2.大会に出てみようと思います
県立ホールには案外あっさりと辿り着くことができた。
というのも、人の流れに沿って歩いていた俺は、有馬の友人その2と思われる人に助けられたのだ。
彼の名前は柴田…ということは翻ったブレザーの名前から分かった。しかし、俺には柴田と有馬の関係性が分からない。
声をかけたくらいだから、仲は良いのだと思っていたのだが…先程から全く会話がない。
これはむしろ犬猿の仲なのだろうか。そういう匂いがビンビンする。前を走る彼は今もどす黒いオーラを引っ込められていない。
「あの…柴田くん…」
「あ゛?」
ヒェッと言いたくなるくらい凄みをきかせた視線を向けられてしまった。
何かマズかっただろうか。妹が佐々木をくん付で呼んでいたからそれに倣ったのだが…。
「チッ…」
こ、これはマズいやつだ!間違いない!
こんな恐ろしい表情をする奴は、前世では盗賊くらいしか見たことがない。
思わず怯んだ俺に、柴田は足を止めた。
殺されるのか俺…!?
「…有馬、お前今日はやけに静かだ。いつもの威勢はどうした?」
ホールの敷地内は既に多くの人で賑わっている。
やはり柴田、恐るべし。あまりに怖すぎて、周囲の視線まで集めてしまっている。
しかしこの状況は圧倒的に俺の不利だ。
まず俺はいつもの有馬とやらを知らない。下手に喋ればそれがバレてしまう。
俺の正体を何と説明すればいいのかも分からないし、そもそも俺はこういう力勝負系の奴とは戦いたくない。
どうしようか…と答えあぐねていると。
「おーい有馬!柴田ー!」
先程の声だ。電話越しに聞こえていた声。
すると…佐々木、か。
見たところ十七、八くらいの健康的な男子。この場の険悪な雰囲気にも関わらず駆け寄ってきたあたり、コイツは有馬と柴田の諍いにも慣れているようだ。
「間に合ってよかった…もう大会始まんぞ」
「わ、悪い」
「ったく、柴田は遅刻しすぎだろ。前回も会場着いたの直前だったし」
「うるせぇな…間に合えば問題ねぇだろ」
柴田のオーラが少し薄らいだような気がする。とりあえず危機は回避できたようだ。
佐々木から渡された赤い布切れのようなものを受け取り、柴田はどこかへ行ってしまった。
「ほら、有馬もこれつけて」
見れば佐々木に限らず、周りにいる人は皆同じ布切れを服につけている。
これはきっと何かの証明書代わりなのだろう。前世でいう兵隊の徽章のようなものか。
歩き出した佐々木についていくと、一様に楽器を手にした人々の集まっている部屋に辿り着いた。
「急がないとチューニング間に合わないぞ」
「チューニング…?」
何だそれは、と思うより先に、明るい金管楽器の音が耳を貫いた。
思わず音のした方向に振り向くと、そこにはラッパを鳴らす柴田の姿があった。銀色のラッパが天井の照明を反射している。
あれと同じものは前世にもあった。城で毎日時報として吹き鳴らされていたものだ。
しかし柴田の音はそれとは全く違う。
もはや種類の異なる楽器から出ている音かと見紛うばかりの澄んだ音だ。先程までの剣呑な雰囲気からは想像もつかないような真っ直ぐな演奏なのだ。
「…すごい」
柴田の音に突き動かされるようにして、俺は佐々木に手渡されたケースを開いた。
何とかチューニングを終えて一息ついていると、数人の女子が俺の方へ近づいてきた。
「あの、菊先輩」
菊先輩…というのは俺のことか。
俺の氏が有馬であることは間違いない。ということは、菊というのは俺の名だろう。
俺の名前はどうやら有馬菊というらしい。
そういえば佐々木や柴田も、他の者から別の名で呼ばれているのを聞いた。
「何か用か」
先輩というからにはこの女子たちは俺よりも年下のはずだ。それなら敬語でなくて問題ないだろう。
「あの、ここのパートなんですけど」
渡されたのは音符の並んだ紙だった。
いや、俺にもこれが楽譜だということは分かる。だが待ってくれ。
…俺、楽譜の読み方知らないじゃん。
前世ではお嬢様がヴァイオリンを嗜んでいたが、俺にはちんぷんかんぷんなのだ。
「この五十一小節目のニュアンスが…どうしても先生の言うことが納得できなくて」
なるほど、安心したことに彼女が俺に相談したいのは音の問題ではないらしい。
ニュアンスといっても俺は以前出されたのであろう指示を知らない。だが、丸い文字で書かれた『厳かに(?)』という表記から、彼女がそれを疑問に思っていることは理解できた。
先生の言うこと…か。
楽譜の右上に書かれた名前を盗み見て答える。
「えっと…川島、は、どう思ってるんだ」
「私はもっと情熱的に吹きたいんです。だってここって私たちの見せ場だし。でも先生は取り合ってくれないから」
解釈違いか。正直俺にはよく分からない。
しかし一つだけ言えることがある。
「たしかに川島の言いたいことも分かる。だけど、先生だって何かしら根拠を持ってその表現を指示しているはずだ。少なくとも俺は、先生の指示に従っておくのが吉だと思うな」
川島は不服そうな顔をしていた。
そりゃあそうだろうな。自分の感性が他人と違うということは、さらにそれを押しつけられるということは、案外と辛い。
俺だって、前世では…。
「まぁそんな顔しないで。感情だけじゃなくて、根拠を持って主張できるようになれば、きっと先生にも話を聞いてもらえるはずだよ」
そう諭すことは、果たして彼女のためだろうか。それとも…俺のため、だろうか。
前世、俺が最期に学んだこと。
“己より上の者に反逆するのは美しいものなどでは決してなく、無謀で愚かなことである”
そのために俺はこの身を滅ぼしたのだから。




