おねが~い、お茶買ってきてぇ~?
夕食はいつも早めの時間だから、昼食を抜いた身にはありがたかった。けれど。そうなると今度は午後9時頃、妙な時間にお腹が空いてしまう。
そこで周は、授業と自主トレが終わった後、閉まりかけの売店に駆け込んで惣菜パンをいくつか買いこんだ。
それから自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、寮の入り口手前で倉橋が宇佐美梢と立ち話をしているのを見かけた。
どうも宇佐美梢の方が、倉橋に詰め寄っている様子だった。
何かやらかしたのだろうか?
「周!!」
こちらに気付いた倉橋がホっとした顔で駆け寄ってくる。
「どこ行ってたんだよ、身体はもう大丈夫なのか?!」
「うん、もう平気」
周は目だけで友人に、どうしたのかと訊ねた。
上手く通じなかったようで、返答はなかった。
すると、2人の様子を黙って見ていた梢が不意に口を挟む。
「今日は大変だったわね、藤江巡査」
「あ、ああ……」
「……あの教官、自分の機嫌の良し悪しで学生を振り回すのよね。最低だわ」
周はおどろいた。
彼女が沓澤のことを良く思っていないことは、なんとなく日頃の様子から知っていた。時々、名指しで悪口を言っていたのを聞いたこともある。
しかし、こうしてハッキリと口に出して批判するとは。
「おい、よせよ……」
誰かが聞いてるかもしれないぞ、と倉橋が止める。
「別に、本当のことじゃない」
梢は腰に手を当て、教官室の入っている棟の方向を睨んだ。いかにも憤懣やるかたないといった様子だ。
その時。周はふと、直感的に頭に浮かんだ疑問を口にした。
「……宇佐美巡査。お前って、沓澤教官に何か個人的な恨みでもある訳?」
あの教官が怖いのは皆、同じだ。
でも、怖いと思うのと恨みを抱くのはまた別の話のような気がする。
すると。梢は弾かれたように背筋を伸ばした。
「それは皆、同じでしょう?! 私だけじゃないわ!!」
「……護、お前も……?」
周は倉橋の顔を見た。
「いや、別に……確かに怖いとは思うけど」
次に、梢の方を見つめる。
彼女はしまった、という顔で視線を逸らしてしまう。
「と、とにかく!! 倉橋君、さっきのことは忘れないでね?!」
梢はそれじゃ、と急いで立ち去る。
周は自分より少しばかり背の高い友人の横顔をちらり、と見る。
「さっきのことって何……? まさか、昼間の話を蒸し返してたとか?」
友人は首を横に振る。
昼間の話、とは一ノ関の死に関する真相について、である。
ただ。この件に関しては一切他言無用、下手な憶測はするな、考えることすら禁止だと命じられた一ノ関の件に関し、周だって気にならない訳がない。
しかし、宇佐美の言ったことはあまりにも非常識だ。
「今度の武術大会のことでさ……彼女、剣道の団体戦、先鋒で出たいから何かアドバイスくれって。もし水城が何か反論したら、俺からも口添えしてくれってさ」
「護は、剣道強いもんなぁ」
「俺なんか、ガキの頃からずっとやってるってだけだよ……」
倉橋はさきほどから妙な笑顔を浮かべっぱなしだ。
「……何がおかしいんだ?」
「いやそれが、女子の間で先鋒を誰にするかで、随分もめたらしいんだよな」
先鋒はチームのムードメーカー的存在である。元気があって、チームに良い流れを作る役割。もし負けても、良い雰囲気で次に繋ぐことができる選手がその座に着くものだ。
「もめたって……やっぱり、水城とだよな?」
「決まってんだろ」
「……なんであんなに、仲悪いんだろうな? あの二人」
すると倉橋は一転して、微妙な表情を見せた。
「高校時代からああだったらしいぜ」
「へぇ、同じ学校だったのか」
「原因は大抵、同じ男を巡って争ったせい……だと。ってことはだ、周」
「なんだよ?」
「目下、彼女達が狙いをつけているのは……お前ってことじゃないか?」
「……そりゃたいへんだ」
正直言ってどうでもいい。周は自分の部屋に向かって再び歩きだす。
飲み物を買い忘れた。パンだけじゃ喉が渇く。
こんな時に限って和泉は姿を見せてくれない。
せっかく、パシリに使ってやろうと思っていたのに。
そこで周は仕方なく、自分で自動販売機まで飲み物を買いに行った。
缶コーヒーのボタンを押しながらふと、和泉の言ったことが頭に甦る。
『さっきの彼女……どういう人?』
和泉は何か、陽菜乃のことを疑わしく思っているのだろうか……? だとしたらもしかして一ノ関の件でだろうか。
彼の刑事の勘、及び洞察力は侮れない。というよりもかなり優秀だ。
考えるのはやめよう。




