁に予約するのは不自然だし、予約しても姿を見せないのも変だし、それなのに人の出入りはある。なら、家に問い合わせてみようとなるのは自然よ。公爵家は侯爵の名で取引場所の予約をさせて、全てが明るみになった場合は当家の旦那さまに罪を擦り付けるつもりだったらしいわ。隣国と秘かに繋がっていて、国家転覆を目論んでいた、という話だけれど、そこまでの証拠はないそうよ」
「じゃあ、その十三歳の令息とやらも同じ思惑で?」
「さあ、そこまではちょっと。全部聞けなかったって言ったでしょ。でもまあ、お嬢さまに好意はなかったでしょうね、平気で利用していたのだから」
「そうね。利用されたお嬢さまがお気の毒だわ」
「まあね。良くない事っぽいくらいはわかっても、どの程度の悪事か、までは判断できかねないお年頃よね。婚約者に嫌われたくないというのも、わからなくもないけれど」
「結果的には良かったんじゃないかしら。旦那さまが先手を打って止められたのだから」
「それはそうなのだけれど、これらに纏わる良くない話も聞いたのよ」
「どんなこと?」
「お嬢さまたちのような異性を見る目がない女性のことを、ダメンズ好き、と巷ではいうらしいのだけれど、これは不治の病の一つだとか」
「……どういうこと?」
「次に好きになる男性も、その次に好きになる男性も、似たようなダメンズ、要するに駄目男を好きになる確率が物凄く高いのですって。これをダメンズウォーカーとか、ダメンズ製造女と呼ぶのが通説らしいわ。普通の殿方をお慕いしても、いつの間にかダメンズに改造してしまう恐ろしい病の一種で、根治方法がないそうよ」
「そ……そんなのまだ、わからないじゃない。一番上のお嬢さまは他の婿探しをすればいいだけだし、二番目のお嬢さまは王族に嫁ぐという意味では次男殿下でも三男殿下でも変わらずだろうし、末のお嬢さまだって、これから見る目を養えばまだ、間に合う年齢だわ」
「甘いわね、あなた。不治の病、根治方法がない、と言ったでしょ。意識して治せるものじゃないのよ。生まれながらに備わった性癖の一つなのだと思うわ。今後、いくらお嬢さまたちを慕う誠実で立派な殿方が現れたとしても、お嬢さまたちの心は少しも動かないのよ。好みじゃないのよ、本質が」
「それって、どういうことかしら」
「大きな声じゃ言えないけれど、侯爵家の未来が明るくない、と言えるわね。私もあなたも、侯爵の派閥から行儀見習いとしてこちらにお世話になっている身じゃない。情報共有は大切なことだと思うから教えたの」
「……嫌だわ。今夜にでも実家に手紙を書かないと」
「馬鹿ね。手紙なんて書いて証拠を残してごらんなさい。見つかったらそれこそ、とんでもない目に合うわよ。急いで休暇をいただいて実家に帰り、口頭で伝えるのよ。それしかないわ」
「そうね。その通りだわ。教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。下級貴族はいつの時代も中間に挟まれて生き辛いもの。持ちつ持たれつよ」