ピロシです。元カノも今は、他人の妻とです……。
座るよう促され、父子は応接用のソファに腰かけた。
ノックの音がして、制服姿の女性警官が人数分のお茶を運んでくる。彼女が退室したのを見計らってから和泉は続ける。
「匿名の誰かが、沓澤巡査部長を名指しで批判していたようですが、それは単なる逆恨みです。どうぞご承知おきください」
あくまでも感情を挟まずに。
和泉は冷静な口調で告げた。もっとも、挟むほどの私情も持ち合わせていないが。
「わかってはいたんだ。洋一を追い詰めたのはむしろ、我々……なのではないのかと」
警備部長は膝の上で手を組み、俯き加減に話し出す。「私の家は代々、警察幹部を輩出している家柄でね。長男は必ず、この組織に入ることを義務付けられており……総代の座に選ばれなければ、二度と家の敷居を踏んではならないなんて、アナログもいいところだが……そんなことを地で行っていた一族だったのだ」
「……」
「洋一が本当に警察官になりたかったのかどうか、その気持ちさえ確かめることをせず、私はただ……家のしきたりに従ってあの子を送り出してしまった。妻は、きっと私のそんなところに嫌気がさしたのだろう。洋一が亡くなった後、娘を……梢を連れて家を出て行ってしまった」
彼は今度は、両手で頭を抱えこんだ。
「それでもあの子……梢は私のことを忘れずにいてくれた。時々は母親に内緒で私と会って、一緒に食事をしたり……」
「お嬢さんは、警察官になることをずっと志していたのですか?」
聡介が訊ねる。
「……ああ、あの子は小さな頃からずっとそう言っていた。だから私も時々、冗談のつもりで、いつか警備部に引っ張ってやるからと言ったものだよ」
でも……と、警備部長は続ける。
「どう言う訳かあの子は、刑事になりたいと言っていた」
「刑事に?」
「なんでも……大切な人のために、と言っていたが……」
「大切な人?」
和泉は聡介と顔を見合わせた。
「あの、お嬢さんの交友関係について詳しいことをご存じではありませんか?」
「それなら、妻の方が……もっとも、今は他人の妻だがね」
自虐的に警備部長は笑う。
※※※※※※※※※
釈然としない。
陽菜乃はあれから黙りこくったままだし。
周は宮島口の駅、広島方面へ向かう電車を待つホームで、隣に立っている彼女の横顔を見つめた。
暑くてたまらない。
ジャケットを脱いで、ワイシャツの袖をまくっても変わらない。
それだけに余計、苛立ってしまう。
「……なんで、あんな嘘ついたんだよ?」
「……」
周はがりがりと髪をかきまわした。
「言っておくけど、あの人達……舐めない方がいいぞ? ホントに優秀な刑事なんだから。下手な嘘ついたり隠しごとしたところで、すぐに見抜かれるからな!!」
やはり返答はない。
「おい、聞いてるのか?!」
陽菜乃はしかし、呆然と立っているだけだ。
なんなんだ……。
その時、携帯電話の着信音が響き、陽菜乃が応答した。
途端に彼女は顔をしかめる。
「……何?」
うんとか、そう、とか彼女は2、3言交わしたあと、面倒くさそうに言った。
「今、外にいるの。帰ったらたぶんギリギリ門限だから無理」
周は時計を確認した。日曜日の門限は午後6時半。今はまだ、午後1時過ぎだ。
宮島口から学校の最寄り駅まで1時間弱。
今から寮へ戻ったとしても、どう考えたってギリギリなどと……そうしてふと気がついた。これからまだ振り回すつもりか!?
冗談じゃない。
寮に帰って勉強したい。そう断ろうと思った時だったが、不意に見かけた彼女の顔色がひどく青いことに気がつく。
電話の相手が何やら長い間しゃべっているようだ。
「……じゃあ広島駅なら」
陽菜乃は電話を切り、憂鬱そうに溜め息をついた。
「誰から?」
「え? ううん、何でもない。ごめんね」
「何でもないって顔色じゃないだろ?! 何があったんだよ。今の、誰からだ?」
「何でもないって言ってるでしょ?!」
ムっとした。
そして周は思わず、自分でもびっくりする行動に出ていた。
陽菜乃の手を強く握る。
驚きの表情で彼女がこちらを見上げてくる。
「……離さないからな、ほんとのこと言うまで」
ほんのりと、陽菜乃の青かった顔に赤みがさす。
電車がホームに滑り込んできた。




