うちのヒロイン(笑)はこういう子
授業が終わった後は教場の掃除。学生時代は適当にやっていても誰も文句は言わなかったが、ここでは手抜きは許されない。
警察学校では何ごとにおいても、教官の命令は絶対。
甘えや怠惰は一切許されない。
「たいへんだったな、周」
同じ教場の倉橋護が雑巾を手に声をかけてきた。
背は高いが、体つきはやや細め。どちらかと言えば自己主張が控え目で、いつも裏方に回るタイプ。
周は入校した時から何となく彼と気が合って、よく一緒に行動しているし、親しくしている。
まだどこか幼い同期生に比べて落ち着きがあり、他の生徒達からの信望も厚い。
「まぁな。でも、人より余分にトレーニングできたと思えばいいよ」
倉橋は苦笑する。
「お前ってほんと、お人好しだよなぁ」
「前向き、って言ってくれよ」
「で? あいつ、礼か謝罪はちゃんとしたの?」
周が返事をしないでいると、彼は深々と溜め息をついた。
それは体育の授業の時。
いつものように準備体操から始まり、ランニングを始めようとした時だ。
やはり周と同じように高校を卒業してすぐ県警に入った同期生で、同じ教場に所属する上村は、その日朝からなんとなく顔色が悪かった。
元々、彼は華奢で細い身体をしている。そのうえ色白だ。
「なぁ、大丈夫か?」
心配になった周は上村にそう声をかけた。
授業中の私語は厳禁だ。が、周は私語だとは思っていなかった。
しかし、教官はそうは受け取ってくれなかったのである。
「そこ、何をしゃべっとるんじゃ!!」
教官である沓澤はツカツカとこちらへ歩いてくると、グイっと周の胸ぐらをつかんだ。
「おいお前、私語厳禁じゃってわかっとるんじゃろうな?」
周ははい、と返事をした。
それ以上は何も言わずにおいた。
すると沓澤はそのまま解放してくれた。その時には、である。
ランニングの終盤、気になって周は上村の様子をさりげなく見た。
いつものことだが、ひどく苦しそうだ。
彼は他の仲間達からかなり遅れて走っていた。
ほとんどの生徒が規定の距離を走り終え、クールダウンしている時。
「おい、上村!! あとお前だけじゃ!! 何分待たせるんじゃ?!」
しかし、彼は一向にスピードを上げることができないでいる。
「あと一分以内じゃ! それができんかったら、全員あと追加で十周走らせる!!」
警察学校の授業で良く言われるのが『連帯責任』である。
一人でもミスをすれば、全体の足を引っ張ることになる。
初めの内は『ドンマイ』と、互いに気を遣い合い、そうして仲間同士の絆が強まる。
しかし。いつも同じ人間がミスを繰り返すと、それらはいずれ、仲間達を苛立たせるだけになってしまう。そうしていつしか白い目で見られることになるのだ。
大丈夫かよ、あいつ……。
無理をしているのが遠目にもわかる。
今にも倒れるんじゃないか……と、周は気が気ではなかった。
「沓澤教官!!」
周は思い切って声をかけた。「上村は朝から少し調子が悪いようでした。許してやっていただけませんか?」
すると沓澤はギョロリと目を剥いて周を睨んだ。
「……ふぅん。ほんなら藤江、お前があいつをおんぶして走ってやれ。ついでに追加でトラック5周な。他の奴らはストレッチ始め!!」
嫌だとは言えない。
教官の命令は絶対だ。
周は上村に近づいた。事情を説明したが、聞いているのかいないのかわからないほど消耗していた。
抵抗されることなく彼をおんぶしたまでは良かった。
しかしいくら細いからといって、人を一人背負うのは重労働である。
それでも。
周は走り出した。
授業時間には限りがある。ここで時間をロスしてしまうと後々に響く。
無我夢中だった。
人間と言うのは、切羽詰まると思いがけない力が出るものだ。