デキる女
規定通りの道順を巡回し、やがて2人は体育館の前に到着した。
誰かが中にいるらしい。窓から灯りが漏れていたし、僅かに声も聞こえた。
時々、特訓と称した罰則でこんな夜更けにしごかれている学生がいるが、今もそうなのだろうか?
いったい何をやらかして、教官のご機嫌を損ねたのだろう……。
そう思って通り過ぎようとしたら突然、内側から扉が開いた。
「あれ? 藤江君に上村君だ!! お疲れさま~。そっか、今日練交当番なんだね」
明るい声で話しかけてきたのは水城陽菜乃だった。
彼女は剣道着を身にまとい、手に竹刀を持っている。
そしてもう1人。彼女の後ろにいた背の高い人影は、一ノ関だった。
「……今日、当番を代わってくれと言ったのは……そういうことか?」
上村が剣呑な口調で問う。
「え? 何が……」
「水城巡査と一ノ関巡査、君達は何か……人目を忍んで会わなければいけない事情でもあるのか?」
一ノ関はポカン、としている。
陽菜乃もしばらく唖然としていたが、
「やだぁ!! 何言ってるの、上村君!! 偶然、たまたまここで会っただけだよ?」
ケラケラと、おかしそうに彼女は腹を抱える。
周も妙だと思った。もしデートなのだとしたら、何もこんな場所で、互いに道着姿で会う訳がないのに。
「私は、だいたい毎週この時間、一人で特訓してるんだけど……」
ねぇ? と陽菜乃は一ノ関の横顔に視線を向ける。
「今日は沓澤教官が当直で、特別に稽古をつけてくださるって……滅多にないチャンスだから、悪いと思ったけど当番を代わってもらった、それだけだ」
驚いた。
周は彼がこんなふうにハキハキと話すのを、初めて見たかもしれない。いつも寺尾の後ろに隠れて、何と言うか、あまり【自分】を持っていないように思っていたからだ。
しかし今、額に汗を浮かべて笑っている彼は、いつもと違う。
上村は自分の間違いを認めたのか、頬を赤く染めてそっぽを向く。
「熱心なんだな」
周が声をかけると、
「なんて言うか……精神統一みたいな、迷いをふっ切りたかったんだ。おかげで、スッキリした」
そう答えて一ノ関は微笑む。
入校してから3ヶ月と少し。周は彼が笑った顔を、初めて見たような気がする。
「おい、どうした……」
後ろから沓澤が姿をあらわす。
「お疲れ様です」
周は挨拶のつもりで言ったのだが、
「お前ら……練交当番か?」
沓澤は厳しい表情でこちらを睨む。
「は、はいっ!!」
「いい御身分だな。巡回中にたまたま、同期生と顔を合わせておしゃべりか」
「……」
マズい。周の本能が警告の鐘を鳴らす。
一ノ関と陽菜乃も表情を固くしている。
「これがもし、本番だってみろ。街中で偶然、出くわしたクラスメートとおしゃべりに興じてる間に、泥棒が傍を通り過ぎた……そんな失態が許されると思うか?」
「いいえ!!」
完全にこちらのミスだ。
先ほどまで少し赤かった上村の顔は、今はやや青くなっている。
「お前ら、その格好のままでグラウンド10週じゃ!!」
やっぱりか……。
「……と、言いたいところだが。まぁ、ええ」
「えっ?!」
「以後、気をつけろ」
何の気まぐれかわからないが、沓澤はそう言い残してこちらに背を向ける。
何だかわからないが助かったらしい。
そそくさと体育館を後にしようとしたところ。
「あ、待って。藤江君達、今夜は練交当番でしょ? これ、後で差し入れしようと思って用意してたんだ」
陽菜乃がビニール袋を差し出してくる。
その中にはペットボトルの飲み物や菓子パン、おにぎりなどが入っていた。
「サンキュー!! お前、実はかなりできる奴だな?」
「……惚れ直した?」
えっへん、と陽菜乃は意外に大きめな胸を逸らす。
それには答えず、周はただ笑ってごまかした。
「公務に戻ります」
またね~、と背後で陽菜乃が手を振っていた。