嘆きの雄叫び〜Wailing through the heart〜
嘆きの雄叫び〜Wailing through the heart〜
カワグチに蔓延る謎の悪霊。魂が分かれることは決してない同じものが同時刻に別の場所で報告された。
私たちはまるで得体の知れないものと見えない戦いをしているように感じた。私は並々ならぬ不安を抱えながら車に揺られていたのだった。
シンゴウ地区。シンゴウ国際図書館前。
スセリとミホを乗せた車がシンゴウ国際図書館前へ到着した。
カワグチの中でもシンゴウ地区は電車がないため、主な交通手段はバスと車という少し利便性が乏しい地区である。しかし、シンゴウ地区にはシンゴウ国際図書館という大きな施設があり、そこでは日本中世界中の本が管理された巨大図書館だ。
カワグチに住む学生なら誰しもが行く場所だ。
このシンゴウ国際図書館があることから、シンゴウ地区は「知性の地区」という別名があるのだ。
「写真では見たことあるけど、これは大きいなあ」
「すごい」
スセリとミホは建物を見上げた。
「俺はここにいる。何かあればすぐに連絡をするんだぞ」
「ラジャ」
ヒジリから離れたスセリとミホは通報のあったシンゴウ国際図書館の周囲を歩く。スセリは小型拳銃を抜いた。索敵をするがまだ安全装置は外れない。
異様だった。
昼間にも関わらず静か過ぎるのだ。悪霊の目撃情報が広がって全員が家へ戻ったということも考えられるがそれでも静か過ぎる。
「静かだね」
「そうやね」
スセリがそう言うとミホも同じように答えた。するとスセリの視線の端っこでもやもやとした影が見えた。それを見たスセリは直感で動き出す。
「見つけた!」
「待ちぃや! スセリちゃん!」
ミホの制止も聞かずにスセリは飛び出した。スセリが靄の方向に小型拳銃を向けると一瞬で安全装置が外れた。その瞬間にスセリの直感は確信に変わる。
スセリは靄を追いかけて図書館の裏路地に追い詰める。そして小型拳銃の弾を一発お見舞いする。
弾丸はまっすぐ飛んで命中する。
その時だった。スセリの弾丸が命中した瞬間、悪霊の姿が見えた。スセリは目を見開いた。しかし、スセリはその瞬間動きが止まってしまう。
太陽が輝く昼間はたとえヒジリのようなベテラン浄化師でも悪霊の兆候や気配を察知することは可能だが、姿を見ることはできない。
しかしスセリは違う。
スセリは弾丸が悪霊に命中した瞬間に姿をはっきりと目で捉えることができる。
「なんで」
今どうして悪霊が見えたのか分からない。
スセリは浄化師認定テストの際も同じことを経験している。しかしその時はアドレナリン全開で物事を冷静に考えられる状況ではなかった。見えたことを深く考えていなかった。しかし、今になって冷静になってどうして? となっているのだ。
「なんで見えたの?」
スセリがボーッとした瞬間、スセリは上を見上げた。すると悪霊がスセリに襲いかかろうとしていた。スセリはその場から動けない。
すると、
ひいふっ!
まっすぐと矢が飛んで悪霊を退けた。
「スセリちゃん! 大丈夫?!」
ミホが走ってやってきた。今の矢はミホが放ったもの。ミホの矢がなければスセリはどうなっていたか知らない。
その瞬間、二人の耳をつんざくような音が、いや声が聞こえた。まるで近づいてくるな、と叫ぶ慟哭にも似た叫び声だった。
「何?!」
スセリもどういう状況かわからないが、まるで浄化されることを拒んでいる様子だ。これ以上危害を与えないで、これ以上近づかないで、と言っているようにも聞こえた。
スセリとミホが耳をふさぐ。鼓膜が引きちぎられるかのような音に顔をしかめる。
「何、これ!」
スセリが音に耐えながら目を開けるとスセリの目には悪霊の姿をはっきりと捉えていた。しかし、その反面驚いた。
スセリの目に映ったのは幼い子供の姿。黒い靄の中に佇む子供が涙を流してスセリを見ている。スセリは心を引き裂かれそうな雄叫びに耐えながら足をまた進める。
「スセリちゃん!」
ミホの声はスセリには届かない。
スセリは一歩と近づく。大きな音と戦いながら・
すると、子供はスセリを見た。しかし、その目線はスセリを睨みつけるかのような目をしていた。スセリだけではなく、すべての希望の手を拒絶するそんな目だ。
結局ミホとスセリは悪霊が放つ大きな音で気を失ってしまった。
大きな雄叫びは離れていたヒジリにも聞こえてきた。ヒジリは心配してミホとスセリを探しに行くとシンゴウ国際図書館の裏手で地面に倒れているミホとスセリを発見したのだった。
「立石! 阿部! 大丈夫か?!」
ヒジリがミホとスセリに駆け寄って声をかけたり、体を揺らすなどして意識の回復を目指す。するとスセリがわずかに反応した。
「阿部!」
「・・・」
スセリは声が出なかった。しかし、スセリは朦朧とする意識の中でヒジリがいることが分かっている。しかし、想像以上にダメージが大きいために思うように口を動かせない。
「何があった?!」
「・・・待って」
スセリは悪霊が出現していた方向へ手をまっすぐと伸ばす。まるで何かをつなぎ止めようとしているように。ヒジリは身を固くしていた。
ヒジリも浄化師。気配で悪霊を察知している。ヒジリも攻撃されないように警戒している。昼間に悪霊から攻撃を仕掛けてくることは普通はあり得ない。しかし、今ミホとスセリの状況では悪霊からの攻撃には間違いなかった。
運悪くヒジリは武器を持ち合わせていない。攻撃を仕掛けられれば対抗する術はない。
「阿部!」
ヒジリの声に反応できずスセリは目の前のことに夢中だ。まるでヒジリには見えないことをスセリには見えているように見える。
スセリには朦朧とする意識の中でもはっきりと靄の中にいる子供の姿を捉えていた。
しかしスセリの手を拒絶するかのように靄は消えてしまう。
「待って・・・」
スセリはそう言うと意識を手放した。ヒジリの声にも反応できず、そのまま糸が切れたかのようにぐったりとしてしまった。
ヒジリはすぐに二人を車に運び、急いで草薙館へ戻ることにした。これ以上ここにいても悪霊の浄化は不可能と判断したからだ。
ヒジリは自分のインカムのスイッチを入れ、草薙館にいるすべての浄化師に通達をする。
「草薙館にいる全浄化師に通達! シンゴウ地区での悪霊浄化に非常事態発生。立石ミホ及び阿部スセリ両名意識不明。外傷初見なし。仮眠室の準備と医者の手配を頼む!」
ヒジリはインカムのスイッチを切った。
スセリとミホはヒジリの車に揺られながら急いで草薙館へ戻ったのである。
チュウオウ地区。草薙館。
ヒジリによって二人は仮眠室へ運ばれ治療を受けた。
ヒジリによる初見では外傷はなかった。幸い呼ばれた医者の見立てでも外傷は見当たらなかった。医者は悪霊の攻撃による意識消失と決定付けた。
医者が戻った後、作戦準備室にスセリとミホ以外の浄化師全員が集まった。
「金山さん。阿部と立石に何があったんですか?」
「俺も離れていたから詳しい現状は分からない。ただ、シンゴウ地区一帯で耳をつんざくような音が響いたのは確かだ。俺もこの耳で聞いた。もしかしたらその音を大音量で直に聞いた可能性が高い」
ヒジリは憶測を交えた内容を含むことを話した上で見解を述べた。詳しいことはスセリとミホが目覚めてからでなければ分からない。
何か考えなくては本末転倒である。そしてヒジリはもう一つ、気になったことを話した。
「阿部なんだが」
「スセリさんがどうかしたんですか?」
「悪霊を見つめて『待って』と呟いていた。昼間は悪霊の姿を捉えることができない。どんなにベテランの浄化師でもだ。しかし、阿部の目は靄の中身を見ているように俺には見えたんだ」
ヒジリの言葉にヨシキ、サトミ、シュンは驚きを隠せない。
「金山さん。もしや、阿部は未訓練ながらに悪霊が見えるだけではなくて、昼間でも悪霊が見えるということですか?」
「詳しいことは俺にも分からない。阿部が目覚めたらもう一度聞くつもりではあるが、俺にはそうとしか考えられないんだ」
シュンの言葉にヒジリは頷いた。
ヒジリは思った。もしかしたらスセリは自分が思っている以上にものすごい才能と秘密を秘めているのではないかと。
スセリのように未訓練にも関わらず悪霊が見える人は少なくない。しかし、それ大概昼間は見えないのが普通だ。スセリのように昼間も夜も見えるのは異常の何者でもない。悪霊にとってみれば強力な脅威になる可能性すらある。
「今回の悪霊に関しては綿津見に連絡をした。悪霊対策部の返答を待つ形にはなると思う」
こうして緊急の会議は終わった。
スセリが眠る仮眠室の扉が開いた。ゆっくりと誰かが眠っているスセリへ近づいていく。静かに寝息を立てているスセリの頭に優しく大きな手が乗せられた。
その正体は、ヨシキだった。
「一体何があったんだ、阿部」
スセリにヨシキがそう言うと、ヨシキの頭の中に過去の出来事が走馬灯のように思い出される。
まだ幼いヨシキの目の前は残酷な世界が広がっていた。目の前には大人の男女とヨシキよりも幼い少女が倒れている。ヨシキは息もできないくらいに動揺し、その場で立ちすくしていた。
揺れる眼球には悲しみと憎悪が増していく様子すら感じられた。目にはたくさんの涙をためてじっと見つめている。
ヨシキは額を押さえた。
「どうしてこんなことを思い出すんだ。今日の僕はどうかしてる」
ヨシキはそう言ってスセリの寝ている仮眠室を出て行った。




