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10 悪役令嬢は指名手配犯



 天蓋付きのふかふかのベッドの上に、私は腰を下ろしてそのまま寝転がります。ここは、伯父様が用意してくださった、私の部屋です。この部屋は寝室で、私の用意された部屋は2部屋に分かれていて、寝室は奥にあります。


「アナフタツの書・・・」

 地下で聞いた話を思い出し、眉根を寄せます。


 あれほど「喰らいの書」が原因と思い込んでいた私も、今は「アナフタツの書」が原因と思い始めていました。

 普通に考えて、国で厳重に保管されている七禁書が、賊にわたる・・・または、悪役令嬢にわたるとは考えにくいです。

 今回の件と同様、乙女ゲームでの破滅の道を進んだヘレーナが手にした禁書は、七禁書ではなかったという結論が私の中で出ました。あまりにご都合主義ですものね。


 伯父様は、「アナフタツの書」が発動した場合、どのようなことが起こるのかを話してくださいました。一度も発動させたことはなかったそうなので、予測ですが。

 それは、だいたい私が見てきたものと同じでした。


 銀の丸い塊が、人を襲って魔力を奪うというもの。そして、魔力を奪った塊は成長し、さらに多くの魔力を一度に奪うことが可能になり、魔力の少ないものからだと生命ですら奪う厄介なものになると・・・

 銀ではなく白でしたが・・・そこは誤差でしょう。


 玉に触れれば、人間は一定量魔力を吸われ、一定量以上の魔力がなければ、生命まで吸われ命を落とす。何度聞いても、恐ろしい魔法です。


「お母様はご無事でしょうか・・・屋敷のみんなも、心配です。」

 ここでハインリヒ様の名前が出ないのは、彼が攻略対象だからです。だって、攻略対象がこんなところで死ぬとは思えません。心配は心配ですが、危険度が高いのは脇役のお母様や屋敷のみんなです。


 早く、アナフタツの書を奪わなければなりません。

 アナフタツの書は、術者が触れている間は白い塊・・・死の雪が存在し続けます。逆に術者が手放せば、死の雪はその瞬間に消えるそうです。また、術者が死んでもそれは同じで、死の雪を終わらせるには、書を術者から奪うか、命を奪うかしなければなりません。


 ですが、私は書を奪いたいと思っています。

 それは、人を殺したくないなどという、きれいな理由ではありません。


 伯父様は、誰にアナフタツの書を貸し与えたのか、最後まで話しませんでした。それは、きっと私が最後まで聞かなかったからでしょう。

 もう、答えは出ているのです。それでも、認めたくないと思います。


 私は、ハインリヒ様と結ばれたいのです。その思いは変わっていません。しかし、それ以上の願いが私にはあって、その願いを優先するのならば、私はハインリヒ様と結ばれる資格はありません。

 ハインリヒ様と結ばれることは、未来の王妃になること。その覚悟が、揺らぐのです。


 未来の王妃として、何をするべきか?答えは出ているのに、私はそれをしたくないのです。認めたくないのです。


「お母様、なぜでしょうか。」

 優しい母の顔が浮かびます。最後のお茶会で、恥ずかしながらも根掘り葉掘り聞かれ、赤くなったり青くなったあの日がよみがえります。


 それから、すべてを知っているかのような言葉が、何かを決意したかのような目が・・・その目が・・・鏡に映った悪役令嬢、乙女ゲームのヘレーナと重なります。


―ははははははっ!幸せになんて、なれると思わないことね!私の憎しみ、あなたのすべてを奪うわ!私のすべてを奪ったようにね。


 破滅を迎え、炎に包まれた悪役令嬢の言葉がよみがえります。


「あなたは、何を憎んでいるのでしょうか・・・お母様。」

 憎しみの炎を宿す悪役令嬢の瞳とお母様の瞳が重なり、私は目をつぶりました。零れ落ちるのは涙です。




 悪役令嬢ヘレーナの母。

 お母様は、いつも儚げに笑う、美しい女性です。その儚さが、自分の運命を受け入れているようで、哀愁漂います。


 悪を貫くヘレーナと違い、お母様はただヘレーナをいつくしみ、そばにあり続けました。ヘレーナのヒロインマリアに対する態度は困ったように笑うだけでしたが、それでも肯定も否定もせず、そばにあり続けます。それは、お母様が殺される・・・最後までです。


 優しいお母様が、なぜヘレーナを止めなかったのかは、最初はわかりませんでした。しかし、考えてみればそれこそが最善だったのかもしれません。それで、いじめがエスカレートするのを止めていたのでしょう。


 いじめを肯定も否定もせず、優しくヘレーナの傍にあり続けたお母様が死んだとき、ヘレーナは変わったのですから。


 お母様の死から、ヘレーナの破滅への道は確かなものとなり、その勢いを加速させていきました。そんな彼女の傍には、誰もいません。


 王子は、マリアの傍に。


 父は、愛人の傍に。


 ヘレーナの取り巻き立ちも、離れていきます。それが、彼女たちには最善の道でした。でなければ、彼女たちも共に破滅することになったでしょう。




 私のお母様は、ただ優しいという方ではありませんでしたが。

 王子には、素直に思いを伝えるように。などと、恋愛的なアドバイスをしてくださったり、それに背くことがあれば、「死にたいの?」とご飯を抜かれることもありました。もちろん1回分だけですが。

 そのおかげで、王子には私の思いはしっかりと伝わっているという自覚があります。恥ずかしいですが、頑張って「好き」を言葉にしましたから。思い出しただけで顔が熱くなりますね。


 こう考えてみると、乙女ゲームのお母様と私のお母様は少し違うような気がします。

 乙女ゲームのお母様は、罰としてご飯を抜くというようなことはしないと思いますし、素直になんてアドバイスはしないでしょう。ありのままの、ヘレーナを愛していたと感じます。


 私が前世の記憶を持っていることで、お母様も変わってしまわれた?そして、それがお母様の凶行・・・いいえ、これは確定ではありませんね。


「どちらにせよ、帰ってお母様に会わなければなりませんね。」

 この国でやることがないと分かった今、私は明日にはここを出ようと考えました。そして、それをディーに伝えようと寝室を出た時、激しく扉がノックされました。


「レナ!私だ!」

「ディー?」

 焦った声を出したディーは、私の返事を聞くと扉を開けて私に駆け寄ってきました。


「レナ!落ち着いて聞くんだ!」

「ど、どうしたの?そんなに焦って・・・」

「指名手配されているんだ!」

「・・・指名手配?」

 呑気そうに聞き返した私に、ディーは泣きそうな顔で告げました。


「君が・・・ヘレーナが我が国で指名手配をされている。死の雪をふりまいた、大罪人として・・・レナ。」

「え・・・」

 呆然とする私を、ディーは抱き寄せてくださいました。

 でも、そんなことは認識できずに、ただ告げられたことが頭を反芻します。


「私が、指名手配?死の雪をふりまいた?」

「それだけじゃない。君は・・・公爵家と縁を切られている。もう、公爵令嬢でも、ハインリヒの婚約者でもないんだ。」

「・・・そんな・・・嘘。」

「嘘じゃない。でも、私もハインリヒも・・・君の味方だ。どうか、信じてほしい。君を守り切れなかった私たちだけれど、どうか信じてくれ。」

 ディーの言葉が理解できません。私が縁を切られた?それが意味するものは?


「お母様が・・・私を捨てた?」

 呆然と呟く私をディーは強く抱きしめてくださいましたが、ぽっかり空いた穴は埋まりません。


 大罪人になる可能性は考えていました。

 ハインリヒ様に婚約破棄される可能性は考えていました。

 縁を切られる可能性は考えていました。

 お父様に見捨てられるのは、当然だろうと思っていました。


 だけど、こればかりは思っても見なかったのです。


 零れ落ちるのは、涙。

 これほどまでの絶望を、私は今まで経験したことがありません。それほどまでに、信じられない、認めたくない出来事なのです。


「お母様、嘘ですよね・・・」




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