12.王女からの手紙(下)
裁きの間の扉が重苦しい音を立てて開く。
目の前には衛兵に捕らえられ、王座の前に平伏するクレーヴェルの姿があった。
『裏切られた』
信じられないものを見るようにこちらに向けられた瞳からは、彼がそう言っているのが明確に伝わる。
そう…私は彼を裏切ったのだ。
たとえそれが私の彼を大切に思う気持ちの結果だとしても、行為に変わりはない。
大臣の手が回る前に彼を処刑させなくては…。
お父様や衛兵に本当の目的を気取られないように無慈悲の表情を作り、彼に歩み寄った。
「…ふ、いい気味ね。私の婚姻の邪魔をして、さぞかし私が憎かったのでしょう。でも残念。私があなたの怪しげな行動に気がつかないとでも?」
「お、嬢様…」
掠れて震えた声に思わず涙が零れそうになる。
極刑を免れさせるためとはいえ、今この時、彼を傷つけているのは私だ。
その事実がどうしようもなく…痛い。
それでも私は冷酷を装わなければならない。
「絞首刑、ね。随分と優しい刑だこと。私の悲しみがあなたに分かって?それはもう…極刑に値するほどの怒りを。でも、そうね…これで国中の民は私を悲劇のヒロインに仕立て上げる。そうしたら更に王室の支配権の拡大も進むでしょう。あなたも少しは役立ったわ」
「お待ちください、お嬢様!」
これ以上彼と向き合って話してはいけない。私は咄嗟に踵を返した。
「あなたは私を生かす代わりに処刑されるのです。これぞ最高の死…裏切り者のあなたには、勿体ないくらいね」
「そんな!私は、お嬢様のために…!」
だって私には耐えられない。
私がいつも羨んでいた、透き通るように白く美しい肌に、今は血が滲んでいる。
荒縄で縛られた手は私の髪を優しく撫でてくれたものだ。
震えているその喉から発された数えきれないほどの励ましの言葉に、私は何度救われたことだろう。
全部昨日のことように覚えている。
私の大切な人——。
「さようなら、クレーヴェル。私の為に死んでくれてありがとう」
衛兵に引きずられていく彼の後を追って広場に出ると、そこには大勢の人々が彼の処刑を見ようと集まっていた。
人混みの後ろに佇む私を護衛するのはルドルフだ。しかし握りしめられた拳は震えている。
首に縄をかけられたクレーヴェルを見る彼は、冷静さをどこかへやってしまっているようだった。
そして大きな歓声の直後に私が見たのは——宙に揺れる彼の肢体。
だらりと力なく縄にぶら下がるその姿に、ついに堪えていたはずの涙が零れ落ちた。
クレーヴェルの亡骸が回収されると集まっていた民衆も散り散りになり、私はルドルフに一人にするようにと頼んだ。
悲しげな表情を浮かべつつもルドルフは城へ戻る。
誰もない静まり返った広場、その正面に据えられた絞首台の下に立つ。
彼の命を奪った縄が依然としてそこにある。
胸に湧き上がったのは“怒り”、“悲しみ”、そして…“覚悟”。
初めからそうしようと決めていた。
彼の幸せを願った私はまた、代償を支払わなければならない。
私の卑劣と傲慢に罰を——。
絞首台の下には小さな白い花が咲き誇っていた。
「お話があります…お父様」
疲れきった表情で王座に腰かける父の前に膝をつく。
娘の婚約の儀を控えた今日、その執事であるクレーヴェルに裏切られたのだ。当然だろう。
しかし無気力な彼の瞳は、その眼前に一枚の紙切れを突き出すと大きく見開かれた。
「これはッ…どうしてお前が…!?」
「インクを鑑定すれば、これがいつ書かれたものであるか分かるでしょう」
それはクレーヴェルの告発状の元となった、私の直筆の調査書だ。ここには全ての真実が書かれている。
わけも分からず動揺する父に告げる。
「私はクレーヴェルの告発について、虚偽の申し立てを致しました。ドレンジアの罪は真実です。私が…クレーヴェルを殺しました」
ざわりと空気が揺れた。誰もが信じられないといった様子で私を見つめている。突き刺さるいくつもの視線が私の言葉の真偽を見定めているのが分かった。
ドレンジアの贈賄を証拠づける物はない。ここにあるのは私の罪の証拠だけ。
「…鑑定を」
王の言葉で、紙切れが賢者であるルドルフに手渡される。震える手はそのインクを鑑定することを拒んでいるようだった。
しかし王の命令に背くことなどできない。
紙に手がかざされると、仄かな光と共に数字が浮き上がった。それはインクの使われた最後の日付。クレーヴェルの告発状より遥かに前のものだ。
もはや私の罪は疑いようがない。
そう…初めから、こうするのだと決めていたのだ。
私のために罪を負ったクレーヴェルを無慈悲に裏切るのならば、相応の罰を受けなければならない。
「どうか私に裁きを」
私の罪は“虚偽の告発”、“国家反逆示唆”、そして“殺人”。これだけの重罪を犯したのだ。彼が理性に従うならば、結果は見えている。
顔を歪め、目じりに涙を貯めて、王は宣告した。
「王女ベルタ——お前を極刑に処す」
幼い頃から慣れ親しんだ城の、未だ立ち入ったことのなかった最深部。冷たいレンガの壁には明かりも灯らず、床には怪しげな紋様が刻まれ、ただ果てしなく広々とした部屋だ。
鎖に両手を縛られた私は、その中心部に立ち尽くしていた。
王たちは入口の近くでこちらを見守っている。苦しげな表情は私にとっても辛いものだ。
「これより異世界送りの儀式を執り行う」
周りを取り囲む魔道士たちが床の紋様に魔力を注ぐと、怪しげな光が私を照らし出した。徐々に近づく光源が足元を飲み込んでいく。未知の感覚に恐怖を煽られながら、私は目を閉じた。
…クレーヴェル。私の大切な人。
あなたに教わったことは数え切れない。
こうして罰を受けようという今も、脳裏に浮かぶのはあなたの優しい笑顔。
『どんな時でも王女らしく、気高くあるように。誇りを持つように。たとえ偽りの強がりでも、それはきっとあなたを強くする』
私はいつでも上を向く。そして美しく笑ってみせる。あなたの教えが私を強くするから。
私はあなたを裏切った。今更許してだなんて言えない。だからこれだけを祈らせて。
あなたには幸せであってほしい。私が次に目を覚ました時、何処にいようとも。
呪文が唱えられるその瞬間、強く願う。
天界の支配者たちよ——。
「どうか彼の魂に大いなる祝福を」
薄れゆく意識の中、最期に私の目に映ったのは、彼から贈られた向日葵色だった。
向日葵の花言葉は、“私はあなただけを見つめる”。




