5.お話があります
それから各部員はコンクールに向けて練習を始めた。
元々かなり厳しかった練習メニューをさらに増やして、遅くまで学校に残っている。
そしてそれは演奏だけではない。体力をつけるために校庭を走る者や、別のスポーツをやっている者もいると聞く。
全員が本気でコンクールに向かっていき、俺も自然と鈴瀬のことを忘れかけていた。
しかし。
パートごとの練習に向かうために、ラッパを手に取って廊下をぼんやりと歩いていた時のことだった。
ふいに聞き慣れた声が、ざわめきの中で俺の耳を刺激した。
咄嗟に声のした方へ視線をやる。
間違えるはずがない。俺が幼い頃からずっと聞き続けた声。
この声は、
「お嬢様ッ…!」
人混みの先に見えたのは、たしかに佐々木のスマホの待ち受けと同じ容姿の彼女。
鈴瀬紫音がそこにいた。
ベルタと呼ばれた頃の美しく輝く金色の髪や薄いスミレ色の瞳はなく、周りの女子と同じような黒髪に茶色い目をしている。
けれども雪のような白い肌も、その優しげな表情も、お嬢様と慕っていた頃と変わらない。
俺が驚愕に動けないでいるうちに、鈴瀬は友人との会話を終えてどこかへ行ってしまった。
慌てて後を追い、図書室に通じる廊下に彼女の後ろ姿を見つける。
「お嬢…いや、鈴瀬!」
俺の声にピタリと足を止めると、鈴瀬はゆっくりと振り返った。
「あなたは…?」
「俺は有馬菊です。同級生の」
「有馬、くん。私に何か用でも?」
慈愛に満ちた様子で鈴瀬は笑う。
俺はなんとか胸の中のどす黒い感情を抑え込めて頷いた。
「…お話があります」
立ち話もなんだからと校舎の隅のベンチに移動すると、鈴瀬は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい、この後すぐにお仕事があるからあまり時間はないのだけど。ご用件は?」
「あ、えっと、その…」
勢いに任せて飛び出してしまったから、具体的な話の内容など考えていなかった。無論聞きたいことことは山ほどあるが、いきなりそれを問うのは無礼ではないか。
一応前世で執事として働いていた身としては、そんなことも気にしてしまい、上手く話し出すことができない。
俺が口ごもっているのを見て、鈴瀬は更に小声で付け加える。
「付き合ってほしいとかそういうことなら、私は…」
「い、いえ!俺が言いたいのは決してそのようなことではない…から、安心しろ」
語尾がおかしいのは許してくれ。
前にしているのは仮にも前世でお仕えした人…またはそのそっくりさんなのだ。
どうしても敬語の癖が抜けない。
「では何なのです」
明らかに不審者を見る目を向けられている。
背中に伝う嫌な汗を気にしながら、俺はもう聞くしかないと腹を括った。
執事だとか何だとか、もう知ったこっちゃない。
「…す、鈴瀬は、異世界転生を信じてるか」
——その言葉を聞いた瞬間、鈴瀬の目が変わった。
先程までの余裕を捨てて信じられないといった様子で固まっている。
「…なんで、そんなことを」
「いや、なんて言うか…か、歌手って俺ら庶民とは趣味とかも違うのかなーとか…」
我ながら苦すぎる言い訳だ。
しかしここで俺がクレーヴェルであると気がつかれる訳にはいかない。
先程の反応を見るに、やはり鈴瀬紫音はベルタと同一人物なのだろう。何らかの形で彼女もまた俺と同じ世界に転生したのだ。
鈴瀬は俯いたまま押し黙ってしまった。
そりゃあそうだろう。何せこちらはベルタとは違って、容姿は前世とは全く異なっているのだ。
俺は有馬菊という人間の体を引き継いだだけ。
目の前の見知らぬ男が自分の殺した執事だとは彼女も思うまい。
双方がどうしようもなく気まずい沈黙を味わっていると、ふいに鈴瀬のスマホが着信を告げた。
「ごめんなさい…マネージャが着いたみたい」
そう言って鈴瀬はスッと立ち上がる。
風に煽られて彼女のスカートがふわりと揺れた。
「じゃあ、またね」
ニコリと笑って立ち去る彼女の後ろ姿を呆然と見送る。
たった数分話しただけだ。それなのに、俺は鈴瀬の一つ一つの仕草に前世の最期を思い出していた——。
『私の為に死んでくれてありがとう』
ベルタはそう言って残酷に笑った。
己の立つ大地が揺さぶられるような感覚。
あの時の絶望が、忘れかけていた憎しみがふつふつと湧き上がった。
閲覧ありがとうございます!
初めまして、シフヰです。細々と自分の好きなものを書いているだけの私ですが、本日初めてブックマークなるものをつけていただきました…!
嬉しい…本当にありがたいです…。
こんな底辺作家なシフヰではありますが、これからも活動は少しずつ行っていきたいと思いますので、評価等していただけると嬉しいです!
続編もよろしくお願いします!次はクルーヴェルとベルタの過去のお話!




