悪魔がきたりてなんとやら
いえいえ、と井手は顔の前で手を振る。
「奴も言わば、そこそこいい家のお坊ちゃまですよ。確か曾祖父さんがどっかの島で漁師の網元をやっていたんですけど、戦後のどさくさの中、闇市で一山当てて、漁師を辞めて島から本土に移って……今は県会議員か何かしてるんじゃなかったかな」
「お詳しいですね」
「まぁ、地元で長く客商売をやってるもんですから。いろいろと耳に入ってくるんですよ」
貴重な情報源だな。
いずれ檀家になってもらおう。和泉は胸の内でそう考えた。
「でもその孫……つまり寺尾の父親は相当出来の悪い三男坊だそうで。頭は悪いわ、女癖は悪いわ、一族の鼻つまみ者的な存在だったらしいです。しかも働こうとしない怠惰者ときている。で、それに見合った嫁がきて、寺尾は見事に両親の血を引いた……と」
「なるほど」
それから彼は唐突に、
「あの小説、知ってます? 悪魔が来たりて笛がなんとか……」
「ああ、あの有名な推理小説ですね?」
題名だけなら知っている。
「あの話の中に出てくる、元伯爵だか子爵だかの……実の妹にも手を出した、気持ち悪いのがいたじゃないですか」
「ありましたね、そういえば」
実は詳しいことは知らないのだが、適当に話を合わせておく。
「寺尾ってまさにあんな感じですよ。爵位を利用して、いかに働かず苦労しないで、面白おかしく生きていきたいって言うんですか。寄生虫ですよ、ダニかノミみたいな」
どうやら彼は、寺尾に何か個人的な恨みがあるらしい。
「それでいて親族が皆、自分や両親を見下げるんだって、よくブツブツ言っていました。だから自分が偉くなって、いつかは彼らを見返してやりたいと」
「……その方法がつまり、逆玉の輿に乗ることだ……と?」
そうです!! と、井手は身を乗り出してくる。
その勢いに和泉は思わず引いてしまった。
「そりゃね、見返してやろうっていう心意気は買いますよ。でも、楽をして高い地位に就こうっていうその考え方がいかんですよ。努力あっての実力っていうんですか。若い頃の苦労は買ってでもしろ、って言うでしょう? あいつはまったく、そういう真理を理解していない……そもそも……」
和泉は黙って、しばらく彼の【演説】に耳を傾けていた。
右から左に聞き流しつつ、気になった大事なところはインプットしておく。
長い刑事生活で身に着いた特殊能力かもしれない。
短い時間だが、学生達の人柄を和泉なりに観察してきた。井手の言うことはあながち間違っていないとも思う。
あの寺尾という男。
いつも特定の女子学生を追い回している。もしかしてその子が【元堤さん】だろうか?
あるいは、また別の新しいターゲットを見つけたか。
それにしても。よく考えてみたら、当初の質問の目的からものすごく話が逸れてしまった。
が、つい興味を引かれてしまったのも事実だ。
「……それで、一ノ関君と西岡君のことですが……」
和泉が本題に戻すきっかけを作ると、彼は自分でも失敗したと思ったのか、顔を紅くした。
「失礼。つい……」
「いいえ、どんなお話でも参考になりますから」
これは一部真実で、一部お愛想である。
「そうですか? まぁ……そうこうしている内に卒業です。寺尾と、その元堤さんは同じ高校に進学したんですがね、一ノ関君と西岡君はそれぞれ、別の学校に……」
進学先の高校も聞いておく。
「まぁ、あの2人はね~……そんな調子で寺尾ばっかり目立つもんですから、あまり印象に残っていないというか。あ、でも。一ノ関君には確か、同じクラスに幼馴染みの女の子がいて、けっこう仲良くしていましたよ。その子にお話を聞いた方がいいと思います」
幼馴染みの少女の名前を聞いてメモしておいた。
「ああ、そうだ。もう一つ思い出したことがありました」
井手は氷が溶けかかって、かさの増した飲み物を口に含み、
「あんまり目立たない2人でしたが、一ノ関君は確かすごい俊足で、陸上部から熱い勧誘を受けていましたね。でも、どう言う訳かかたくなに入部を拒んでいましたが。でも、あの彼が警察官になったら、その足で素早く犯人を捕まえちゃうんでしょうね」
そうでしょうね、と和泉は微笑んで相槌を打っておく。
そうして話している内に記憶が甦ってきたのか、彼はポンと手を打った。
「西岡君はそうだ、彼は泳ぎがすごく得意で。確か……お父さんが漁師さんだって聞きましたよ。子供の頃から海で泳いでいたから、水泳の授業になると、カッコ良くて目立っていましたね~。確か、将来は海上保安庁に勤めたいって言ってなかったかな……まぁ、別に警察に就職してもそれほど違和感はないんでしょうけどね」
「……泳ぎが得意……」
「そうそう。2人ともすごい特技があったのに、何かしら寺尾に頭を押さえつけられていたっていうんですか。あれはきっと、自分より2人が目立つのがおもしろくなかったんでしょうね。ほんと、最低な男ですよ」
井手と名乗ったコンビニの息子はその後もまだ、話したい様子だったが、和泉は礼を述べてさっさと切り上げることにした。
泳ぎの得意な人間が、プールで溺れた。
そこが意味することは……?




