7、ダメ人間の証明
それから我々三名は早めの夕飯を済ませて、森へ出た。
黒い森の中を無言で歩き続けた。暑く、苦しい道のりだった。ホウキは疲れ知らずで、裸足でズンズン草や木をかき分けて進んでいった。私は木の根につまづいたり、ぬかるみに足を滑らせたりして、途中、何度もホウキを呼び止めなければならなかった。その度オメガは私とホウキの真ん中くらいの地点で振り返り、私を冷たい瞳で見つめ、決して手を差し伸べようとはしなかった。
やがて目の前に、深い小川が現れた。ホウキはワニを見つけるやいなや、それを捕まえようとして、勢いよく川に飛び込んだ。私たちは怒涛の勢いでそれを飲んだ。乾いて干からびそうな喉の奥が、生き返るようだった。
ワニを捕まえ損ねたホウキが突然、私の肩を無言で何度も叩き、らんらんと輝く瞳で、川下の方向を指差した。
おぼつかない月の光に照らされて、ピンク色の獣が、子供を連れてのそのそ歩いているのが見えた。子豚共は私のように、あっちへ転んだり、そっちへつまづいたりして、その度に母豚が振り向いて待ってやるので、一向に進まないのであった。
私は豚に感情移入するほど見つめていたので、ホウキが勢いよく豚の列に向かって駆け出したのにもすぐには気がつかなかった。すぐさまけたたましい悲鳴が木々の間に反響し、前方で重たい土埃が舞い上がった。後ろでオメガが呆れたため息をつくのが聞こえた。
ホウキが一匹の子豚を抱えて、戻ってきた。豚はホウキの腕の中でぐったりとしていた。
「生きているのかね?」
「死んでいない。生きたまま焼くと、うまい」
するとオメガがホウキに向かって何かを言った。しかしホウキは豚を抱きかかえ、イヤイヤするように首を振った。オメガが先ほどより厳しい口調で何かを言ったが、ホウキはそれを無視して、先へと歩き出そうとした。するとオメガが無理やりホウキの肩を掴んで、振り向かせ、豚を取り上げようとした。ホウキはものすごい剣幕で兄をにらんだ。
ホウキは豚を抱えたまま、オメガに向かって腕まくりをした。オメガも釣り道具を置くと、上着を脱いでホウキと向かい合った。
ホウキがパンチを繰り出すと、オメガは驚くべき反射神経でもってそれを回避した。二人は上になり下になり、川の中に転がりこんだ。激しい水しぶきを上げながら、二人は殴り合った。ホウキも相当だが、オメガもまた、病弱な見た目には似つかわしくない、ずば抜けた運動神経の持ち主であった。
私は巻き込まれないように、岩に手をかけ足をかけ、何とか上まで登りきった。
そこから見下ろすと、兄妹の戦いがよく見えた。私は息を飲んで見守った。それは生命と生命の激情的なぶつかり合いだった。
オメガがホウキのお面を上と下とで真っ二つに叩き割った。ホウキはそれでも怯むことなく、お面の鋭利な破片をオメガの頭に向かって振り上げた。「やれ、もっとやれ」私はつぶやいていたー「そこだ、やれ!土人ども!」
言ってしまってから、まずかったと気がついた。血まみれの両名は時間が止まったかのように、目を見開いてじっとこちらを見つめていた。私は刺すような視線を全身に感じながら、黙って木から降り、「つい口が滑った」といった。「もう二度と言わない」
ホウキは割れたお面の上半分だけをかぶりなおすと、何も言わずに一人で先へと進み始めた。オメガも無言のままにその後へ続いた。私は決まりの悪い思いで、彼らの後を追った。
しかし誰より裏切られたという思いを感じているのは私であるのに違いなかった。私は私自身に裏切られたのであった。私は自分の煩悩全開の態度に対して激しい恥を感じていた。なんとかして、埋め合わせをすることが急務であった。
*
やがて切り立った断崖絶壁の真上にたどり着いた。下を覗くと、岩礁の隙間に、船の残骸らしきものが多数見受けられた。荒ぶる波の激しさに、思わず足がすくんだ。私が今まで過ごしていたのは美しく穏やかな内海であったのだと、ここへ来て初めて思い知らされた気持ちであった。
そのまま海沿いに進んでいくと、ホウキが突然足を止め、眼下を指差した。そこは奥まった入江であった。「秘密の入江だ」とホウキは言った。二人は滑りそうな岩場を苔や岩の突端をつかみながら、器用に伝って降りてゆく。私も慎重にその後へ続いた。何度かヒヤリとする場面があったが、大事には至らなかった。私の左腕と両足は以前よりもたくましく、島向きに進化したようだった。
見上げると、雲の間に燦然と輝く星の道が見えた。流れ星を追って飛んで行く黒い鳥も。ホウキはダイヤを空に向かって掲げると、ヒューウ、とあの下手くそな口笛を吹いた。私も真似をして、ヒューウ、と一つやってみた。
するとオメガが私に何かを差し出した。それは弓矢であった。私は何事かと彼を見返した。するとオメガは一方的に、空を指差したまま、何かを早口でまくし立てた。その態度には、どこか見下したようなところがあり、私は少しムッとした。私が答えないでいると、オメガはホウキに向けて何かを言った。
「訳せ、ホウキ。正直に」
「ずっと村にいるつもりなら、狩りもしなくちゃいけない。役に立たなくちゃいけない。」ホウキはぼそぼそと通訳した。「熊を倒せるのだから、鳥くらい仕留められるだろう」
オメガがさらに何かをいう。私はホウキに訳すように頼む。
「英雄の証明をしろ。本物の英雄ならなんだって、思いのままに倒せるはずだ」
私はオメガを睨みつけた。しかしオメガの意志の強い瞳に、数秒のうちに目をそらした。
私は彼の手から弓矢を奪い取ると、空に向けて勢い良く弓をひいた。しかし、弓に触れるのはこれが生まれて初めてだった。弦はしなり、体はプルプル震え、矢尻は定まらない。見守る四つの目玉が、圧となって私を苦しめる。それだけではなく、暗闇の中から瞬きもせずにこちらを凝視する、そこにいるはずのないものの、強い気配を感じ始める。
この苦しみから解放されたい、という一心で、私は一思いに弓を射った。矢は丸い放射線を描いて、まるきり見当はずれの方向へ飛んで行った。
私は無表情のまま、弓を地面に置くと、二名を交互に見た。二人とも、気まずそうな表情をしていた。触れてはいけないりんごに触れてしまった、アダムとイブのような顔であった。
私はいたたまれなさが自分を包みんでしまう前に、なるべく静かにこう言った。
「わからないかね?」
ホウキが顔を上げた。
「わからないかね、ホウキ?」
ホウキは眉をはの字に曲げた。
「英雄は、無益な殺生はしないのだよ」
ホウキはぽかんと私を見つめていたが、「訳してやれ」という私の言葉にびくりとして、慌ててオメガに訳をした。
オメガは私を色のない眼で一瞥すると、黙って弓を拾い、何かを呟くと、背を向けて歩き出した。
「兄さんはなんて言った?」
「矢を無駄にしちまった」
私は気の利いた、名誉を回復するような何かを言わねばならぬと思った。しかし何を言ったところで、言い訳にしかならぬように思えて、苛立ちを押し殺しながら黙り込んだ。するとホウキが私の手をとり、こういった。
「アラン。ホウキは、わかっている。」
私はホウキの慈しむような口調とその丸ごと包むこむような態度に、静かなざわめきを覚えた。ホウキは優しげな、それでいて、庇護するものの愛に溢れた瞳をしていた。
私はそれきり黙りこんだ。私は怯えていた。そして自分が何に怯えているのかわからないことに対して、いっそう怯えた。




