9 アナフタツ
頭を下げる私を、伯父様は座るように促しましたが、私は聞かずにそのまま頭を下げ続けます。
「レナ、いくら頭を下げられても同じだよ?それに、僕の話を聞けば、君は頭を下げる必要がなくなるから、それは無駄なことだ。」
「無駄?どういうことですか?」
「レナ、よく考えてごらん?君は、君の国で起こった現象が「喰らいの書」によるものだと思った。そして、それに対抗するため「生命の幻覚書」を求めて、僕に頭を下げているんだよね?」
「はい。」
「そもそも聞くけど、本当に「喰らいの書」が発動したと、確信を持って言える?」
「それは・・・」
確かに、喰らいの書が発動した確証はないです。でも、あんな国レベルで被害を起こすことは・・・あれ?
「伯父様・・・我が国のあの現象は、どの範囲で起きているのでしょうか?」
私が見たのは、私の屋敷内の範囲で白い玉が降ってきた場面だけです。そして、執事が屋敷のある町にも同じようなことが起こっていると。
もし、あの現象が起きているのが、町単位だったとしたら?それでも大きな被害ですが、その範囲なら七禁書を疑うことはなかったでしょう。
私が七禁書を疑ったのは、国の危機と聞いたからです。一体誰に聞いたのでしたっけ?
乙女ゲームの知識を思い出して、勝手にそう思い込んでいたのかもしれません。
「公爵家の領土から始まり、今は王都にまで及んでいるそうだよ。君の国では、そのうち全土が死の雪に覆われるといわれているよ。あぁ、死の雪というのは、空から降ってきた白い玉のことだ。」
「死の雪・・・我が国の全土を覆うですか。なら、やはり七禁書が発動したのでしょうね。」
「だから、なぜそう思うのか、僕にはわからないよ。確かに、七禁書は国をも亡ぼすといわれている。そして、他の魔導書と違って・・・一度発動すれば術者が死んでも発動し続ける厄介な代物だ。」
「はい。ですから、対抗する書が必要なのです。」
七禁書とは、その威力もさることながら、まるで意思があるかのごとく、一度発動させれば止めることができないといわれています。
実際は止めることは可能です。その方法が、対抗の書を使うか、術者が止めるか。私が知っているのはこの2つのみです。
術者が素直に止めてくれるなんてことは、まずないでしょう。さらに、その術者さえわからない状況であれば、対抗の書を求めるしかありません。
「本当に七禁書ならね。」
「先ほどから、伯父様は七禁書が発動したとは思っていない口ぶりですね。何か、お心当たりがあるのでしょうか?」
「やっと本題だね。もちろん、心当たりなら大ありだよ。レナ、これを見てごらん?」
そう言って、伯父様が指さしたのは、本棚に空いた穴・・・本と本の間の隙間です。そこにもう一冊本があったような、本を抜き取った後があります。
「・・・?」
伯父様の手には、生命の幻覚書がありません。元に戻したのでしょう。ですから、そこにあったのはあの書ではないはずです。そして、他の本棚を見ても、隙間一つなく埋められた本を見れば、その隙間に本があったのは確かだと思います。
「そこにあった本が、何か?」
「貸し与えているんだ。とっても大切な人にね。」
「さようですか。」
悲し気に微笑む伯父様には申し訳ありませんが、それがどうしたという話です。全く今までの流れと関係ない話に困惑している私を見て、伯父様は笑ってお話しくださいました。
「僕は、伯爵であると同時に、魔術書の研究家でね。流石に七禁書を研究することは叶わなかったが、さっき見せた生命の幻覚書は、隅々まで熟読し研究したよ。正直、この魔術書は求められることのないものだと思うし、研究したから国の役に立つとは思えない。ただの自己満足だった。」
伯父様の表情を見れば、それがどれだけ楽しかったことなのか、すぐにわかりました。根っからの研究者で、それが役に立つかどうかは関係ないのでしょう。
「生命の幻覚書は、とても素晴らしい代物だった。ただ、七禁書の対抗書として作られたものだけど、それでもその技術のすばらしさに、僕は理解をし終わったにもかかわらず、何度も何度もその書を研究しなおした。そして、いつしか僕は研究者ではなくなっていたんだ。」
研究者ではなくなっていた?
「レナには経験があるかわからないけど、素晴らしいものに触れると、そういうものを作りたくなるもんだ。いつしか僕は、魔法書を作るようになっていた。」
その言葉が、聞いてはいけないことだったかのように、寒気がしました。緊張が高まり、私は生つばを飲み込みます。
「伯父様・・・」
「もうやめようか。レナ、この国に被害が及ぶことはないだろう、君はここで、穏やかに暮らすといい。」
自然と助けを求め伯父様を呼びました。それに気づいた伯父様は、私に優しい笑顔を向けます。その顔は、もう何もしなくていいという、優しさがうかがえます。
そうですね。
私は、なぜか怖くなってしまいました。だって、先ほどから本能が警鐘を鳴らすのです。これ以上聞けば、後には戻れないと。
伯父様は入ってきた扉の前まで来て、振り返ります。
「ほら、おいで。レナ。」
「・・・」
「レナ?」
私は、うつむいたまま立ち上がります。
おそらく、このまま外に出れば、この話を聞く機会は一生失われることでしょう。そう考えて、もう一度私は考え直します。
怖い。これ以上聞くのが怖い。でも、それ以上に・・・
―行きなさい。そして、この世界を救ってみなさい、未来の王妃。
よみがえるのは、お母様の言葉。お母様の期待を裏切りたくない。私は、顔をあげます。
「伯父様、話の続きをお願いします。伯父様は、どのような魔法書をお作りになられたのですか?」
その言葉に驚いた顔をする伯父様ですが、それも一瞬のこと。すぐに笑みを浮かべて、答えてくださいます。
「作りたくなるものなんて、決まっているものだよ。最高のものを作りたくなるのが人間だ。そして、僕の手元にはそれに対抗する書があった。」
「伯父様、あなたは・・・禁忌に手を出したのですね。」
「禁忌どまりだったけれどね。ずいぶん昔の話さ・・・完成したのは、本当に遠い昔で、発動したことは今までなかった。完成したら、僕はそれで満足したからね。」
それは、嘘だと、なんとなく思いました。伯父様は、きっと満足をなさっていない。それでも、禁忌を作っても発動させるのは、さすがに思いとどまったのでしょう。
「作った当初は、名前を付けていなかったんだけどね。発動はしなくても、何度もその禁書は使われてね・・・その使われ方を見て、名前を付けたんだ。」
発動はしていない。でも、何度もその禁書は使われた。その言葉には引っ掛かりますが、私は口を挟まずに聞きます。
「アナフタツの書・・・遠い異国の言葉を使った。」
「アナフタツ?」
最初はわかりませんでした。しかし、その言葉はどこかで聞いたことがあります。
アナフタツ。穴、2つ。
人を呪わば穴二つ・・・
前世のことわざが浮かび、同時に炎に巻かれたヘレーナを思い出しました。
彼女が使ったのも、伯父様が使った禁書だったのではないでしょうか?
なんて、ぴったりな名前でしょう。
あまりにはまりすぎて、私は悪寒が収まりませんでした。