15、人工的走馬灯
日が昇る頃、獄守りに揺り起こされて、シャワーを浴びた。それからパンとミルクの食事をとって、何枚かの書類にサインをした。真新しい、白い囚人服を着せられた。私は一連の作業を心静かに済ませていった。全てを滞りなく終えて、地上への階段を獄守りとともに上っていった。
中庭はしんと静まり返っていた。そこには人っ子一人見当たらなかった。私は大勢の野次馬の存在を予想していたので、すっかり気落ちしてしまった。
まだ雪の解けきらぬ草の上に、ホワイト・ボックスがぽつねんと置かれてあった。それは麗しい花の咲き乱れる豪奢な中庭に、不釣り合いな異物であった。さながら宇宙からの落し物といったような。
その壁には鮮やかな絵の具で描かれた天使たちが泳いでいた。ラッパを吹き鳴らし、川辺に戯れ合っている。
獄守りが私の手錠を外し、お別れの合図に肩を優しく叩いた。彼は笑っていたーなぜ笑っているのだろう?彼の表情は、死刑囚を見送るものというよりは、遊園地のメリーゴーランドの運転係のそれに近かった。
促されるまま、その入り口に立った。彼らは静かに私から離れていった。
私は冷たいドアノブを回した。
*
私を待ち受けていたのは窓のない小さな部屋と、中央に置かれた木製の椅子だった。椅子に座り、ベルトをきつく締めた。万が一逃げ出したくなっても、簡単には逃げ出せないようになっているらしい。だが手が震えて、うまく結ぶことができない。
いつの間にか後ろに控えていた係員が、私のために優しくベルトを結んでくれた。私はその大きく優しげな手を、力なく呆然と見つめていた。
「怖いかね。アラン。」
呼ばれて、ハッと顔を上げると、係員は、ネロその人であった。白い制帽をかぶり、白い制服を着ている。まるで駅員のような出で立ちだ。
「怖いかね。」
私はブルブル震えて、答えることができなかった。ネロは私の手を握り、こういった。
「君が帰ってきてくれた時、僕が、どれだけ嬉しかったか。」ネロのつぶらな瞳は潤んでいた。「せめて最後だけは、幸福になって欲しいんだ」
「ネロ、私は、私は、すまないと思ってる、私は、記憶を歪めて、君を悪者にした。」
「いいんだ、アラン。そんなことはもう。」ネロは目を伏せた。その仕草には、憂いと色気が漂っていた。
彼は悲しみさえも、美しさに変えてしまうのだった。「だけど、最後に教えて欲しいんだ。なぜ君は死刑台に戻ってきたんだね?」
「こうするしか、他にわからない。」私はネロの手を離した。「特別になるために、こうする以外にわからないんだ」
ネロは私を理解に苦しむといった表情で見つめた。
「君にはわからないよ。君には。」
「なぜだね?」
「君は特別なんだもの。誰にとっても、そしてもちろん、私にとっても。」
同時に扉が開いて、私は暗いトンネルの中に、郵便のように運び込まれていった。
*
暗闇の中、歯車の回る音だけが響いていた。私は手に汗を握り、恐怖を必死に追い払おうと唇をきつく噛んだ。
もう後戻りはできないのだ。私は石のように身を硬くした。
やがて、前方に闇を切り取るような四角い光が見えてきた。光に飛び込む寸前、さっと明かりが消えて、再び深い、行きつまるような暗闇が辺りを覆った。
*
部屋の中にたどり着くと、椅子がぐるりと180度回転して、目の前にろうそくの淡い光が点いた。
小さな窓。クリーム色のレースのカーテン。しんしんと雪の積もる夜。
ろうそくの光が二つに増えて、隅の暖炉が照らし出される。
バランスを崩した火かき棒。漆喰の壁。
私は震える。ろうそくが3つに増え、4つに増え、5つに増え、部屋の全容が見えてくる。
私は息を飲む。ここは、祖母のアパートそっくりなのだ。一瞬、自分の記憶の中にいるのかと錯覚したほどだった。
目の前に、一枚の絵が飾られている。そこには、私の家族が並んでいる。王冠をかぶった若く、聡明な父。頬をバラ色に染めた母。アップルパイを運ぶ祖母。そして、幸福そうに見つめ合う二人の少年。それは兄さんと私ー。
私は激しく震えた。これはなんだ?私は一体、何を見ているのだ?
次の瞬間、椅子ががくんと乱暴に回転して、部屋を勢い良く飛び出した。
先程までとは違う、髪の毛がなびくほどの猛スピードで椅子は滑って行く。不意に、がくんと椅子が下を向いて傾いた。心臓が浮き上がるあの気持ち悪い感覚に、私は目をつむった。椅子はどこまでも急降下して行く。
突然椅子ががくんと止まった。ベルトが思い切り体に食い込んで、内臓を強く押しつぶす。胃液がせり上がるのを感じ、必死に奥へと飲み込んだ。
ぱあっと明かりがついて、目の前に豪奢な広間の光景が浮かび上がった。
ドレスを着飾った機械仕掛けのマネキンたちが、ぐるぐると規則的に回転している。密やかなワルツと、ぶつかり合うグラスの華麗な音が聞こえてくる。顔のないマネキンたちが部屋をいっぱいに埋め尽くし、ぐるぐる回り続けるようすは、なんと奇怪なことか!
あまりの恐ろしさに目をつぶろうとすると、体をすさまじい電流が駆け抜けた。体は私の意志とは関係なく魚のようにびくんと跳ねて、目を開けるとそれは止まった。
私は意識を飛ばしそうになりながら、目の前に照らし出されたその絵を見ねばならなかった。そこには王冠をかぶり、胸を張って得意げにスピーチをする私の姿があった。私は震えた。これは誰だ一体どこの誰だ?
マネキンたちが回転するのをやめた。かと思うと、マネキンたちの首が180度回転し、のっぺらぼうの顔に変わり、微笑みの顔が現れた。
「アラン陛下、万歳!」狂気の声を皮切りに、一斉に四方八方から声が聞こえてきた。「アラン陛下、万歳!」マネキンたちはその声に合わせて、両手を激しく上げ下げする。私は恐怖に痙攣した。
天井とマネキンの腕の間で、透明なワイヤーがギラギラ光る。
しかし、マネキンの数があまりにも多すぎて、ワイヤーがどんどん絡まり始めた。マネキン同士がぶつかり合い、破壊し合う。私は倒れかかってきたマネキンたちに潰される。頭に、「圧死」の二文字が浮かぶ。
「やめてくれ」私は叫んだ。「頼む、おろしてくれ」
「アランヘイカバババッバンザイバンザイアランヘイカババッバババb」
「やめてくれ…もうたくさんだ!」
足元のコンベアが動いて、私の体は引きずり出される。
もうたくさんだ。早く終わりにしてくれ。私の儚い願いをよそに、椅子は次の部屋へ到着する。
それから私は、何枚の絵を見ただろう。クマを一撃でねじ伏せる私、野蛮人と輪になってマイムマイムを踊る私、素晴らしい私、どこへ行っても、歓迎され、愛される私、私、私。
次回で完結いたします。




