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翌日、言質を取った私は意気揚々と泊りがけ慰問に出かけた。
見送った執事もついてきたソフィも不安そうだったが、ちゃんと了解を得ているとつっぱねた。
行先は遠方の病院である。遠くにあるのでいつも少しだけしか手伝えなくて歯がゆい思いをしていたのだ。
着くとすぐ別行動でソフィには調理場に入ってもらい、私はまずは掃除だ。
今日明日でどこまでできるか。
いつもは廊下を掃くくらいしかできなかったけど、モップ掛けもできた。窓拭きもだ。汚れで曇っていたガラスが光を反射するようになると、かなり満足感を感じる。
近くの宿に泊まり、翌日は夜が明けきらぬ早朝からカゴに洗濯物を入れ、小川まで出かける。
さすがに今日は夕方には帰らないといけないから、昼過ぎにここを出る必要がある。それまでに洗濯を終わらせて、もし時間があったら昼食の配膳を手伝おう。
今日も時間と自分との闘いだな。
勢いこんで洗濯物を小川につっこみ、もんでいると背後からドカカッ、ドカカッと聞こえてきた。
馬の駆ける足音だ。近づいてくる。
何事かと振り返ると、明らかに馬は私に向かって走ってきていた。
馬の背には銀の髪をなびかせた見慣れた姿がある。駆けてくる馬を見て一度は動いた私の護衛たちもそれに気づき、少し離れたところで見守る姿勢をとった。
私の前で手綱がひかれ、いなないて馬は止まった。
「何かありましたか?」
馬を止めるときに反らせた背を戻した抜け殻に聞く。
抜け殻は愕然としていた。
「何かって!? 君が聞くのか? そもそも君は何をしているんだ!?」
「洗濯ですが」
「なんで君が洗濯をしているのか聞いているんだ!」
「慰問に来ていますので」
「慰問って、いつも君は慰問でこんなことをしているのか?」
「まあ、そうですね」
抜け殻はまじまじと私の顔を見つめ、それから大きく息をついた。
「慰問っていったら、普通、お菓子を持っていって話し相手をしたりするあれだろう?」
「最初はそれをしていたんですが、それよりこういうことのほうが役にたてそうだったので」
抜け殻は馬上で頭を抱え、だから手が、とか、ぼそぼそ言っていたが、急に頭からがっと手を離すと馬から降りた。
濡れた洗濯物を持ったままの私の腕を取る。
「帰ろう」
「いえ、洗濯が終わっていないので」
「まだそんなことを! 大体なんで昨日帰ってこなかったんだ?」
「泊まりで慰問に行きたいと言ったら、旦那様は了承してくださいましたが」
「してない、するわけがない! 昨夜帰ったらいなくてどれだけ心配したと思ってるんだ。聞いたら泊まりで慰問に出かけたって言うし。ありえないだろう、まさか」
口ごもる。
「まさか?」
聞き返すともごもごと、クロードが、とか、慰問を理由に浮気、とか、言っている。
クロード、ろくな友人じゃないらしい。
「誤解は解けましたでしょう? それでは、洗濯を続けさせてください。夕方には帰ります」
妻に浮気されたとしても無理もない夫ではあるが、私は探られる痛い腹もないので、堂々と答える。
抜け殻は言い返されて不満そうだったが、私が梃でも動かないことはわかったらしい。
「待つ」
「いえ、先に帰っていただいて」
「待つ。君が帰るまでここで待つ」
そこは譲れないらしいので、今度は私が譲歩した。
その代わり、物干し場を教えて干す係に任命する。このままここで見張られているのも面倒だし。
微妙な顔をされたが、そのほうが早く帰れると言うとしぼった洗濯物を受け取り、干し始めた。意外に器用できれいに干していたが、少し手がすいた隙に草むらに座ると、うとうとし始め、気づいたら横になって寝ている。
もうほとんど終わっていたので、そのまま寝かせておく。
一晩中、馬を走らせてたのかな。たぶん、そう。だって、早朝にここに着いたし。いつもどおり夜中に家に帰ってきて、すぐに出たんだろう。
居場所はわかってるんだから、わざわざ来なくていいのに。
そう思いながらも抜け殻の寝顔を見ていると心が浮き立つ。
いろいろどうかとは思うけど、一応私のことを心配してきてくれたんだ。
帰りの馬車には抜け殻も乗った。
抜け殻が乗ってきた馬はソフィが乗っていくことになった。大丈夫かと心配したが、護衛たちが気を配ってくれているようだ。
様子を見てソフィが疲れていそうだったら、抜け殻に言って替わらせよう。
「さて」
向かいに座った抜け殻は早々に話し始めた。
「いろいろ言いたいことはあるけど、まず、以後、泊まりがけは駄目」
想定内である。残念だが仕方がない。
「それから、慰問の内容は通常のものにしてほしい。君はやりすぎだ。洗濯とかは駄目」
「掃除は?」
「掃除も駄目」
「料理は?」
「そんなこともしてたの!? 駄目!」
藪蛇だった。肩をすくめる。
「回数を減らし、陽の沈む前に家に帰ること。俺も今後は早く帰る。悩んでる場合じゃないっていうことがわかったし、覚悟を決めた。俺が見ていないと君は何をするかわからない」
何を悩んでたんだか知らないが、急に監視する決心みたいなことを語られても。
少しばかり慰問に力が入っているのは認めるが、抜け殻にそうまで言われるのも心外だ。
「たしかに、私がやっていたような洗濯や掃除が通常の慰問の範囲ではないことは認めます。ですが、人手が足りなかったりお金がなかったりするところもたくさんあるんです」
「だからって君が働くだけでどうなるわけでもないだろう」
「根本的に変えていかなくてはいけないことはわかっています。だから、お願いがあります」
以前から考えていたことがある。それには初期投資が必要だった。
私は、抜け殻にそれを話した。
あの、病人ではない人のための個室、あれを商売にしたらという案だ。
ホテルではなくて豪華な病院。いろいろな事情がある金持ちに病院という隠れ蓑を与えて宿泊させるのである。誰でも病気とはいえないような小さな体調不良はある。それを入院の理由にして。
それにはまず建物や設備を整える初期投資がいる。だが、軌道に乗ればいい収入になるのではないだろうか。それを他のちゃんとした病院の運営資金に回す。
もちろん、他の病院が持ち直すまでで、持ち直すようにするにはひとつひとつ見直していかなくてはならないけれど。
「君は自分が変わっているということを自覚したほうがいい」
話を聞き終えた抜け殻はため息をついた。
「そのアイデアは一歩間違えればろくでもないことになる。たとえば犯罪者の隠れ家になりかねないとかな」
「駄目、かしら」
「検討しよう。実際に需要があるか調査する必要もあるし。違法性がない人だけを宿泊させるとすると、今やっているその病院ほどの利益が出るとは思えない。それから、その病院のことは上に報告する。法に触れているとすると放ってはおけない」
望むところだった。あの病院がとりしまられて普通の病院に戻れば地元の病人が入院できるし、今までそこに泊まっていた事情のある金持ちの需要を、新しく作る病院風施設で受けることができる。
「それに、そのアイデア以外にも何かできることがあるかもしれない。まずは状況を整理しないか?」
検討の余地があるのはうれしかったが、自分の考えが甘くすぐには問題が解決しないのもわかった。
「あの、段階的に止めるようにしますが、もうしばらくの間だけ洗濯と掃除と料理を続けたいんですが」
そう言うと抜け殻の顔がものすごくしぶくなる。
「できるだけ早くなんとかしますから」
「ただ働きする人間がいる限り、正しい経営は望めないよ?」
それは。
「どうすれば各々の施設が持ち直せるか考えるほうが建設的だ。俺も協力するから、君は今まで見てきたものを文書にまとめてほしい。それをもとに計画を立てよう」
「はい……」
洗濯や掃除を続けるのは無理そう。仕方ないか、今までそれができたのが不思議なくらいだものね。慰問先の人にも大丈夫かってよく聞かれたし。
でも、ちょっと、びっくりした。意外にも抜け殻が協力的で、ちゃんと考えてくれて。
だって、結婚してからずっと抜け殻は抜け殻だったから。
これは、結婚する前の抜け殻、ううん、抜け殻になる前の、リリアーヌ様に会う前のフィリップ様。
学園で遠い存在だったときのフィリップ様は文武両道で、特に勉強はいつも学年トップだった。
慣例で生徒会長を務める王太子の横で、副会長として学園行事の計画を立てるのはいつも彼で。
鋭い美貌で冷たそうに見えるけど、相談すると親身になってくれる、って同級生の男の子たちが言ってるのを聞いたことがある。女の子はあまり周りに寄せ付けてもらえなかったけど。……リリアーヌ様以外は。
あ、なんか急に冷静になった。
早まっていた鼓動が落ち着く。
そう、抜け殻じゃなくなったこの人は、私なんかが一緒にいていい人じゃないんだもの。
リリアーヌ様に恋焦がれている抜け殻だからこそ、他の人は見向きもしないし、私が傍にいても許される。
いつの間にかフィリップ様は横に座り、私の手を取っている。
ざらざら。私の手は白くてほっそりしたリリアーヌ様の手とは違う。
手をひっこめようとしたら、強く握りしめられた。
「ハンドクリーム、早く取り寄せないとな」
フィリップ様が言った。