8、山奥のミンシュシュギ
真っ赤に輝く朝日が、砂浜をオレンジ色に染めていた。我々は、入江の崖下で、焚き火をした。我々は、ものも言わずに食事をした。食事は、森で採れたココヤシの実、それのみであった。
だが、これだけの量では、疲れ切った私たちの体に、足りるはずもなかった。するとホウキが棍棒に縛りつけて息も絶え絶えの子豚を、火の上にかざしてあぶろうとした。
しかし、オメガがその手の甲を真上から勢い良く引っ叩いた。再び一触即発の状態が訪れる。私はすかさず尋ねた。
「お前の兄さんはなんて言ってるんだ?」
「神棚に捧げる前のものを、食うてはならぬ」ホウキは忌々しげに唾を吐いた。それからオメガを突き刺すように指差して、「連中は古臭い考えだ。」と言った。
オメガが青筋を立てて何かをまくしたてる。ホウキは髪の毛をぶちぶちとかきむしりながら訳を続ける。
「アラン君。」ホウキは兄の言霊にのりうつられるのを拒むように、苦しみながら通訳を続けた。「君はぼくの妹をメクラにしようとしているのか。」
「何を言う。どういう意味だね」
「色を知ってしまったら、ホウキはもうおしまいだ。もう二度と、ここでは生きていけなくなる。やがては、長老様に追い出されるだろう」
ははん。私は心の内で鼻を鳴らした。こいつ、妹の恐ろしいほどの成長が、面白くないのだな。出る杭は打たれるということか。
「君たちの村では、大事なことは長老様とやらが全て決めるのかね?」
「もちろんそうだ」
私は今こそ栄誉を回復するチャンスと考えた。それにこのオメガという私より随分年下であろうこの青年には、私の真の偉大さがどこにあるのかを、とことん知らしめてやらねばならぬ。
「それでは、いいかね。今からお前とお前の兄さんに、いいものをやろう。とびっきりのいいものだ…それはお前らが、今までどんなに願っても、手に入らなかったものだ。」
それは私が先ほど森の中で「土人ども」と叫んでしまってから、ずっと頭の中で練り続けていた計画であった。
ホウキは姿勢を正し、私の方へ居直った。それから私はホウキに、私の言ったことをオメガにも正確に訳すように命じた。ホウキは所々手間取りながら言葉の仲立ちをした。不安定な訳が終わるとオメガは訝しむように私を見つめた。
私は木の枝で砂の地面に豚の丸焼きの絵を描いた。そしてその隣に、にっこり微笑む豚の顔を描いた。それから落ちていた巻貝を三つ拾い上げて、声を大きく張り上げた。
「良いか。私は今から、この貝を、素晴らしいものに変えてみせる。何になるかというとー」
「金か。」
「違うぞホウキ。もっといいものだ」私はホウキの目の前に巻貝を突きつけた。「今からこれはお前の意思だ…意思という言葉の意味が、わかるか?」
ホウキは首をかしげた。
「つまり、お前の、気持ちだ。お前の願い…そして、権利」
「ケンリ…」ホウキは小さな子のように繰り返した。「ケンリ。ケンリ。ケンリ。」
「そうだ。こうしたいと願う権利を、今からお前たちに与える。」ホウキが必死に訳しているのを尻目に、私は三つの巻貝を手のひらに並べた。「一つはホウキ。一つはオメガ。最後の一つは私の分だ。わかるな?」
二人は興味津々でうなづいた。「よろしい。では、我輩アランドラはただ今より独断で、独裁政権下に支配されている未開人2名に、国民としての権利を保有さすることを、ここに高らかに宣言する。」
ホウキはわからない言葉の連続に、訳すのをすっかり諦めたようだった。私は構わず立ち上がり、神妙な顔つきで、二人に「権利の貝」を配った。それは私がかつて、毎日王宮を練り歩く時の態度であった。
言葉がわからなくとも、二人は私の荘厳な態度にすっかり呑まれてしまったように見えた。二人とも姿勢をまっすぐただし、聖杯を受け取るかのような厳かな面持ちで、両手で巻貝を受け取った。ホウキの目は期待に輝き、オメガの目は動揺に泳いでいる。
「おめでとう。君たちはたった今、晴れて国民になったのだ」私は大きく咳払いした。「それでは、今から民主主義の名において、国民による多数決投票で、重要事項を決議する。決議内容は、その豚を今宵の晩餐に出すべきか否かについて。」
ホウキとオメガは困惑したように互いに目を見合わせた。私は木の枝の先で地面の絵を指し示した。
「難しく考えることはない。右。豚を食う。左。豚を食わない。さあ、どちらか一つ、望む方に投票しなさい。」
オメガとホウキは不思議そうに私を見つめていた。並んだ二つの顔は、形こそ違えど、個々のパーツの造形という点において、非常によく似通っていた。なまこのようにぼてっとした唇に、ごま塩のような眉毛、隠しきれない卑屈な目つき。だが二人の瞳は真剣そのものだったので、自然と私の口調にも熱がこもった。
「その貝を、お前たちがこうしたい、と思う方の絵の上に置くんだ。さあ。やってみろ。」
「もう二度と、戻ってこないか?」
「いいや、それは死ぬまでお前のものだ。だから安心して、置いてみろ。」
ホウキが意を決したように立ち上がって、おずおずと巻貝を右の方に置いた。オメガものそりと立ち上がって、左のほうへ置いた。
「よろしい。ではー」私は自分の分を持ち上げた。「これが私の意思だ。」
私の巻貝の動向を、二人は穴のあくほど見つめていた。私はしゃがみ込んで、大きく息を吐いてから、その穴の空いたピンクの貝を左へ置いた。
「二対一だ。多数決で、豚を食わないことに決定する」
ホウキは苛立ちまぎれに貝を私の顔に投げつけると、ガニ股で森の奥へ駆け出していった。
「おい、どこへ行く」
オメガがじっと私を見ているのに気がついた。彼は何かを言おうとしていたが、とうとう諦めて、こちらに背を向けて寝転んだ。私はなんだかすっかり、勝ち誇ったような、だけどそれ以上に良いことをしたような、とにかくひどく得意な気持ちになって、寝転んだ。
夜空に輝く星々を見上げているうち、私はいつの間にか眠ってしまった。
*
焼き魚の香ばしい匂いで目が覚めた。まだ夜明け前だった。草は朝露に濡れて、全てが淡い霧の中に沈んでいた。
毛布にくるまったホウキが、トビウオを炙っているところだった。私が起きたのに気がつくと、黙って温かなハーブティーを差し出した。
お礼を言っても、ホウキは目を合わせようとはしなかった。まだ怒っているのだろうと思い、放っておくことにした。オメガはまだ犬のように丸まって、小さくいびきをかいていた。
「アラン」ホウキが突然囁いた。「もう一度、ミンシュシュギ、しないか」
「なんだって?」
「もう一度、ミンシュシュギ、しよう」
「どういう意味だ」
ホウキはそれ以上の説明は不要と言わんばかりに立ち上がり、乱暴に兄を揺り起こすと、昨晩の私の真似をして、偉そうに立ち上がった。
ホウキは私にどんぐりを手渡すと、「これから、ミンシュシュギ、しよう」と言った。
私は手渡されたどんぐりを勢い良くパンツにしまいこむと、立ち上がった。そして、極力自然な笑顔を取り繕って、「お遊びはおしまいだ。もう村へ帰ろう」とあかるく言って見せた。そして、誰の反応も伺わずに、元来た方向を辿って歩き出した。
するとホウキが追いかけてきて、私の肩をグッと掴んで振り向かせた。
「見て、アラン。」
ホウキは魚籠の中から次々にどんぐりを取り出した。呆然と立ち尽くす私の足の甲に、次々とどんぐりが山のように積み上げられて行った。
「見て。ホウキ、たくさん権利を持っている。どんなことも思いのままだ。だからもう一度、ミンシュシュギ、しよう」
ホウキは得意げに胸を張って見せた。昨晩、森の奥に駆け込んで行ったのは、これを集めるためだったのだ。だが私は、段々、強い怒りがグツグツと湧き起こってくるのを、どうしようもできなかった。
「こんなのは権利とは言わないんだ」私は震える声で言った。「こんなのは違う、こんなのは…」
ホウキが目をパチクリさせた。
「どうして?」
私の手は激しく震えた。わかっている。わかっている。ホウキはそんなつもりでやったんじゃないのだ。
だが、私にはそれが、ネロが私にやったひどい仕打ちの繰り返しのように思えてならなかったのだー
裏切り。陰謀。バカでのろまな、ぼんやりアラン、何にも気づかないアラン!
「…アラン?」
「二度とこんな真似をするな!」私はどんぐりを土ごと掴んでホウキの顔にぶちまけた。あまりの剣幕に、ホウキは体をこわばらせた。オメガは少し離れたところから、呆然と私を見つめていた。
「いいか、お前のやったことは、裏切りだ…陰謀だ!人間のやることじゃない…卑劣漢め!悪魔の所業だ!地獄に落ちろ!」
「すまない」ホウキは私に追いすがった。「怒らないで」
私は力なくひざまづき、祈るように繰り返した。「もうやめてくれ…もう二度と、二度とだ」
「ゴメンなさい…泣かないで」ホウキは震える私の左腕に触れた。
「ホウキ、もっと勉強する。そして、もう二度と、アランを怒らせたり、悲しませたりしないようにする」
「いいんだ、ホウキ」私はその頃にはすっかり疲れ果てて、頭もろくに回らず、自分が何を言っているのかもわからぬままに、こう答えるしかなかった。「お前はそのままで」
我々はそれから、行きの時よりも一層寡黙になって、帰りの道を引き返した。




