えっ、このタイミングで?
何度経験しても、決して慣れるものではない。
被害者の遺体を安置している部屋に遺族を案内するのは。
初めは聡介がその役目を担うと言っていたけれど。真っ青な顔をして署に飛び込んできた被害者の母親を一目見た瞬間、代わろうと和泉は考えた。
心を殺し、感情を胸の奥深く押し込める。
そのことに慣れている自分の方が適役だ。
管轄である廿日市南署の霊安室。
連絡を受けてやってきた宇佐美梢の母親は血の気を失い、全身を震わせていた。
どうか、悪い夢であって欲しい。はっきりとそう顔に書いてあった。
その気持ちは痛いほど理解できる。どんな親がいったい、娘の遺体確認などに……喜んでやってくるものか。
顔にかけられている白い布をめくる。
「お嬢さんの……梢さんに間違いありませんか?」
彼女は食い入るようにその顔を見つめ、そうしてがっくりと膝を落とす。
「どうして、どうしてこんなことに……?!」
遺体にすがりつき、嗚咽を漏らしながら、
「……ヨウイチだけじゃなくて、あなたまで……!!」
ヨウイチ? その名前に和泉は聞き覚えがある気がしていた。
「だからお母さん、警察官になるなんて反対だって言ったのよ!!」
わぁあああっ、と泣き叫ぶ声。
宇佐美梢の母親は泣きじゃくり、とても話を聞ける状態ではなかった。
彼女に付き添いやってきた中年男性は、宇佐美梢の父親と名乗った。
ただし血のつながりはない。
再婚で、梢は妻の連れ子だと説明した。
だからなのだろうか。落ち着き払い、どこか冷めた様子さえ見られるのは。
受け取った名刺には県内のとある有名医科大学の教授と肩書きがあった。
「失礼ですが……お嬢さんについて、どんな印象をお持ちでしたか?」
「私が妻と再婚したのは、今から5年ぐらい前のことで……当時の彼女は中学生でしたが、大人びた子で、それほど家庭の中で難しいことはありませんでした。が、なんと言いますか……」
彼は妻の耳を気にしているようだった。
「もしよろしければ、こちらへどうぞ」
母親は女性警官に任せておいて、和泉達は父親を会議室へ連れて行った。
宇佐美梢の継父は出されたお茶を口に運んで、それから深く溜め息をついた。
「……スクールカースト、というのをご存知でしょうか?」
「ええ、少しは。あれですよね、クラスの中で順位づけを行って上下関係を作り上げるという……」
和泉が答えると、彼は頷く。
「あの子、梢はどうやら上の方のグループだったそうで。妻が止めていたので、私は最近になるまで知らなかったのですが……あの子のせいで転校したり、不登校になった生徒さんが何人かいたそうです。まったく、罪深いことです……」
「なぜ。そんなことに?」
「私も人から聞いた話ですが、とにかくズケズケ物を言うらしいです。他人の気持ちなど少しも考えずに」
「……それだけですか?」
「それだけって、充分じゃないですか。人を生かすも殺すも言葉一つです」
大学教授は憤然として答える。
その点は和泉も否定するつもりはない。
「持って生まれた性質……なんでしょうかね?」
「お嬢様育ちでしてね。遠慮とか、気を遣うことを知らないようですよ。何でも前の父親が県警幹部の一人で、母親も名の知れた旧家の出身でしてね。そんな訳で、随分と学校でも威張っていたみたいです」
そのことが不快でたまらないのか、宇佐美梢の継父は溜め息をついた。
県警幹部の一人?
そして【ヨウイチ】
「あの、もしかすると奥様の前の姓は……堤といいませんでしたか?」
肯定の返事を聞いた瞬間、先ほどの母親の嘆きの意味がわかった。
宇佐美梢は自殺して亡くなった、堤洋一の妹だったのだ。
そのことに何か、深い意味はあるのだろうか?
和泉はとりあえず得た情報をメモしておき、それを北条にもメールしておいた。
するとすぐに返信ではなく、電話がかかってきた。
『……こないだの、堤部長の息子の自殺事件の報告だけど……』
「まさか、このタイミングで報告するんですか?」
『このタイミングだから、よ。下手をすると、宇佐美の件まで沓澤のせいにされかねないじゃない』
彼は沓澤を、かつての部下で後輩を、随分と大切に思っているようだ。
和泉はとりあえず「わかりました」と答えてから電話を切った。
※※※
「彰彦、身許の確認は取れたのか?」
廿日市南署刑事課長と話していた聡介が、こちらの姿を確認して声をかけてくる。
「ええ……」
「すまなかったな、辛い役目をさせて」
「自分から立候補しましたから」
ぽん、と父の手が背中に触れる。
「何度やっても慣れることのない……辛い役割だよな」
「この仕事をしている以上、避けては通れない道です」
それでも耐えられるのは。
理解してくれるあなたが傍にいてくれるから。
和泉は口に出さず、胸の内で呟いた。




