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9.成すべき事を成しましょう

カーテンを締め切り、自室でベッドに身を投げ出す。


ズキズキと痛む頭が俺から思考を奪い取ろうと大きく脈打っている。


俺の悩み…そんなものは明白だ。


鈴瀬紫音。たった一人の同級生にこれほど振り回されていると知ったら、柴田はどう思うだろうか。


バカにされる?呆れられる?

それで済めばいい。


俺は大会のメンバーから外された。当然のことだ。


いくら有馬の演奏技術が備わっていたとしても、今の俺の精神状態で演奏をすれば、かえって部に悪影響を与える。


——俺はここにいていい人間ではない。


分かっていた。


それでも俺が甘え続けたのは…有馬の努力を無駄にしたくなかったから。


いくら時報のラッパしか聞いたことのなかった俺でも、有馬が相当優秀な奏者であることは理解できる。

そしてその技術のためにどれほどの時間を費やしたのかも。


たとえ有馬の人格が俺にすげ変わっていても、俺一人の私情で彼の努力を棒に振ってはいけない。


その考えだけが俺を突き動かしていた。


「…決着をつけるぞ」


もう一度メンバーに戻る方法。


トランペッターである有馬の、その途方もない努力に報いる方法。


スマホを手に取って彼の名前を探す。

それはすぐに見つかった。


『有馬?こんな時間になんだよ』

「悪いな。ちょっと聞きたいことがあって」

『聞きたいこと?』


訝しむ声に、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。


「鈴瀬が次に学校に来る日を教えてほしい。お前なら知ってるだろ…佐々木」





数日後。何とか佐々木を言いくるめて鈴瀬の登校日を聞き出した俺は、教室の前で一人彼女を待った。


決着をつける——そのためには、どうしても鈴瀬と話をする必要があった。


「鈴瀬」


彼女は俺の声に少し驚いた様子を見せ、そしてすぐに芸能人らしく笑顔を作ってみせた。


「有馬くん、だよね。何か用?」

「話があるんだ」

「また…話?」


迷いなく頷くと彼女は目を伏せた。


そして数瞬後に再びこちらへ視線が向けられた時、その双眸にはそれまでと違う光が垣間見えていた。





「これを聞いてほしい」


差し出したレコーダーの中には佐々木と俺の会話が録音されている。

それを聞き進めるにつれて表情は曇っていく。


全て聞き終わったであろうタイミングで二人の写真を見せると、彼女は小さくため息をついた。


「…何が言いたいの」


鈴瀬は不安げな視線で呟いた。


「この音源と写真、どうするつもり?」

「…週刊誌に送りつける。俺はお前に復讐するためにこれを手に入れたんだ」


復讐という俺の言葉に怯んだのか、鈴瀬はビクリと肩を震わせた。


ベルタとそっくりな鈴瀬の顔をまっすぐに見据える。


「私、有馬くんに何かした…?」

「鈴瀬は何もしてない」

「じゃあどうして私に復讐なんて…!」


鈴瀬は必死のようだった。


…そんなに大事なのか、この世界が。

俺から奪われお前に与えられたその幸せが。


俺はベルタの幸せのために罪を受け入れたというのに。


「お前は大切なものを奪われなくてはいけないんだ。…俺と同じように」


困惑した視線がこちらを見つめる。


胸元で綺麗に結ばれたリボンが頼りなげに風に揺れる。

その危うさはまるで俺の心中を表しているようで、思わず彼女から視線を逸らした。


「そんなに私のことが憎いなら…どうして私に話したの」


ふと彼女が言った。


「有馬くんが復讐をしたいなら、私に言う必要なんてない。何も言わずに週刊誌にでも送ればいい。それなのに…どうして」


そんなのお前を苦しめるためだ。


…すぐにそう言ってやることが出来ればよかった。

だけど。


喉に言葉が張り付く。


そんな言葉は口から出なかった。


こんなところで日和るな。処刑されたあの時、必ず復讐すると誓っただろ!


俺はベルタに復讐を、



——え?



俺は…どうして証拠のことを鈴瀬に話した?


別に結果は変わらない。隠蔽だってされかねない。

その行動には一つも利点なんて存在しないというのに。どうして俺は…。


沈黙の中で思い出したように鈴瀬が呟いた。


「…異世界…」


以前彼女と話した時に苦し紛れに言った言葉。


この現実世界にはそぐわない空虚な単語に、俺はハッと目を見開いた。


「あなたは前にそう言ってた。もしかしてあなたは…!」

「うるさい!」


獰猛な叫び声が響く。

その声を発したのが俺だと気がついた時には、続く言葉は既に口を飛び出していた。


「俺は!お前に裏切られたんだ!お前だけがこの異世界で幸せになるなんて、俺は許さない!」


呆然とする鈴瀬に背を向けて、俺は走り出した。


言ってしまった。言ってしまった。


俺は何をしているんだ——!


内側に燻っていたものは、口に出した途端後悔に姿を変えた。


俺は執事なのに。

ベルタを、お嬢様を守らなくてはいけなかったのに。


こんなに幼稚で情けない。


行くあてもなく無我夢中で走り続け、気がつけば目の前には見慣れた有馬のラッパがあった。


埃臭い楽器室。そこに屈みこんでケースに手を伸ばす。


音楽室からは部員たちの演奏が聞こえる。

フルートの連符、ホルンのグリッサンド、チューバの地鳴りに腹に響くパーカッション——。


全てが懐かしくすら感じられる。


幾度となく繰り返したそのフレーズに、思わず運指をなぞる。


けれど俺にはそこに加わる権利はない…。


胸の奥底からこみ上げる感情に気がつかないふりをして、俺はラッパを掴んだ。





それからのことはよく覚えていない。


校舎の裏手でただひたすらにラッパを吹き続けた。


何度も何度も、微かに聞こえてくる部員たちの演奏をかき消すように音を鳴らす。


頭の中に正体不明の熱がぐるぐると渦巻いて、自分が自分でなくなったような感覚に陥りながら、俺は唇を震わせた。


我に返ったのは俺を呼ぶ声が耳に届いた時。


ラッパを下ろした俺に息を切らしながらしがみついたのは、ちょうど練習に出ているはずの佐々木だった。


酸欠気味の中に見えたその顔は——涙に濡れていた。


「有馬ッ…!どうしよう、俺…!」


訳も分からないままに荒い呼吸を繰り返す佐々木に水を渡し、少し落ち着くのを待つ。


その様子にただならぬものを感じながら、何があったのかと尋ねると、佐々木は震える声で告げた。




「鈴瀬が事故にあって…死んだんだ」

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