13、カニ色の道
真夜中の、凍てつくような歩道の上を、私たちは囚人服一枚で歩き続けた。丸めて打ち捨てられた新聞紙が、カラカラ笑うように転がって、足元を通り過ぎて行った。見あげると線のように細い三日月が、にっこりと笑いかけてくる。私たちは口も聞かずに黙々と歩き続けた。
端から見たら、我々は、不思議な二人組に見えたことだろう。霙まじりの向かい風の中を、牢獄へ向かって歩いて行く囚人服の二人組。だが路上には浮浪者一人、野良猫1匹だっていなかった。
我々は商店街の一角に差し掛かった。それは宮廷まで続く、長いメインストリートであった。不意に、サリーが一軒の雑貨屋の前で足を止めた。それはクリスマスツリーが飾られていた店だった。だが今やそこには、「売り切れ」の札が一枚飾られているだけだった。
「何を見てんだい」私が声をかけると、サリーは「盗んでやろうと思ってたんだ」と言った。「だけど間に合わなかったな」
「ツリーなんて柄じゃないよ」
「そんなことはねえさ」サリーはガラスをトントン叩きながら答えた。「俺が船乗りだった頃には、毎年、クリスマスをやってた。絶対に忘れなかった。サンタの格好で宝石店やホテル、カジノを襲撃する。それからみんなでシャンパンを飲み、七面鳥を喰らって、綺麗に着飾った女たちに、王族だと身分を偽って、朝まで踊り続けるんだ。」
「ご立派なことだ。」
「今度はもう、誰も殺したりしない。海に出て、命が尽きるその日まで、みんなで仲良く楽しく暮らす、それだけだ」
サリーが珍しく饒舌なので、私は彼をちらっと盗み見た。そこで、私はぞくりとした。おでこにくっついたあの三つ目の目玉が、ガラス越しに私を捉えているのであった。
「俺は生まれた時、目が一つ多かった。たったそれだけのことで、俺は親に捨てられた。見世物小屋に拾われて、そこで、いろんなやつらを見た。小人に巨人、半魚人に、狼に育てられた野生児。奴ら、鎖に繋がれて、どんどんバカになって行くんだ。それこそ、猿みてえにな。」
私はショーウインドウに映るサリーの顔を見つめた。みぞれが徐々に雪に変わって、吐く息が雪を溶かした。
「俺は一人、自由を求めて飛び出した。そうして、海賊になった。だから、俺の船の上だけには」サリーはウインドウを伸びきったつめ先で何度も叩いた。「奴らの座る場所があるようにしてやる」
「なあサリー…私…私も…」
「それじゃあな。ここまでしか見送ってやれねえよ」
「連れて行ってくれ、サリー」私は雪の中にひざまづいた。「行くところがないんだ」
「お前はだめだ」
「なぜだ?」私は震える体を掻き抱いた。「なぜなんだ?」
「俺はお前を自分の船に乗せたくない」
私の唇はガクガク震えた。
「なぜ、そんなひどいことを言うんだ」
「手を離せーさもなきゃ撃ち殺す!」
サリーはピストルを抜いた。
「冗談だね?サリー?ねえ…」私の鼻水は氷柱になって震えていた。「まさかそんなことはしないだろう?」
サリーはすがりつく私を蹴り上げた。
「嘘だろ?ねえー」
「汚い手で触るのはよせ!」サリーが顔を歪めた。火花が散って、弾丸が私の右肩をかすった。私はその瞬間に全てを悟った。
「お前にはわからない。わかってたまるか。俺たちのような人間の気持ちが。」
「サリー、わかったよ」私は立ち上がった。
「さよなら、サリー。さよなら。」
私はサリーに背を向けて、歩き出した。降り積もる雪は、街を真っ白な砂浜に変えていた。雪の砂に赤い小さな穴をいくつも穿ちながら、私はどんどん進んでいった。
*
やがて駅にたどり着いた。最終電車が到着する5分前だった。私は人目につきそうな場所を探し、閉店作業を始めているカフェの前に陣取った。そこで電車を待った。
新聞紙を広げて、くまなく読んだ。それは昨日の日付のスポーツ新聞だった。歌劇団のスター俳優が電撃引退、有名騎手の熟年不倫、ムチムチナイスバディの新人女優、アンジェリーナが文化親善大使に大抜擢、新人外交官の歪んだ土人愛ー
だがどこにも私の名前はなかった。私は新聞紙を捨てて、駅から溢れ出した人混みの波へ突っ込むように歩いて行った。誰かが私を見つけて、呼び止めるにちがいない。
だが、私は海を開けるモーゼのように、人混みを綺麗に二分しただけだった。彼らは一斉に私を見ないふりをした。私は一人の青年の肩を叩いて、振り向かせた。青年はこわばった笑みを浮かべた。
「何ですかね?」
「私のことがわかるか?」私は尋ねた。「私のことを知っているか」
青年は逃げ出そうとした。私は青年の肩を掴んでもう一度振り向かせた。青年が私を思い切り突き飛ばした。悲鳴があがり、私を避ける輪が広がった。私は人混み一人一人の顔を見つめて、「私を知らないか」と尋ねた。「誰も私を知らないのか?」
私の声は駅前広場に響き渡った。だがそれすらも、轟々と吹き付ける木枯らしの音にかき消された。
突然、トントン、と優しく肩を叩かれた。振り向くと、制帽をかぶった若い駅員が、呆れた顔でこちらを見つめていた。
駅員は私の顔を珍獣でも見るような目つきで図々しく覗き込んだ。「お客さん、仮装パーティの帰りかなんかで?」
「君、私がわからないか?」
「お名前は?身分証かなんかー」
「言わなきゃ、わからないか?」
「え?」
「名乗らなくちゃ、わからないかね?私が誰だか?」
駅員は薄い笑みを浮かべて、「ああ、わかった。俳優さんだね?」
「いや」私は俯いた。「そういうんじゃない」
「それなら、道化師かね?」
「それも違う」
「すまないね、お客さん。そっちの方面には疎いもんで。あんたがどんな有名人だとしてもね。私がわかるのは、政治家や、王家の人間くらいのもんだから。」
絶句する私に、駅員はひどく薄っぺらな笑みを浮かべて、こういった。
「それで、お客さん。住所は?」
「住所」私は甘えるように繰り返した。
「駅で一泊、何てことを許すわけにはいかないからね。帰る場所はないのかい?」
「帰る場所」私は繰り返した。
「誰か、あんたを待ってくれている人はいないのかね?」
「ひとつだけある」
駅員は安心したような笑みを浮かべた。
「どこなんだい?」
私は駅員をじっと見つめた。そうして、たっぷり間を置いてから、「刑務所だ」といった。
「死刑が私を待っている」




