勇気の音を鳴らして〜I don't hesitate〜
勇気の音を鳴らして〜I don't hesitate〜
悪霊マーラーが狙っているのは、私かもしれない。
私の正体は悪霊マーラーが心底憎む阿部サミラの血を濃く受け継ぐ娘だ。私のせいでヤタガラス全員を巻き込んでしまう。
私にとってヤタガラスは唯一の居場所で、家族だ。家族に危害を加えることなんてできないし、巻き込みたくない。
一歩。
踏み込みが足りない。勇気の一歩が踏み出せない…。
午後二十二時半。草薙館。大宮サトミの部屋。
お風呂から上がったスセリは寝間着姿でサトミの部屋に来ていた。サトミの部屋の机の上には二人分のティーカップ。その中には紅茶が湯気を立てて入っている。さらにはりんご。サトミの実家から届いたものをサトミが切り、皮をむいた。
「いただきます」
「どうぞ」
サトミに促されてスセリはりんごをひとかじりする。りんごの甘い蜜が口の中に溢れる。美味しいです、とスセリが言うとサトミは笑ってりんごをつまんでひとかじりした。スセリはフーッと紅茶に息を吹きかけてゆっくりと口の中に注ぐ。
アールグレイ独特の渋みと深みが口の中に広がった。甘いりんごの蜜と紅茶の苦味がなんとも言えない不思議なフュージョンを生み出している。
「…悪霊マーラーのことでしょ?」
「え?」
「表情を見てればなんとなく分かるわ。シュンさんもシュンさんよ。スセリさんにプレッシャーかけるようなこと言って…。シュンさんの言い分も分かるのよ。ほぼ対策なしで丸腰状態で挑んで大怪我をしたからこそ言える言葉だと思うわ」
サトミの言葉にスセリは俯いた。
「でもね。私たちは悪霊マーラーだろうがなんだろうが、命賭けて浄化する覚悟くらいはとっくに出来ているわ。だから、スセリさんが全部背負い込む必要はないの。私たちは家族でしょ?」
サトミの言葉にスセリは膝を抱えてサトミを見上げた。
「悪霊マーラーは私の両親の仇で、私がその血を引いていると知ればどうなるか…。シュンさんやミホみたいに被害者が出たら…」
「そうならないために大浜先生や木俣くんが一生懸命調べているのよ。大浜先生は言ってたわ。悪霊マーラーは千年以上前に生まれたもので多くの文献の中に登場しながら詳しい詳細が一切掴めない。だから今分かることを元に必死に調べているわ。昔と今では技術力が違う。しかも大浜先生はあの明智大学大学院の教授で悪霊研究の第一人者よ? 鬼に金棒のようじゃない?」
サトミが笑った。
サトミの表情を見ると根拠はないがなぜか安心してしまう。紅茶とりんごの謎のパワーかは分からない。スセリは紅茶を飲んで喉を潤す。
「まずは情報を待ちましょう。それが私たちにできることよ?」
「…はい」
スセリは小さな声で言った。
翌日。午前七時。草薙館。玄関前。
スセリは草薙館の外にいた。朝の気持ちいい空気を吸う。背を伸ばして体を目覚めさせる。草薙館の前の道には足取り早い大人たちが歩いていく。草薙館のある場所はチュウオウ地区。チュウオウ地区にはカワグチステーションがある。朝早くにトウキョウへ仕事へ向かう人たちで多い。
朝からお疲れさまです。
スセリはそう心の中で言いながら太陽の光を浴びていた。
「よし」
スセリは草薙館の中へ入ろうとすると、声をかけられた。
スセリが振り返るとそこには女性が一人。長い髪の毛に薄ピンクのコート。手には紙袋を持っていた。スセリよりも年下に見える。可愛い子だなあ、とスセリが思っていると女性はスセリに話しかけた。
「草薙館の浄化師さんですよね?」
「え? あ、はい。何かご用ですか?」
スセリが女性へ近づいていく。よくよく見るとその女性は誰かに似ているかのように見える。なんとなく誰かに似ている気がするが肝心の人物が浮かばない。
すると女性はスセリの首に下げられた赤い浄化水晶のペンダントを見てスセリの顔を見る。
「その赤い石のペンダント・・・。もしかして…阿部さん?」
「え? 確かに私は阿部ですが…、なんで私の名前を知っているんですか?」
スセリが女性を疑うような目で見る。当たり前であるが目の前の女性をスセリは知らない。それどころか名前など教えるわけないのだ。第三者に名前を知られるなど、情報漏洩を疑ってしまう。
スセリは不信感丸出しで女性を見る。
「知ってますよ。だって・・・」
女性が理由を言おうとした時、草薙館の扉が開いた。スセリが振り返るとそこにはヨシキが立っていた。
「ヨシキさん?」
「お? おはよう、阿部。あ、来たか。朝早くに悪いな」
ヨシキはスセリの向こう側にいる女性を見て言った。スセリは本能的に二人が顔見知りであることを察する。
「学校休みだし。お母さんがお兄ちゃんに届けて欲しいものあったって言うし」
女性がヨシキのことを「お兄ちゃん」と呼んだ。それを聞いたスセリは彼女がヨシキの親族であることを想像する。
確かによくよく見ればヨシキにどこか面影が似ている。しかし、見た目は今どきの女の子らしくオシャレだ。ヨシキは門を開けて女性を招き入れる。
「阿部。僕の妹だ」
「妹さん?!」
スセリは声を上げた。すると女性は笑ってスセリに言った。
「初めまして。妹の熱田アカリです。いつもお兄ちゃんがお世話になっています。阿部さんのお話はお兄ちゃんから聞いています」
ヨシキの妹・アカリはスセリに言うがスセリは驚きのあまりアカリの言葉が頭に入らなかった。衝撃が非常に大きかったからだ。
ヨシキとアカリ、そしてスセリはパブリックルームへやってくる。そこではサトミが朝食を作っていた。アカリの姿を見たサトミはお久しぶりね! と親しげに会話をしている。
やはり知らなかったのはスセリだけのようだった。
朝食が出来るまでの間、スセリは自分の部屋に戻ろうとしたがそれをヨシキが引き止める。
「アカリの話し相手になってくれないかな?」
「なんでですか?」
「アカリ、お前の話をしてからずっと話してみたいって言ってたんだよ。きっと話会うんじゃないかな?」
ヨシキに言われるがままスセリはパブリックルームのソファに座る。その隣にアカリが座る。スセリは話したことのない人に対して何も話題が浮かなばない。
スセリが心の中で戦っているとアカリが口を開いた。
「阿部さんってツキヨミを持っているんですよね?」
「え?! あ、まあ。もしかしてそれも…」
「はい、お兄ちゃんから」
アカリは笑顔でスセリに返した。その笑顔は眩しすぎてスセリは目を閉じたくなる。まるで目の前に太陽があるかのようだ。
「なんでよりによって私のことを妹に話すのよ…」
スセリがうなだれているとアカリは弁明した。
「お兄ちゃんは阿部さんのことを悪く言ってないですよ! むしろすごく褒めていて。ツキヨミの力を持っているのもすごい、僕も欲しかったなあって常に言っているんです」
スセリはヨシキのことが恨めしくてヨシキの方を睨みつけた。スセリは頭を抱えた。
アカリはスセリに家族はいるんですか? と聞いた。スセリの言う言葉はもう決まっている。
「いないよ。両親も早死にして施設育ち」
「…そうなんですね」
「そんな私にとってヤタガラスのみんなは家族みたいなものだし。ここが私の居場所だから。私、浄化師の専門スクールに通っていないの。普通の一般企業で働いていたんだけど、ある日に悪霊に襲われて助けてくれたのがヨシキさんだった」
スセリはその時のことを思い出す。
あの運命の夜だ。その日からスセリの中に眠り続けていたツキヨミの力が目覚めた。会社を解雇されて路頭に迷っていたところに手を差し伸べてきたのが、ヤタガラスだった。
「大変だったんですね」
「うん。その日から日常がガラッと変わって…、当たり前がひっくり返った。でも、その反面で自分の持つ力が誰かの役に立つんだって知れたから…これでよかったんだって今なら思える」
スセリはそう言って髪の毛を結び直す。黒い髪の毛がフワッとなびいた。優しい石鹸の香りが髪の毛から漂う。その優しい香りにアカリは不思議と笑みがこぼれる。
「ごめんね、ペラペラと」
「いいんです。阿部さんの過去のことは今日初めて知りましたけど、やっぱり尊敬します。お兄ちゃんが自慢するだけのことあります。それで…」
アカリがスセリの耳元に口を寄せて小さな声で言った。
「阿部さん、お兄ちゃんのこと好きですか?」
「へ?!」
突然の言葉にスセリは声が上ずった。顔が紅潮して体温が一気に上昇する。スセリは慌ててアカリに言う。
「そ、そそそそんなことないよ?! ヨシキさんは先輩だからそんなこと考えたらヨシキさんに申し訳ないよ! それに! ヨシキさんは普段からスキンシップ激しめで頭に手乗せてくるし、距離詰めてくるし! いつセクハラで訴えようかなって考えていたくらいだから!」
スセリが慌てて言うとアカリは冗談ですよ、真に受けないでください、と笑った。スセリは安心したのか息を吐いて前を向いた。
スセリとアカリの時間はこうしてゆっくりと過ぎていったのだった。
午前九時。草薙館。玄関前。
アカリがヤタガラスの用事を済ませ、家へ戻る。あいにくスセリは掃除当番で見送りができないが、スセリはアカリにまた遊びに来てね、と伝えられた。スセリから人へ歩みよることなどほとんどなかった。しかし、今はそれができた。ある意味大きな進歩である。
スセリの代わりにヨシキが見送る。
「お兄ちゃん。仕事頑張ってね」
「おう。お父さんとお母さんにもよろしくな」
ヨシキが言うとアカリがヨシキに言った。
「お兄ちゃんが阿部さんのこと私にめちゃくちゃ話した理由がわかった気がする。阿部さんって家族がいないって聞いたけど…本当なの?」
「ああ。しっかり話すとかなり長くなる。阿部は悪霊に両親を惨殺され、母親から受け継いだツキヨミの力を受け継いでいると親戚中から忌み嫌われて施設に送られて、死に執着した過去がある。まあ実際にはツキヨミの力が目覚めたのは、実際に悪霊に襲われた日からだけど」
ヨシキが言うと首元から赤い浄化水晶のペンダントが顔を覗かせる。太陽の光に照らされて輝く。それを見たアカリはふとスセリの首元で光る赤い浄化水晶のペンダントが頭に浮かんだ。
はたから見れば「お揃い」と言われてもしょうがない。男女でお揃いなど恋人などのかなり親密な関係でなければあり得ない。アカリは考えた。しかしあの時のスセリの表情や話からどこかもの悲しい雰囲気に小さな希望を見出そうとしているように感じていた。
「阿部さんとお兄ちゃん、好き同士じゃないのかなあ」
アカリは新しい証言を得るため、ヨシキに発破をかける。
「そのペンダント、阿部さんも同じものをしてたよ」
「そうだな。でも僕のは悪霊対策部から借りてるもの。阿部のはお母さんの形見。偶然だよ」
それを聞いたアカリはなんだ偶然か、と少し落ち込んだが、ただ…とヨシキが言葉を続ける。
「僕は阿部が生きる希望を見出してほしいだけだよ。阿部が心の底から笑ったところを見てみたいなあって思うんだ」
アカリはポカンとしていたが、ヨシキの発言によってアカリの中の疑問に確信に変わった。
兄はスセリに惚れていると。
兄はその想いに薄々感じ始めてきているが、当のスセリは全く想いにも気づいていない。むしろ照れ隠しはするが、自覚がないらしい。なんとも純粋で鈍感なのだろう、とアカリは思った。
アカリは静かに笑った。
「ごめんね、お兄ちゃん。私そろそろ行かなきゃ」
「おう。気をつけて帰れよ」
ヨシキがアカリの後ろ姿を見送る。するとアカリはもう一度振り返り言った。
「お兄ちゃん!」
「ん?」
「私にとってお兄ちゃんは誇りだよ。どんな敵が相手でもお兄ちゃんなら勝てるって信じてるからね! 絶対! 絶対、死んじゃダメだからね!」
それを聞いたヨシキはニヤリと笑った。妹のアカリにも似た大胆不敵な笑みだ。そんな笑みを浮かべながらアカリに言った。
「大丈夫だ! 死なないよ」
「約束! あとお兄ちゃん! ヤタガラスの女神さまを振り向かせるのは至難の技だけど、チャンスはあると思うよ。女神さまのチャンスの前髪掴み損ねないでね!」
アカリはヨシキに様々な想いをいろんな言葉に置き換えて言った。アカリはそう言って歩いて行ってしまった。一人残されたヨシキはその言葉の真意を探るために考える。
「ヤタガラスの女神さま?」
するとヤタガラスに所属している人物で「女神」の異名を持つ人物がいる。シュンが彼女を「ヤタガラスの女神」と言ったことがその名の由来で、そして彼女の名前もまた女神の加護を受けた名前。正真正銘女神の化身とも言える人物。
「阿部…」
ヨシキの頭の中に浮かんだのはスセリだった。
彼女は女神の名前を冠し、様々な奇跡が重なり合うことで「ヤタガラスの女神」という異名を持つ。
ヨシキは草薙館をふと振り返る。すると窓辺には掃除の手を止めて外を眺めるスセリの姿がある。ヨシキはその姿をただ静かに見つめていた。まるで美しい天女に見惚れるただ一人の男のように。
幾多の修羅場をくぐり抜けてきた良きメンバーの二人。絶対に死なないという誓いを胸に今日も一日を過ごすのであった。




