なめんなよ
武術大会は無事に終了した。
剣道は準々決勝で敗退し、柔道の方は初戦敗退という寂しい結果だったが、とにかく終わったという解放感で周の心は軽かった。
今日は幸いなことに何の当番も当たっていない。
今夜は寮内で少しゆっくりしよう。
今の彼に【実家】と呼べる場所はないと言っていい。
宮島にある姉の実家は既に姉夫婦の住まいとなっているし。
本当は和泉がいたら、一緒にどこかへ食事にでも……と思っていたのに。
どこに行ったのかずっと姿が見えない。
同じ教場の仲間は全員、打ち上げと称して外に出て行った。周も誘われたが、どうもそういう席が好きではないので、上手く逃げおおせた。
たまには1人になりたい。
読みたい本もあるし、もっと勉強したいこともたくさんある。
今日はいつもより遅くまで起きていて、明日はゆっくり休んで、次の週に備えよう。
そう考えて浮き足立ちつつ、寮の廊下を歩いている時だった。
「どう責任取るつもりだよ、ええっ?!」
曲がり角の向こうで、聞き覚えのある声が誰かに怒鳴っていた。
「こっちはなぁ、人生かかってたんだぞ?! お前、本気でやってたのか!?」
寺尾の声だ。
対して何か言われている方の相手の声は聞こえない。
「ふざけんなよ?! 俺にはなぁ、どうしたって譲れない未来があるんだよ!!
「……だから、すまなかったって……」
倉橋の声だ。
驚き、周は声のした方に急いで走っていく。
「護?!」
友人は寺尾に胸ぐらをつかまれ、揺さぶられていた。
「何やってんだよ!!」
周は咄嗟に2人の間に入り、その異様な状況を解消した。
相当苦しかったようだ。倉橋はごほごほと咳き込み始めた。
寺尾はしかし、何か相当頭に来ていたようで、倉橋に対してなのか周も含めているのかわからないが、聞くに堪えない暴言を繰り広げ初めた。
それはまさに、こちらの人格そのものさえ否定しているかのような……。
呆気に取られ、黙って様子を見ていると、どうやら寺尾は今日の大会での成績が思わしくなかったことについて文句を言っているらしかった。
しばらく、やや意味不明の罵詈雑言を繰り広げていたが、とうとう言うことも尽きたらしい。
寺尾は舌打ちし、
「お前らが役立たずのクズだってことは、これでハッキリしたな」
唾でも吐きそうな調子で言い残し、大股で去っていく。
「……護、大丈夫か?」
「え? あ、ああ……別に何ともない」
そうは言うが、彼の顔はすっかり青ざめていた。
どうやったらあんな下劣極まりない言葉を思い浮かべられるのだろうか。
まともな人間ならきっと、頭がおかしくなってしまう。
幸か不幸か、周は幼い頃から暴言を浴びせられることには慣れていた。
そしてそれが見当違いであり、的外れであることもよく承知している。まったく気にならない訳ではないが、少なくとも真に受けて落ち込むようなことはない。
でも、倉橋は……。
「きっとこれから先、現場に出たら、知らない人間からもっと酷いこと言われるんだろうな。今からいい練習になったよ」
弱々しい笑顔で彼は言う。相当、傷ついているようだ。
「違うよ」
「え? どういう……」
「仲間を尊敬できない、思いやれない人間は警察官に相応しくない。何にイラついてたのか知らないけど……」
「そうね」
突然、曲がり角の向こうで声がした。
聞き覚えのある低い声と、奇妙な口調。
「寺尾……奴は、何もかも舐めてるわ……」
言いながらあらわれたのは北条だった。




