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ソフィに起こされて目が覚めた。
あの後、子供たちを寝かしつけて部屋に戻った。
身支度を整え、ソフィがお茶の支度をしてくれたのは覚えているけれど、飲んだ記憶はない。疲れてうたた寝をしてしまったらしい。
お腹すいた。お昼ご飯を食べた記憶もないな。
「旦那様がお帰りなのですが」
夕食ね。ちょうどよかった。手紙は見てくれたかしら。きっと彼なら子供たちにとっていい方法を考えてくれるはず。
お出迎えに出ようと鏡の前でほつれた髪を簡単に整えていると、ソフィが「あの」と続けた。
「どうしたの?」
「旦那様と一緒に神官がいらしていて」
「神官? 神殿の? 珍しいお客様ね。お食事なさっていかれるのかしら?」
「二人お見えです。お食事のことはわからないのですが」
「あら」
執事がそういうことの確認をしてない? そんなわけない。侍女に伝えられていないというのもここの使用人としてはありえない話だ。
私が目で問うとソフィが困った顔をした。
「あの、普通のお客様としていらしたわけではないようなんです。奥様をお呼びしてほしいとおっしゃって」
「そう」
あの孤児院が神殿と何か関係があったのだろうか。神殿と関係があってあんなに荒れ果てているというのもおかしな話だけれど。
客が待っているという応接室に向かう。何の用かわからないが、行けばわかるだろう。
部屋に入ると、最初に目に入ったのはフィリップ様の不安の色を帯びた紺碧の瞳だった。
何があったんだろう。そう思う間もなく、座っていた二人の神官が立ち上がり、私の足元にひざまずいた。
「聖女様!」
聖女?
神官の一人が手に持ったものを差し出す。小さな水晶のようなそれは、さっき私の周りにまとわりついていた光の粒と同じ輝きを持っている。
「今、お会いした途端、輝きが一層! 間違いありません、あなたが聖女様だ!」
困惑していると、フィリップ様が説明してくれた。
「昼過ぎに神殿の聖石に聖女の降誕が告げられた。神官たちが光のお告げを読みとって聖女の居場所を確認したら、それがうちだということで、俺のところに連絡があった」
淡々と事情を話してくれるが、その顔はひどく青ざめていて、最近は見なくなっていた暗い表情に戻っている。
「通常聖女の力を受けるのは未婚の女性です。それで使用人の誰かかと思ったのですが誰にも聖石は反応せず、最後に奥様をお呼びしたところ、このように聖石が輝いた!」
神官の一人が続ける。
思わずフィリップ様と目を見かわす。
そう、私たちは完全なる白い結婚である。
「でも、私が聖女なんて何かの間違いでは」
「いえ、聞いたところによりますと、奥様は慰問を熱心になさっていたとか。これまでの聖女様も慈善に力を尽くしてきた方でした」
「準備は整えてまいりました。すぐにでも神殿に来ていただきたい」
「国のために、どうか」
たたみかけるように神官たちは話し続ける。
聖女は神殿で暮らして、国のために祈る。その祈りが国を守る力となる。
結婚することは止められていないけれど。
「あの、神殿に住まなくてはいけないのでしょうか」
「決まっているわけではないですが、神殿のほうが聖女様の身の安全も守れます」
そう、結婚してからも聖女は神殿で暮らすか、王族と結婚して王宮で暮らしてきた。どちらも警備面では万全だ。でも。
「私はここで暮らしたい。きっと、ここでも私は大丈夫です」
もう一度、フィリップ様の目を見る。紺碧の瞳から不安が消えて強い力が灯る。
彼は私の横に立ち肩を抱いて、まだひざまずいたままの神官たちを見下ろした。
「彼女は今までの聖女と違って既婚者だ。夫として彼女を神殿に住まわすのは認められない。ただし、誓おう、私は絶対彼女を危ない目にあわせたりしない」
神官たちがそれですぐ納得したわけではない。けれど彼は譲らず、結局、後日また今後のことを打ち合わせよう、とだけ約束して神官たちは帰った。
正直、賭けだった。
ここで暮らしたい、そう言ってはみたけれど、私はまだ彼の気持ちが自分に向いているのか確信を持てていなかった。だから、神殿に行くことになったらそれも仕方がないと思っていた。
神殿に住んで、会わなくなって、それで彼の気持ちがリリアーヌ様に戻ったり、他の女性の元に行ってしまったら、それはそれで仕方がない、と。
でも、さっきの彼の不安を帯びた瞳を見て思ったのだ。
私はここに居たほうがいいのかもしれない。
彼には私が必要だ。
私を抱きしめる彼の声がささやく。
「どこにも行かせない」
私のことを必要だと思ってくれている。
愛しはじめてくれているのかもしれない。
押しつけられた彼の体の温かさを感じながら、私は口元をほころばせた。