浄化師たちの休息〜The night before the decisive battle〜
浄化師たちの休息〜The night before the decisive battle〜
私たちは念入りにミーティングを重ねた。
悪霊マーラーをおびき出して戦闘する場所の決定。そして同時に除外する地区の決定。戦闘が終わるまでの人々の安全確保と避難許可とその説明。悪霊対策部の許可。
今回は今まで経験してきた悪霊浄化とは違う。ヤタガラスが動き、悪霊対策部が動く。きっと悪霊対策部の綿津見さんは色々な関係各所に電話連絡に追われて、電話は鳴りっぱなしかも。
もやはこれは、国家レベルの危険度なのだと、私は痛感してやまない。
そして今日は悪霊マーラーと対峙する前日。
決戦前夜の浄化師たちの休息だ。
午前九時。チュウオウ地区。草薙館。作戦準備室。
全員は普段着の状態で作戦準備室へ集まっていた。ヒジリが全員が揃ったことを確認して口を開く。
「以前ミーティングで決めたマーラーを袋の鼠にする場所の許可をもらうため、悪霊対策部に連絡をしたところ、何とか許可が下りた」
「本当ですか?!」
「ああ」
ヒジリは言った。
ヒジリによると悪霊対策部にこの話を通した際、コウシロウは驚いたという。そして周囲への安全が保証されているのか、具体的な作戦はあるのか、など様々なことを聞かれた。
ヒジリの口から悪霊の森を使用することで悪霊マーラーを閉じ込める作戦を丁寧に説明した。コウシロウでは考えにくいが作戦の意味を履き違えて勘違いを起こしてはいけない、とヒジリは思った。
そのため、察しのいいコウシロウ相手でもかなり丁寧に細かに説明したのだった。
ヒジリの尽力とコウシロウの理解と協力で悪霊マーラー浄化作戦は進んで行く。
同時刻。アオキ地区。カワグチ庁舎。悪霊対策部。特別指示室。
コウシロウは悪霊対策部の中に作られた臨時の部屋にいた。特別指示室は緊急事態や大きな業務を行う際に作られるものだ。言い換えれば、作戦の心臓部だ。
今回の悪霊マーラー浄化作戦はカワグチ全域に関わる大きな作戦だ。コウシロウの指示で悪霊対策部で特別指示室が作られた。多くの悪霊対策部の職員が部屋を出入りする。コウシロウだけではなく、多くの職員たちが一丸となって動いていた。
コウシロウは机の上にアオキ地区全域の地図を広げた。それを悪霊対策部の職員たち全員が覗き込んだ。
「ヤタガラスが戦闘に使用するのは悪霊の森全体だ。相手は最強の存在。奴の破壊力と影響力を大きく見積もってこれくらいの地域が対象となる」
コウシロウは悪霊の森を中心に大きな円を赤いボールペンで描く。この赤い線の内側が安全確保必須の対象地域だ。
「今すぐこの対象地域の人々を避難させ、安全確保を行う! 時間がない! 急げ!」
コウシロウはアオキ地区に暮らす人たちの安全確保と避難指示を出し始める。悪霊対策部の職員たちは手分けして対象地域の人々に事情を説明し、次々と避難し始める。
素早い対応をしたおかげでアオキ地区の悪霊の森周辺は静けさに包まれた。対象地域の人々は全員避難し、誰もいない状態となった。
その報告をコウシロウは草薙館へ連絡を入れたのであった。
午前十一時。チュウオウ地区。草薙館。所長室。
ヒジリが待機している所長室の電話が鳴り出した。ヒジリはすぐに反応して受話器を取る。
「こちら日本御霊浄化組合です」
『悪霊対策部の綿津見だ。その声は金山だな?』
「お前からの連絡を待ってたよ。それでどうだ?」
『悪霊対策部に特別指示室ができた。今後はそこからヤタガラスへ指示が飛ぶだろう。悪霊の森周辺の地域を特別警戒区域に指定して順次避難を開始している。今、悪霊対策部の職員たちが説明を終えて人々の避難誘導を行っている最中だ。今日中には終了する。避難している人たちはアンギョウ地区やカミネ地区、ナンペイ地区に分散して避難させている』
コウシロウからヒジリへ詳細が伝えられる。
ヒジリは手元にあるメモ帳に書きなぐった。一言一句逃さずにメモをする。
『すでに国には報告している。今回の浄化任務は国のお墨付きをもらっている。ヤタガラスは目の前にいる悪霊だけを浄化するだけに集中できるようにした』
コウシロウはヒジリたちヤタガラスが十分に暴れられるように、様々な手を打ってくれていた。それを聞いたヒジリは電話口で感謝を述べた。
「そろそろみんなを帰さなきゃいけないから切るぞ。決行日は伝えた通りの時間だ」
ヒジリがそう言って電話を切ろうとした時、コウシロウがヒジリの名前を呼んだ。思わずヒジリは受話器を置くのをためらう。
「どうした?」
ヒジリが聞き返し、コウシロウは一呼吸置いて喋り出す。
『死ぬなよ』
「…」
突然の言葉にヒジリは言葉を失った。
コウシロウの放った「死ぬなよ」の言葉は、かつてヒジリがコウシロウに言った言葉だった。怪我で浄化師を退き、目標を失い生きる気力を失い、生きる屍状態になっていたコウシロウを生につなぎとめた言葉だった。
しかし今は意味が違う。
この言葉は悪霊対策部の人間としてではなく、互いに切磋琢磨した親友としての言葉だった。
それを聞いたヒジリは静かに笑った。
「当たり前だ。俺はヤタガラスリーダーだ。ヤタガラスを守る立場にある。だから死ねない。勿論、可愛い部下たちもみすみす死なせはしない」
『金山らしい。健闘を祈る。何かあれば連絡をしてくれ』
「ああ。ありがとう」
ヒジリはそう言って電話を切った。
午前十一時半。阿部スセリの部屋。
スセリは自室で休んでいた。草薙館は不思議なほど静まり返っていた。その理由は、先ほど集められて言われたことだ。
数分前に作戦準備室に集合したスセリたちにヒジリは言った。決戦前に完全休息を取る、と。この日は実家に戻ってもいいことになっていた。
それを聞いた後、サトミは実家へシュンは兄・ダイゴのいるカフェクロンカへ向かった。アズミは悪霊対策部へ行き、そこで一泊することになった。タイコウは実家に戻り、家族との再会を果たす。ミホは今まで肺挫傷の後遺症の為に酸素チューブをしていたが後遺症が全快。今は酸素補助なしで動くことができる。
ミホの希望で明日の浄化業務へ参加する。しかし、ある意味病み上がりで大事をとってナンペイ地区の岩永兄妹のところに精密検査を兼ねて一泊することになった。
ヒジリも勿論、妻である金山ナミのいる家へ戻った。
そして草薙館に残されたのはヨシキとスセリの二名のみとなった。
スセリが部屋を出て二階へ行くとヨシキの部屋の扉が開いている。スセリは近づくとそこにはヨシキがいた。
「ヨシキさん、何してるんですか?」
「何してるって実家へ帰る為の準備。まあ、僕は顔を見せて話ししてまた草薙館に戻ってくるけど」
ヨシキは言った。スセリはそうなんですね、と言った。スセリは思わず振り返った。いつも賑やかなパブリックルームには人が誰もいない。今、この建物の中にいるのは二人だけなのだと思い知る。
「阿部。お前はどうする、あ・・・」
ヨシキが思わず口を滑らせる。そして言った後で後悔する。これはスセリに対して失礼な言葉だからだ。スセリは帰る家がないのだ。スセリは実家に帰るという選択肢はない。草薙館にいるという選択肢しかない。
ヨシキの顔を見てスセリは静かに笑った。
「別に気にしてないですよ。多分最初だったら落ち込んでたかもしれないです。でも、今はこの草薙館は私の実家ですから。ここにいること、ぜーんぜん苦痛じゃないですから!」
最後にはニッと笑った。
スセリは心の底から笑ったつもりでいた。しかし、その笑顔はヨシキには相手に心配させないように無理に作った笑顔にしか見えなかった。その笑顔がヨシキにはどうも引っかかって荷造りに集中できない。
そんなヨシキの心境を察したのかスセリは荷造りの邪魔になると、ヨシキの部屋を出て行こうとした。
するとヨシキの中に温かい何かがこみ上げてくる。
今ここで彼女を引き止めないと後悔する。よく分からないその「何か」はヨシキの手を動かした。ヨシキの手はスセリの肩に置かれた。
「?!」
スセリが驚いた表情でヨシキを見る。
「どうしたんですか?」
スセリが聞くとヨシキはハッとなって口が動いた。
「うちに来ないか?!」
「へ?! うちってヨシキさんの実家ですか?! ヨシキさん、私赤の他人ですよ?! そんな何処の馬の骨とも知らない、得体の知れない奴を連れて行ったら大目玉ですよ?!」
スセリはヨシキの突然の提案に大慌てで反論する。スセリはあまりの焦りように噛まない。恐ろしいくらいに饒舌だ。スセリ本人も驚いている。
ヨシキはスセリを落ち着かせて言い聞かせる。
「阿部一人でみんなが帰ってくるまで草薙館で留守番なんて、僕ならさせないし、させたくない。だったら僕の実家でみんなで食事をしたほうが楽しいし寂しくない。何より、アカリも喜ぶ」
ヨシキはスセリに言った。
ヨシキの提案にスセリは渋る。ヨシキはスセリを説得し続け、スセリを納得させることができた。ヨシキはスセリに出発の準備をしている間に実家に電話をかけた。
「もしもし、僕だけど…」
『ヨシキ? 今日帰ってくるんだよね、夕飯は食べていくの?』
電話口から聞こえてきたのは、ヨシキの母・熱田ミヤコだった。ヨシキは夕飯を食べることを伝えた後、続けて言った。
「母さん」
『なあに?』
「もう一人、連れて来たい奴がいるんだけど…いいかな? ヤタガラスの後輩なんだけど…みんなが帰ってくる間草薙館にひとりぼっちなんだ。いいかな?」
ヨシキがミヤコに聞くとミヤコはなんのためらいもなく即答した。
『ヨシキは優しいのね…。いいわよ。もう一人分作っておくわ。気をつけて来るのよ』
「ありがとう、母さん」
ヨシキは電話を切った。
それと同時にスセリも準備ができた。スセリがやってくると同時にヨシキも荷物を持って草薙館を出発した。
どうしてスセリを誘ったのか。ヨシキは行動に移した理由が分からなかった。しかし、根底にはそのままにしておけなかったというのがあったのかもしれない。
ヨシキの心の中に生まれた「何か」に動かされながらスセリはヨシキの後ろをついて歩く。
熱田ヨシキ二十五歳。阿部スセリ二十二歳。
年齢差もそこまでない二人のぎこちない歩みはだんだんと揃い始める。ヨシキの後ろを追いかけていたスセリは次第にヨシキの歩みに追いついて横へ並ぶ。
追いついたスセリをチラッと見て、ヨシキは静かに微笑んで次第にスセリに歩幅を合わせ始める。
心の中にある「何か」が温かく二人の心を温め、そして行動を起こしていく。その「何か」にヨシキは薄々気付き始めているようだったが、スセリはその「何か」に気づくことはなかった。




