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10.幸せを願う者

校門にできた人だかりが事態の異常さを物語る。


近所の住民やパトカーや救急車だけではない。どこから情報を掴んだのか、マスコミのカメラもズラリと道に並んでいた。


『こちらが事故現場です。今からおよそ一時間半ほど前、歌手の鈴瀬紫音さんが大型トラックに跳ねられ、病院へ搬送中に死亡しました。警察は、事件性については明言しかねるとの見解を示しています…』


誰かのスマホから流れる臨時ニュースが、騒がしい教室の中で途切れ途切れに聞こえてくる。


俺は現実味のないアナウンサーの声をただ呆然と辿った。


鈴瀬の事故を受けて、校内にいた生徒たちは報道の集中砲火を避けるために数ヶ所に集められ、下校のタイミングを伺っていた。


俺と佐々木も例外ではない。


一年生の教室に押し込められて、非日常に高揚と不安を織り交ぜたような空間に口をつぐんでいた。


隣に座る佐々木は先程からずっと鈴瀬の写真を見つめている。


ハイライトを失った瞳は少しも揺るがない。


「…大丈夫か」


虚ろな姿を見ていられなくて思わず声をかけると、佐々木は唇を歪めて笑った。


「俺が大丈夫に見えるか?」


一見落ち着いているような、静かな声音でそう言う。しかしその声には悲しみや怒りや…数え切れないほどのたくさんの感情が絡みついている。


佐々木のまとうどす黒く重たいオーラに思わず息を呑んだ。


同時にとてつもない大きさの後悔が俺を襲う。


俺が最後に投げつけた言葉は——




『お前だけがこの異世界で幸せになるなんて、俺は許さない』




前世、ベルタが王妃に望まれたのは不幸だった。


彼女の産まれる二年前のこと。彼女の母親は側室として王に嫁いだ。


地方の貴族の娘である母親は慈悲深くて器量もよく、王は正室の王妃を差し置いて彼女を愛するようになっていった。


ベルタは寵愛を受けた母親に似て美しい。王妃は自分から王の愛を奪った母を憎み、そしてベルタさえもその嫉妬を向けられていたのだ。


ベルタを王妃から守るために執事の命を拝したのが専属執事クレーヴェル。


前世の俺だ。


寛容に忍従する裏で涙を流す姿を見て、ベルタの幸せを願ったのは間違いなく俺であったのに。


その願いを裏切られ、俺はベルタに不幸を望んだ。


かつての王妃のように。


『お前は鈴瀬紫音を殺した』

『あの人が死んだのはお前のせいだ』

『鈴瀬紫音は——第三王女ベルタは、お前にその幸せを奪われた』


耳元でそう囁く声が聞こえる。


やめろ…やめてくれ!

これ以上俺を振り回さないでくれ!


俺が望むのは、お嬢様に与えられるようにと毎日願ったのは…!


かき乱された思考の果てに、俺は——。





ゆっくりと浮上する意識とともに辺りが明るくなる。


霧の中に霞んでいた意識と視界は、瞬きと共に鮮明さを取り戻していく。


薄らと漂う薬品の臭いに白いカーテン。

気がつくと俺は保健室の真っ白なベッドに横たえられていた。


どうしてここに…。


「…有馬」


その答えは声の主が教えてくれた。


「佐々木…?」


ベッドの横に据えられた小さな丸椅子の人影がスクリと立ち上がる。


表情に影を落としたまま佐々木は言う。


「お前が教室でいきなり倒れたからここに運んだ。多分先生もすぐ戻ると思う」

「そうか。ありがとな」


佐々木は俺の言葉に迷うような仕草を見せた後、椅子の足元に置かれた鞄から何かを取り出した。


丁寧な文字で彼の名前が書かれているのが見える。


…鈴瀬から彼に宛てられた手紙だ。


そのことを察して、俺はどうしようもない後悔の念が再び胸中に湧き上がるのを感じた。


どう声をかければいいのだろう。俺のせいで死んだ鈴瀬の恋人に。


俺がどれだけ謝ったところで鈴瀬は生き返らない。俺が佐々木から鈴瀬を奪ったことに変わりはない。


そしてそれは彼も同じ。


きっと彼も、伝えたいこと…伝えなくてはいけないことをどう表せばいいのか分からないんだ。


互いが互いへの言葉を探す。


その静寂の均衡を先に破ったのは佐々木だった。


「…鈴瀬は…」


掠れた声がポツリポツリと話し出す。


「校門を出たところで大型トラックに撥ねられて死んだ。左側を強く打って…救急車が着いた時にはもう死にかけてたらしい。葬式は近親者だけでやるって。今俺が知ってるのはそれだけだ」


俯いて視線も交えないまま、淡々と事実を話す。


それは普段の表情豊かで明朗快活な彼からは想像もできなかった姿だった。


「…そうか」


辛うじて口に出したのはそれだけ。


何となく彼の話す言葉を遮ってはいけないような気がした。


「…俺、これでも鈴瀬と付き合ってたんだぜ?それなのに…俺はたったこれだけしか知ることができない。許されないんだ」


震える声にハッと顔を上げる。


俯いた佐々木の頬を一筋の涙が伝っていく。握りしめられた拳が行き場を失い、アイロンのかけられた制服に皺を寄せた。


「悔しい…何もできないのが悔しい…!俺は鈴瀬の幸せを願っていたのに…」


幸せ——なんて重い言葉だろう。


俺がベルタに、そして佐々木が鈴瀬に願ったもの。

その言葉の意味は一口に語りうるだろうか。



…俺は知っている。


幸せは誰かを犠牲にしなければ手に入らないということを。


大切な人の幸せのために、例えその犠牲がどんなに大きくても、それを背負う覚悟があるのか。


佐々木に——いや、俺に。


堰を切ったように涙を流し、それを拭うこともせずに手紙が俺に差し出される。


「——ッ!」


中に入っていたのは佐々木宛ての数枚の便箋と…もう一通の手紙。


向日葵色の封筒の表紙に書きつけられた文字は、俺にとってはこの世界に来る前、ずっと慣れ親しんできたものだった。




『クレーヴェルへ』




それは俺に宛てられた——ベルタからの手紙だった。

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