お父さんはものすごい心配性
「じゃあ、私は向こうに帰ります」
北条は課長とその椅子を本来の執務室に送り届け、正面玄関に向けて廊下を歩いていた。
すると、背後から呼びかけられる。
「北条警視」
「あら、聡ちゃん」
振り返ると聡介が、心配そうな顔でこちらを見ていた。
「あの、うちのバカ息子は……何か問題起こしていませんか? 他の学生が見ている前で、周君のことだけを特別扱いしているとか」
和泉本人としてはそうしたい気持ちはいっぱいだろうが、今のところどうにか自重しているように見える。
「大丈夫よ。ほんと、心配性ねぇ」
「ならいいのですが……」
ほっと息をついて、それから彼はなぜか急に、刑事の顔つきになった。
「ところで……少し、お時間よろしいですか?」
「なぁに、ランチのお誘い?」
時刻は午前11時半。少し早いが、どこかで食事を済ませてから警察学校へ戻ろうと考えていた。
「そうですね……外に出た方がいいかもしれません」
今度は何だ?
あれこれと考えなくてはいけないことが多くて、さすがに少し辟易しているところだ。が、まさか聡介がくだらない話を持ちかけてくるとも思えない。
県警本部のビルを出て少し歩き、市の中心部である大通り沿いに向かうと、飲食店は迷うほどたくさんある。
聡介には行きつけの店があるらしく、迷わずとある小料理屋へ向かった。
路地裏にひっそりたたずむ、一見お断りといった様子の店だ。
「捜査の方は、進展いかがですか?」
「……散々よ」
北条はつい、溜め息をついてしまった。
「新しい事件……今のところは事故だけど……は起きるし、動機がわからないし。今、亡くなった子の交友関係を洗わせてる」
それに加えて沓澤のこと。
聡介に話すべきではないから、胸の内で愚痴っておくが。
昨日だったか一昨日だったか、沓澤がひどく荒れていたらしい。
珠代には決して、事件のことも不審なメールのことも、不倫疑惑についても口にするなと言ってあるし、彼女はきっと忠実にそれを守っていることだろう。だが。
空気ばかりは制御できない。
沓澤の家の空気はおそらく、史上最悪だろう。
「……実は……」
聡介は声を潜めて顔を近付けてきた。
そんなことしなくても充分聞こえるんだけど、などと口にするのは無粋だろう。
「先日の、学生の死亡事件を自殺と断定した、関谷という検視官ですが」
「あ、そんな名前だったのね」
興味がないから知らなかった。
「……昨日、久しぶりに相原さんと会いましてね。少し話をしたんですが」
「相原って確か、鑑識の……」
「ええ。今は所轄署の地域課にいますが、元々は凄腕の鑑識員です。それはさておき、その関谷という検視官……あまり良い噂を聞かないのですよ」
「どういうこと?」
「とりあえず変死は全部、自殺で片づけておけ。解剖に回す費用があったら、もっと他のことに回せ……が口癖なんだそうです」
実を言うと、初めて顔を見た時から少し、嫌な印象は持っていた。
仕事に対する面倒くさそうな態度。
厄介な用件で呼び出された。
さっさと片付けて帰りたい……。
はっきりとそう口にしたのを聞いた訳ではないが、どことなくそんな様子が見てとれたからだ。
「彼はちゃんと、規定通りの作業を行ったのでしょうか?」
この瞳、この眼つき。
獲物を追う猟犬のそれだ。日頃は優しいお父さんそのものである彼だが、そんな表情を見せる時もある。
それだけに、彼の言うことを聞き流す訳にはいかない。
「北条警視も現場検証に立ち合われたのでしょう?」
「……そうだけど、アタシも鑑識作業に関しては素人同然よ。どこかで適当に手を抜かれたとしても、見抜くほどの力は持ち合わせていないわ」
「……死亡推定時刻は?」
「確か、死後12時間は経過しているって言ってたから、逆算すると日曜日の午後4時から6時までってところね」
「遺体に、動かしたような痕跡は?」
北条はハっとして動きを止めた。
あの検視官は、はなから自殺と決めつけ、ロクに詳しい説明もしなかった。
ただ直感的に自殺ではないと考えていた自分は、もっと突っ込んで質問すべき事項を把握できていなかったかもしれない。
「吉川線は、見つかりませんでしたか?」
吉川線とは被害者が抵抗した際にできる引っかき傷のことだ。
「……聡ちゃん……」
「彰彦からちょくちょく、報告を聞いていて……自分なりにいろいろと疑いの余地が残る部分を考えてみました。もし本当に事件なら、放っておくわけにはいきません」
北条は思わず、聡介を抱きしめたくなってしまった。




