決意〜Goodbye everyday〜
決意〜Goodbye everyday〜
はっきりと見えた。私を襲う悪霊の姿を。
路頭に迷い、食い扶持もなくなった私に与えられた選択肢は「ひとつ」しか残されていなかった---。
スセリはサトミとヨシキに保護されてそのまま家へ戻った。
スセリの家はマンションの七階にある。部屋の鍵を開けて中に入り、サトミとヨシキを招き入れた。
「怪我はない?」
「はい。本当にありがとうございました」
「それでどんな感じだったの?」
「初めて会った悪霊と同じでした。今度ははっきりと見えました」
スセリの言葉を聞いてサトミは頷いた。どうやらヒジリが言った意味がわかった。本当にスセリには一般人であるにも関わらず悪霊が見えるという一種の才能があったのである。
宝の持ち腐れにはしたくない。ヒジリの考えがわかる。
するとサトミがスセリに聞いた。
「会社はどうだった?」
サトミの言葉にスセリは硬直してしまった。スセリの硬直を見た瞬間、事情を知らないヨシキも何かを悟った。
「どうやらあまりいい報告を聞ける様子じゃなさそうだぜ」
スセリは持っていたカバンから解雇通告の書類を取り出した。それを見たサトミとヨシキは全てを察した。あの夜に起きてしまった不運な過ちが一人の女性の人生を引き裂いてしまった。
スセリは絶望感でいっぱいだ。今後どうやって生活していけばいいのだろう。今借りているこの部屋も当然のことながら家賃がかかっている。家賃くらいなら学生時代にアルバイトで荒稼ぎした分でなんとか払える。しかしそれ以外の生きていくための術が全てできなくなってしまう。
完全な八方塞がりである。
「まあ僕たちの仕事はマイナーな仕事だからな。しかも今は発達している科学がある。悪霊なんかは科学信者から見れば、単なるオカルトでしか見られない。信じてもらえないのはよく分かる。だが、これは理不尽極まりないな」
ヨシキも湧き上がる怒りを抑えているように見えた。
するとサトミはスセリがヒジリから浄化師としてスカウトされていることを伝えた。それにはヨシキも驚いていた。浄化師としての訓練も受けていない一般人だ、とヨシキは言う。それはサトミもあまり納得していないが、ヒジリがスカウトした理由を明かした。
「阿部さんには悪霊の姿がはっきりと見えているの」
「マジかよ。浄化師の訓練も受けてねえのにか?!」
ヨシキが驚いている。そこまで驚いているということは本当に稀な状態なのだろう。スセリはそんな自分がなかなか受け入れ難い。なんせ悪霊が見えるといったものは嬉しくない。
「でも、悪霊が見えるって点で浄化師になれる条件一個クリアしたようなもんだろ。あとは浄化武器の扱いに慣れて悪霊をバンバン浄化してくれればいいんじゃねえの?」
ヨシキが言った。
ヨシキの言葉にスセリは顔を上げた。自分にはハードルが高いものだと思っていた浄化師。しかし悪霊が見えるという条件を達成している時点で浄化師の素質は十分にあった。
「スカウトの件、もう少し考えさせてください」
「無理強いはしないわ。でも、私はあなたが来てくれれば嬉しいし教育係も引き受けるわ」
サトミはそう言った。
その後二人はスセリの家を出て行った。
スセリはベッドに腰掛けた。そして脇に置いてある写真立てをチラッと見た。そこに写っているのはまだ幼いスセリ。三歳くらいだろうか。そしてスセリを抱きかかえる母親とその隣には父親が写っている。
「どうすればいいんだろうね」
写真に向かって話しかけた。
スセリは結局答えを見出せないまま夜を明かした。
翌日。
日本御霊浄化組合の作戦準備室では、ヒジリをはじめとして浄化師が集まり会議が行われていた。
「では大宮、熱田が浄化した悪霊について分かったことを」
「現場はカワグチステーション付近の裏路地。悪霊は一体のみでした」
サトミが今回の事件の概要を説明する。悪霊が出現した場所、悪霊の特徴を述べていく。そして肝心の被害状況を説明する。
「今回被害者は一名。それは阿部スセリさんです」
「阿部さんってまたかい?」
ヒジリが驚いている。またスセリが悪霊に襲われたことにヒジリだけではなく、ミホやシュンも驚いている。ヒジリはさらなる情報をサトミに求めた。サトミは家に送り届けたスセリからどのような状況だったかを聞き取りしている。
それを聞いた。
「討伐後、阿部さんが落ち着いたところで色々聞きました。そこで、『自分の姿が見えるのか?』と聞かれたそうです。そんな阿部さんを食う気満々でした。阿部さんを喰らえばもっと強い力が得られるとも言っていたそうです」
サトミの報告からヒジリは仮説を立てた。
「当然のことながら阿部さんは正式な浄化師ではない。浄化水晶を持っていないからな。悪霊に浄化水晶の存在がわかるのはすでに全員が把握しているだろう。浄化師としての特別な訓練を受けずに悪霊が見えるのが悪霊に目をつけられた要因だろう」
ヒジリの仮説は全員が真実だと思うほどに筋が通っている。
するとヒジリは席から立ち上がった。
「阿部さんの悪霊が見える力はおそらく悪霊にとってみればご馳走みたいなものだ。しばらくパトロールを強化し、被害を抑える。阿部さんだけではない。誰一人死なせるな」
「はい!」
ヒジリはそう言った。そして会議は終了し全員が作戦準備室からぞろぞろと出て行った。時刻はすでに真夜中。全員があくびをしながら出て行った。
ヨシキは作戦準備室にある黒板を見る。そこには先ほどまで話し合っていた詳細を書いていた。黒板には「阿部スセリ」の名前が。ヨシキがスセリと初対面を果たしたのは昨日の夜だった。涙でぐちゃぐちゃになりつつあるスセリの顔だけが鮮明に記憶に焼きつけられていた。
「阿部スセリ・・・か」
ヨシキの声は消えていった。
結局スセリは会社を解雇されてしまった。
阿部スセリ、二十二歳。社会人一年目にして不運な事件に巻き込まれて無職のレッテルを貼り付けられていた。スセリはしばらく落ち込んで家から出られなくなっていた。しかも、悪霊が見えるということもあり夜道を歩くのが少し恐怖だった。
スセリは写真立てに目を向けた。写真に写る笑顔など今のスセリにはない。
しかもヒジリから日本御霊浄化組合の浄化師にならないかというスカウトを受けていた。
スセリは怖かった。
今まで経験したことのない、未知の世界に飛び込むのだから。自分に悪霊を浄化できるのかという疑問が浮かぶ。
しかし今、無職で今後の生活は困窮するのは目に見えている。スセリに与えられた選択肢は必然的に一つを選ばざるを得なかった。
その日スセリは久しぶりに買い物へ行った。近くのスーパーへ行き、安いもやしを大量購入し家へ戻る。空は真っ暗だ。スセリは帰り道を急いだ。夜になると悪霊は現れる。それをスセリは教えてもらったのだ。
またいつ襲われるか分からない。サトミとヨシキからの忠告を守って急ぎ足だ。カワグチの街は都会よりだ。人間が作り上げた文明社会だ。悪霊といった非科学的な存在を否定しているかのようだった。
しかし現にこの世に未練を残した悪霊が生きている人間を襲っているのだ。
不可思議な事件は全て悪霊の仕業なのだろう。悪霊を浄化する存在を知ったスセリにはそう思えてならない。
スセリが夜道を歩いている。すると、後ろから足音がする。もしかしたら誰かに付けられているのかもしれない。スセリは身を固めた。悪霊に二度も襲われている。疑ってしまうのが普通だ。
スセリの背中に冷たい汗がつたう。気持ち悪い。
スセリは怖い気持ちを振り切って振り返った。すると、見覚えのある顔がそこにあった。
「おいおい・・・。どうしたんだ?」
「あ、熱田・・・さん?」
スセリの後ろを歩いていたのはヨシキだった。ヨシキは初めて会った時とは違い、浄化師の制服を着ており腰には二つのホルスター。しっかりと拳銃が収められていた。本当にこの人は浄化師なんだと思い知らされる。
「驚かさないでください・・・」
「驚くもなにも僕は後をつけているわけではないですよ。今はパトロール中。行く先に偶然君がいただけのこと」
スセリはそうなんですか、と答えた。
結局スセリの帰る方向とヨシキのパトロール先が一緒なので二人で歩き出した。ヨシキは周囲を警戒しながら歩いている。キョロキョロと見回す様子にスセリは話しかけた。
「そんなにキョロキョロしたら警察の人とかに職質されたりしないんですか?」
「新人の頃に一回だけありました」
「あったんですか・・・」
「その時はちゃんとヤタガラスの浄化師ですって伝えて浄化師の証明手帳だって見せた。悪霊は意外と神出鬼没なんですよ。周りを見ないと事前に被害を防げない場合だってある」
ヨシキはそう話した。その目は真剣そのもので、悪霊一体すら見逃すことはゆるされない。スセリはその真剣な横顔をちらりと見つめた。太陽の代わりに街灯がヨシキの横顔を照らす。
その姿はどこか神々しい。
スセリが歩いているとヨシキが足をふと止めた。
「熱田さん?」
スセリがヨシキの顔を見るとその瞳は先ほどとは打って変わり、鋭い目つきをしていた。まるで獲物を捉えようと周囲を見る獅子のような目だ。
ヨシキはスセリに小さな声で言った。
「阿部さん。僕が三つ数えたら後ろの路地に身を潜めてください」
「え?」
「いいですか? いち、に・・・、さん!」
ヨシキの言葉には半信半疑ではあるが、スセリはヨシキの指示に従った。ヨシキが三つ数え終えた瞬間にすぐに路地に身を潜めた。スセリが動いた瞬間にヨシキは腰のホルスターから拳銃を取り出して発砲した。すると低いうなり声と断末魔が響いた。
スセリは思わず耳を塞いだ。ゆっくりと目を開けて覗き込むと、ヨシキの見ている先に黒い靄が見えた。
「ったく、また現れたか・・・」
ヨシキが見据える先には悪霊が鋭い視線をこちらへ向けていた。姿形が全てはっきりと見える。スセリは息を飲んだ。
「さあ、僕が相手だ!」
ヨシキは悪霊に向かって銃を撃ち込む。その弾丸を悪霊は避ける。何発か当たってもなかなか怯まない。悪霊もとてもすばしっこい。スセリの目ではなかなか追えない。
目の前で行われる銃撃戦にスセリは耳を塞ぎたくなる。今目の前で行われることをいずれ自分もやるんだと思うとスセリには勇気が湧かない。
悪霊の雄叫びが響く。心臓に響く低く気が狂いそうな声だ。
ヨシキは悪霊浄化に燃えている。しかし、悪霊はそんなヨシキの隙をついてきた。ヨシキがバランスを崩した瞬間を狙って攻撃を仕掛けてきた。これにはヨシキも対応できず、吹っ飛ばされてしまう。
「うっ?!」
「熱田さん?!」
熱田が地面に叩きつけられた。手から拳銃を離してしまい、二丁拳銃は散り散りになってしまう。
「しまった!」
対抗する術を失ったヨシキに悪霊が距離を詰める。
「弱い。お前みたいな奴、俺が喰ってやる!」
悪霊がヨシキを見据えてキラリと鋭い歯を見せる。恐ろしいくらいにギラリと光る。それを見たスセリは背筋が凍る。
「ど、どうすれば・・・、このままじゃ・・・熱田さんが・・・」
震える体。揺れる瞳。
スセリが動くと手に当たるものがある。見ると、それはヨシキが使っていた二丁拳銃のうちの一つだった。この武器は唯一悪霊に対抗できるものだ。今狙撃すれば、ヨシキを守ることができる。
しかしそれに水を差すようにスセリに迷いが生まれる。
これを使えば熱田さんを助けられる。
でも弾丸が逸れたら?
悪霊に当たらないで、熱田さんに当たったら・・・?!
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い---!
恐怖が頭を支配する。しかしそのスセリを現実に引き戻したのは、悪霊の雄叫びだった。悪霊の雄叫びは耳をつんざき、肌は逆立つ。
「僕は負けねえっつーの! 僕を舐めんな、悪霊め」
「その口二度と叩けなくしてやるよぉ!」
悪霊が先制攻撃をしてくる。悪霊の手は刃のように鋭くなってヨシキに襲いかかる。ヨシキはそれを必死に交わす。動きが少し鈍いのは先ほど地面に叩きつけられた影響によるものだ。
ヨシキもスセリを守る為必死だ。その様子を見たスセリの頭にヒジリの言葉が浮かんだ。
その才能は希少だ。それを活かせば君は立派な浄化師になれる。悪霊に襲われる人間を助けることができるんだ。
スセリはハッと息を飲んだ。
なぜ自分は迷っていたんだろう。目の前で命の危機に晒されている人がいるというのに自分はこうして守られているだけ。なんて無責任なんだろう。私は、目の前で助けを求めている人に手を差し伸べてあげたい!
スセリは決意した。拳銃を手に取り、スクッと立ち上がる。スセリの気配に気づいた悪霊がスセリの姿を捉えた。
「女の獲物がいた・・・。まずはお前からだ!」
悪霊がスセリに襲いかかろうとしたその瞬間、スセリは拳銃を構え悪霊の姿を目で捉えた。
そして、目をギュッとつぶって引き金を引いた。
その瞬間、腕にものすごい衝撃と熱が伝わりスセリはその衝撃に耐えられずそのまま引き倒されてしまい、気を失った。