階級は警部補です
本日分のカリキュラムは終了した。
今はホームルームのため、生徒達は皆、教場に集まっている。
北条が神妙な顔つきで全体を見回す。
だいたい言われることは想像がついている。
改めて、一ノ関の件は、決して口外するな。
昼の騒ぎを彼もきっと耳にしているに違いない。
「皆、いいわね? 改めて言うけど絶対に、一ノ関の件については口外しない。食堂でも、売店でもそう」
やっぱりだった。周は秘かに溜め息をついた。
だけど、あまりにも疑問が多すぎる。
土曜日のあの夜、彼と交わした遣り取りが頭から離れない。
ひょっとすると本当に自殺に見せかけた他殺ではないか。
だとしたら、いったい誰が何の目的で……?
それと、と北条はなぜか扉の方を見た。
「突然だけど、明日から助教が変更になるから」
え、と声がした。
そしてざわめき。
「入ってきて」
北条がドアに向かって言うと、ガラリと扉が開く。そうして入ってきたのは……。
周は思わず、手に持っていたペンを床に落とした。しばらくその事実に気付かないほど、呆気に取られてもいた。
「初めましての人も、そうでない人も。明日からお世話になります、和泉彰彦です。どうぞよろしく」
※※※※※※※※※
夕食の時間は、学生達にとって少しの安らぎの時間である。
他愛ないおしゃべりをかわしながら食堂に向かって歩いている姿は微笑ましい。
だが、今はそれどころではない。
北条は椅子に座って足を組み、やや緊張した面持ちで目前に立っている女子学生を見上げた。
それでも背筋はピン、と伸びており、瞳には燃える闘志のようなものが見える。
宇佐美梢。
一ノ関の件に関し、一切話題にするなと言ったこちらの指示を無視し、同じ教場の学生に真相を探らないかなどと言い出したらしい……。
騒ぎを聞きつけた沓澤が【厳重注意】を言い渡したらしいが、あの男のことだ、若い女子には微妙に甘くなってしまう。
外出していた北条は知らなかったが、ご丁寧にチクってきた学生がいた。上村だ。
そこで北条自ら、教官室で事情聴取に当たることにした。
「……言ったわよね? 一ノ関の件に関しては一切、口外するなって」
「わかっています」
「だったらどうして?」
物怖じせず、自分の意見をハッキリ言うタイプ。
善し悪しはこの際問題にしないとして、そういう子はクラスの中でたいてい【上位】の方に入る。
どちらかと言えば内気で、あまり発言できない子にとっては【厚かましい】とか【我が強い】と批判されがちだが。
異様なまでに発達した彼の耳は、学生達の噂話でもなんでも拾ってしまう。
彼女はよく学生の噂の的となりがちだ。
偉そうなものの言い方、どこか他人を見下したような視線。
確かにそういう面も多少ならずあるかもしれない。だが。短い時間ではあるが、彼女を観察してきた北条に言わせれば、いつだったか沓澤が言っていたように努力を惜しまず、必死に頑張っているように思える。
成績も良好な方だ。
身体能力が高く、体格も決して悪くない。可か不可かと言われたら、可の方だ。
だからこそ生半可な気持ちで適当なところで手を抜いている学生からしてみれば、あまりおもしろくない存在なのかもしれない。
「どうしてなの? 何か、思うところがあるの?」
「私は、この組織の在り方に疑問を持っています!!」
宇佐美梢はたじろぐことなく、真っ直ぐにこちらの目を見つめて答えた。
ずいぶん大きく出たわね……。
その返答に、北条はややのけぞってしまった。
誰もが感じていながら、決して口には出さない事実。
「彼……一ノ関巡査が使っていた204号室ですが!! 今から5年前、自殺した巡査が使用していた部屋でした。でも……本当にその巡査は自殺だったんでしょうか?!」
「……どういうこと?」
「もし、殺人だったとしたら。初任科の中で、警察組織内でこういった不始末が起きたことを公にしたくなくて……情報を操作した、と……そうは考えられませんか?!」
梢はたたみかけるように続ける。
「あるいは!! 仮に自殺だったとして、そこまで追い込まれた学生がいること……つまり、教官によるパワハラの挙げ句の事件だったとは、絶対に認めたくないと……」
「……」
梢は拳を握りしめ、震わせながら、
「警察組織の信用を落としたくない、そんな忖度があったのではないでしょうか?!」
何なの、この子……。
「あんたひょっとして、身内に警察関係者でもいる?」
すると梢ははっ、と弾かれたような反応をした。
とにかく、と北条は彼女の正面に向けていた身体を少しずらす。
机の上には、彼女の態度次第で取り出そうと思っている書類が置いてあった。
「あんたがこの組織に疑問を抱いていようがいまいが関係ないわ。納得が行かないとしても、上からの指示にはとにかく従う。それが、警察官になるための第一歩よ」
さっ、と梢の顔に怒りの表情が浮かぶ。心拍音も早くなる。
「従えないのなら、さっさとこれにサインをすることね」
退校届。今はまだたった一枚の紙切れに過ぎないが、サインしてしまえば、今後の彼女の人生を大きく左右することになる。
「私は絶対に、間違っていません!!」
「……あんたが正しいとか、間違ってるとかじゃないの。こっちの命令に従うか、従わないか。それだけよ」
「同意できません……!!」
「だから。別にあんたが同意しようとしまいとどうでもいいの。つまり、アタシが言いたいのはこういうこと。ヒヨコのくせに、一人前に大きな態度に出るんじゃないわよ。身の程をわきまえなさい」
「でも……!!」
「話はここまでよ。わかったら反省文を明後日までに書いて提出しなさい。それとも、こっちにサインする?」
退校届をひらひらさせてみせる。
宇佐美梢は返事をしない。
北条は完全に彼女へ背を向けた。




