~白衣下のTシャツくん~
そう、結局彼女はすべてを忘れてしまったのだ。
だがいずれ思い出す。この男によって、この男のおかげで、やっと彼女は思い出せるのだ。
だからか、運命は希望の先にある絶望へ、行く末の見えぬ遊戯となって見えない顔を隠す。
「こ、これから!よろしくお願いします!」
一瞬でわかった。
彼、実はかなり鍛えてる。着痩せしてるけど足のあたりから何か見えるから重石かしら、それに声も芯が通ってる。
「森ちゃ〜ん、あなた彼に指導よろしくね〜」
オカマ店長こと三神さんが、いつものノリでまだ入って5年ちょっとの私に監督役を任せる。
「三神さん、去年も私、」
「いいでしょう?去年と比べて一人しか来なかったんだから〜」
あらやだ風に軽く肩を叩かれて念を押されてしまう。
別に嫌ではないのでいいのだけれども、
と彼にこの薬局の場所を軽く案内して回りながら彼に話を聞いたりする。
「あそだ、名前まだだった」
と休憩室にたどり着いてやっと気がついた。最初にするべき自己紹介をしていなかった。というのを彼に言われて気がついた。
「森千里よ、あなたはさっき聞いたけど…ヤクガクくん?」
「…薬学です」
こんな直球な子がいるかと思ってつい吹き出してしまった。さっきも笑いそうだったけど我慢してたが、失礼だけどやっぱり笑ってしまった。
「なに?名前負けしないようにって薬局に来たの?」
からかい半分に聞くと、彼は少し顔を逸らしながら頬を少し染め照れながら
「…うっす」
とだけ言った。
なにやらいじり甲斐がありそうな子が入ったものだと思いながら接するたびどうやら彼は打ち解けていってくれるようになってくれた。
確か、その年だったかその翌年の忘年会だったかで二軒目まで行ってどうだったかあまり覚えていないけどもここで解散という話になり偶然ヤクくんと同じ帰り道だと気がついた。
「フラフラっすね、森さん」
「大人だからいっぱい飲んでもいいのよ〜」
車道と歩道を分けるブロックに乗り、ふらつきながら歩いていると気になってしまった。
三神さん以外みんな私のこと“千里”と呼ぶのにこの子はいつまでも変えてくれない。
彼とはかなり話してるつもりだったけどそうじゃないらしい。基本的にみんな苗字呼びなんだろう。
「んねぇ、君さ、君は千里さんとは呼んでくれないのかい?」
酔っていたせいもあってか、こんな言葉普通恥ずかしくて言えない。自分勝手だし。
「へ?はい?いやなんとなく森さんは森さんだなって思って」
多少は彼も酔っているようだ。いつもなら少しはぐらかすところをまっすぐ返してくれた。それが少し嬉しかったのかもしれない。
「いや!千里さんと呼びなさい!」
「…あーなんかデジャブのような…はいじゃあ今度からちゃんと千里さんって呼びますよ」
「よし!なら私も今度から君のことマナブくんって呼んでもいいよね!」
普通なら自然に下の名前を呼ぶことができるのに彼は名前でイジちゃったこともあってずっとヤクくんだった。
なんだか嬉しくなっちゃって駅まで送ってもらっちゃったりしてしまった。
なんであんなに嬉しかったんだろう。懐かしい人になんとなく似ていた気がしたんだ。でも誰だろう。私忘れっぽいからやっぱりだめね。
その後電車で最終駅まで寝てしまった。
VerMa:NF.Before
違う未来があることを願うばかりではない。
違う世界があることを、まだ知らない。