とりあえず助かったみたい
北条はものすごく不機嫌そうな顔をしている。
射抜くようなその瞳がなぜか、こちらに向けられた。
「……あんたに話があったのよ、藤江周」
どきん。
「上村から聞いたわ。あんた、一ノ関と西岡の件……何か疑ってるんですって?」
やっぱりか!!
どうしよう。この件に関しては一切、話題にすることさえ禁止。
それを破ってしまったのだから言い訳はできない。
今度は何をやらされるのだろう?
トラック10週か、あるいは寮の全ての窓を拭けとか?
ここは腹を括って正直に答えた方がいいだろう。
周は真っ直ぐに北条の目を見つめた。
「あれは本当に、自殺や事故だったんでしょうか?」
隣に立っている倉橋が少し怯えているのがわかる。
北条はこちらを黙って見つめている。それに、と周は思わず強い口調で、ここぞとばかりにアピールすることにした。
「俺……自分は、あまり亡くなった2人とは交流はありませんでした。でも。同じ教場の仲間のことは常に気を配って見ているつもりです。特に一ノ関巡査に関しては、何か様子がおかしかったとか、そんなふうには見えませんでした」
刑事に大切なのはとにかく【観察力】だからね。
以前、和泉が言っていたことを思い出す。
言葉に出さなくても、顔色に、態度に、仕草にだって何かしらのサインが現れる。それらを読みとることが大切なんだよ。
嘘をついているのかいないのか、見破られるようになれば一人前だね。
「前にも言いましたけど、俺は一ノ関が亡くなる前の晩に彼と話しました。笑ってたんです。いろいろ悩みがあったけど、スッキリしたって……」
「……」
「……」
ややあって。
「彰ちゃんでしょ?」
「え?」
「どうして捜査1課の刑事が、助教のフリして潜入してきたか、気になってたんじゃないの?」
その通りだ。
「はい、そうです……」
倉橋は知らなかったらしい。
驚きに目を丸くしている。
「何かこう、ずっと探られているような気がしていました。和泉さ……和泉警部補の刑事としての能力の高さは、誰よりもよく知っています」
すると。北条はくすっと笑って周の頭を撫で回し始めた。
「あんたも、あの子にベタ惚れなのね」
「……はい?!」
なんでそうなる?
「いいわ、この件については不問にしてあげる。けど、忘れないで。迂闊にあちこちで口にしないこと。それだけは守って」
じゃあね、と彼は背を向ける。
とりあえず、助かった……のか?
「周……?」
「な、なぁ!! 何も予定ないんだったら、2人で何か食べに行こうぜ?」
「あ、うん、そうだな……俺、車あるし。行こうか」
倉橋は嬉しそうに答える。
それから2人が駐車場に出た時だ。
一番端に停めてあった黒いワンボックスカーの影から、聞き覚えのある男女の声が耳に届く。辺りは既に真っ暗だから、誰がいるのか姿は見えないが。
倉橋の車はそこから3台を挟んだ場所にある。
友人の車に近づくにつれ、ハッキリと声が聞こえてきた。
「だから言ったんです、私があの時、先鋒を務めていれば……きっと優勝できたはずだって!! 水城巡査より私の方が、確実に段位も力も上なんですからっ!!」
宇佐美梢の声だ。
誰に向かって叫んでいるのだろう?
彼女はその後も必死に叫んでいる。どうも聞くとはなしに聞いていると、水城陽菜乃に対する呪詛のようだった。
よく言うぜ……自分のせいで負けたくせに。
周が呆れて助手席のドアに手をかけた時、外から入ってきた車のライトにより、ボンヤリとだが車の影にいる人物のシルエットがちらりと見えた。
あの後ろ姿は沓澤ではないだろうか。
「そういやあの子、えらく優勝にこだわってたからな~……」
運転席に座った倉橋が車のキーを掌でもてあそびながら、おかしそうに言う。
「水城もそう。あいつら、どっちが先鋒で出るかで直前まで揉めて、結局のところ準決勝敗退だっただろ?」
くだらない。
そう思ったがとりあえず黙っておく。
「なぁ、周」
シートベルトを締めつつ倉橋は笑いながらこちらを見つめてくる。
「お前ならさ、水城陽菜乃と宇佐美梢。2人から同時に好きだって言われたら、どっちを選ぶ?」
周もシートベルトを締めつつ即答する。
「どっちもごめんなさい、だ」
「……なんで?」
「俺、自分の姉さんのことがこの世で一番大切だし。そもそも、どっちもただのガキじゃねぇか。俺はロリコンじゃない」
そうかよ、と友人はあきれている。
「そういうお前こそ、どっちなんだよ?」
「俺? 俺は、そうだなぁ~……」
倉橋がエンジンボタンを押した時だ。
「いい加減にしろ!! グラウンド100周したいのか?!」
沓澤の声があたりに響いた。
やはり、一緒にいたのはあの強面教官だったのか。
しみじみと、あんなふうに正面切って大声で抗議する宇佐美梢は、勇者としか言いようがない。
気になったらしい倉橋は、いったんエンジンボタンを消した。
しばらく沓澤の怒鳴り声が響き、そうして梢の声は闇に消えて言った。
周は何気なく車のダッシュボードに表示されているデジタル時計を見た。午後7時半。
「すごいよな、あいつ……あの沓澤教官に食ってかかるなんてさ」
「確かにな」
「まぁ、女王様だもんな。怖いものなんて何もない、ってか」
「……護、早く行こうぜ。腹が減った」
へいへい、と友人は再びエンジンをかけた。




