教官に敬礼!!
息が苦しい。
今すぐにでもこの【おもり】を下ろしてしまいたい。
でも、教官の合図があるまではそのままにしておかなければならない。
周は肩を上下させながら、黙って目の前に立つ沓澤教官を見つめた。
「……よし、いいだろう」
ホッとしたら力が抜けた。
背中に負っていたおもり……正確に言えば同じクラスに所属する同期生の上村柚季だが……がズルズルとグラウンド上に滑り落ちていく。
「……だい、じょ、ぶ、か……?」
息を整えつつ、周は上村に声をかける。
「他人の心配をしてる場合か? おい、まさか死んでなかろうな?」
沓澤はしゃがみこんで、辛うじて息をしている上村の頬をペチペチと叩く。
「うん、息はしているな」
今年34歳だという彼は、グローブのように大きい、日に焼けた手を挙げて全員集合の合図を掛ける。
周もどうにか息を整えて列に並ぶ。
上村もよろよろしながら、何とか立ち上がって規定の場所に定まる。
「敬礼!!」
ジャージ姿の学生達は横一列に並び、一斉に規定のポーズをとる。
全部で32名。これが1人でも列が乱れていたり、手や腕の位置が揃っていないと、途端に怒鳴りつけられる。
ついさっきまで大変な負荷をかけられ、走っていた周は少し動作が遅れてしまった。
「……藤江……」
はいっ、と返事をしたつもりだったが、ロクに声が出ていないのが自分でもわかる。
相手に聞こえないと『返事をしていない』ということになり、その結果待っているのはビンタか、あるいは……。
「お前、もう一度上村を背負って走りたいか?」
「いいえ」と答えたところで無駄だ。
周が黙っていると、
「もう一度だけチャンスをやろう。一同、敬礼!!」
今度は上村が少し遅れた。
「……お前ら、俺が寛大な教官じゃったことを感謝せぇよ?」
沓澤はニヤリと笑うと、いきなり周の胸ぐらをつかんだ。
「おい、刑法175条を言うてみぃ」
周は一瞬だけ目を閉じて記憶を呼び覚まし、それから息もきれぎれに答えた。
「……第百七十五条 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し……又は公然と陳列した者は……二年以下の懲役若しくは……二百百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し……又は懲役及び罰金を併科する……」
恐らく自分で問題を出しておいて、回答は忘れていたに違いない。
沓澤は一瞬だけポカンとした顔をした。
理数系はイマイチ苦手な周も、暗記するだけの教科は比較的得意だった。
そして。しばらく無言の見つめ合いが続く。
教官はぱっ、と手を放した。
「よし。今日はここまでだ」
ありがとうございました!!
この後、国旗を降ろして綺麗にたたみ、今日の授業はこれで終了、だ。
やれやれ。
周は思わず深く息をついた。