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13/13

13.白い花は幸福に咲き誇る

それから数週間が経った。


死に物狂いで練習を積んだコンクールは無事に終わり、納得のいく結果を得た。壇上で賞状とトロフィーを抱えた柴田が涙ぐむのを見て、こちらまで頬が濡れていた。


たとえここにたどり着いたのが俺の力ではなくても、なぜだか胸の内を満たしたのは達成感だった。


明日には全校集会で凱旋演奏をしなければならない。興奮を抑えて舞台上のセッティングを進めていた、その時だった。


重たい金属音と空を切る何か。黒く大きな塊が上から降ってくる。そしてその下にいたのは。


「ーー佐々木ッ!」


思い切り伸ばした手が確かにその背中を押す。よろけた佐々木がこちらへ振り返ると同時に、俺の背中の右側に強烈な痛みが走った。


固く瞑った目をそっと開けると、白んだ視界に紅い鮮血が広がっていた。そして遠くで有馬の名前を必死に呼ぶ声が聞こえた。


大丈夫か、だとか救急車を、だとか、何だかとても煩い。


クレーヴェルとして処刑された時とは違う痛み。嗚呼それにしても、死の苦しみを二度も味わうだなんて、俺はそんなに酷い人間だっただろうか。


いや、酷かったな。何せ俺は大切な人を幸せにできなかったのだから。幸福を願っておきながら、俺のしてきたことは何だ。


ただの傲慢に他ならない。


霞んで色を失っていく景色の中に、ふと柴田らしき影が映った。


「有馬、聞こえてるか」


聞こえるも何も、俺は死にかけているのに。心配する素振りくらい見せてくれたっていいじゃないか。


まあ、こんな状況でも冷静なのは柴田らしいけれど。


「……クレーヴェル」


小さな声で呟かれたその名前にハッとする。なぜ、柴田が俺を知っている。

そう問いたくても声は出なかった。


「なあ。お前はさ、次こそは幸せになれよ。……賢者様が願ってやるから」


その言葉に、ロイヤルブルーのローブが脳裏をよぎった。金色の切れ長の目はいつも俺の心を読んでいるようでどうも苦手だったが、間違いなく前世のベルタを救った一人。


混沌へ落ちていく意識の隅で彼の言葉が響いた。


「どうかお前の魂に大いなる祝福を」


それを最期に、俺の意識は完全に途絶えた。






太陽の光が辺りを照らし出す。夏の風がふわりと服の裾を揺らし、その足元には色彩豊かな花々が咲き誇っていた。


「行ってきます!」

「遅くならないように気をつけるんだよ」


母親の言葉を背に聞きながら、俺は家を飛び出した。


城下町から少し離れた田舎の小さな家。畑仕事をする両親と妹に囲まれて、三度目の人生は幸せだった。


行く手を阻む川を慎重に渡る。近くに住む友人たちなら簡単に飛び越えていけるはずの小川に俺がゆっくりと足を伸ばすのは、この右目のせいだ。


生まれつき右目が見えない。だから立体的な遠近感を掴みづらいのだ。


ちょうど前世で死んだ時に傷を負った右目。そこに欠陥を抱えて生まれたのは、きっと幸せな転生の代償だろう。


川を渡った先に広々とした向日葵畑が見えた。黄金の花が精一杯光を求めて首を伸ばしている。

よく見慣れた光景。昨日も一昨日も、その前の日もここで遊んでいた。


しかし今日は何かがいつもと違う。違和感の正体を探すと、畑の中に佇む一人の少女を見つけた。


「何してんの?」


そう声をかけると、彼女が振り返った。麦わら帽子から流れる美しい髪が肩にかかる。


「……ただ見ていただけ。花が綺麗だから」

「他の子たちと遊ばないの?」

「私と遊びたがる人なんているわけないよ」


左目が見えないの、と彼女は続けた。


切なげな表情をそうっと覗き込む。そんな俺に気がついて、彼女は笑ってみせた。


これは強がりだ。そのくらい俺にだって分かる。


自分と他人の間に線を引くようなその笑みに、俺は思わず俺も、と呟いた。


「俺も見えてない。右目だけど」


少し驚いたような表情を浮かべた彼女の言葉を遮って続ける。


「近くに住んでる奴らにはバカにされる。たしかに川とか飛び越えらんないし、右目がどこ見てるか分かんないとか、よく言われる」


俯いた彼女にも思い当たることがあるのだろう。

けれど俺が言いたいのはそうじゃない。


「でも、今幸せだって心から思う」


言いきれる。俺はこの世界で一番幸せを知っているから。


震える手にそっと触れる。その姿に俺が幸福を願ったあの人に重なった。


向日葵色のドレスを着たあの人に。


だから今この言葉を伝えたい。二度も失敗したけれど、今度は間違えないから。


だから。


「この世界で、君も幸せになれるよ」







二人の足元に、小さな白い花が揺れていた。

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