お願いという名の脅迫
そこで北条は、代わりの他の学生が書いた物を手元に引き寄せて眼を通すことにした。
一通り、これから受け持つことになる学生達の日記に目を通してみる。
それにしても、日記というのはそれぞれの個性が出るものだ。藤江周の分は読まなくてもだいたいわかるが。
自信のなさ、不安がおもむろにあらわれている者。
上手く行ったエピソードを中心に書いている者、その逆でミスをして叱られた、仲間に迷惑をかけてしまったと反省や後悔したエピソードばかりを綴っている者。
そんな中、北条はある意味で、とても興味深い文章を書いている学生を一人見つけた。
今日は誰々のミスをカバーしてやった、自分が機転を利かせたおかげで、ヘマをして窮地に陥っていたクラスメートを救うことができた、そんなことばかり書いている。
自画自賛もここまでくると芸術の域に達する。
あらためて名前を確認すると、寺尾弘輝となっていた。
アホらしい。
その時、異様に感覚の優れた北条の耳に、どこからか若い女性達の声が聞こえてきた。
今はちょうど夕食の時間だ。
集団になって他愛のないおしゃべりに興じながら、廊下を歩いているようだ。
「ところであの子達……なんて言ったかしら? さっき……」
「誰のことです?」
武術の授業の時、もしもいきなり暴漢に押し倒されたら、どう対処するのが最善かを女子達に訊ねた時だ。
頭がクラクラするほど大きく甲高い声を出した生徒に張り合うようにして、すかさず手を挙げて発言したもう1人の女子。
「張り合ってた女の子たち2人よ」
沓澤はああ、と苦笑して答えた。
「宇佐美梢と水城陽菜乃.ですね」
「なんだ、姉妹かと思ったら他人なの?」
北条の問いかけに、沓澤は不思議そうな顔をする。
「だって、二人とも似たような顔してたし、似たような音階で黄色い声を出すんだもの……鼓膜が破れるかと思ったわよ」
思い出してつい、耳を手で抑えた。
「ああ、確かに。どちらもよく似た声で話しますね。いつだったか、あの2人が口ゲンカしている場面を見たんですが……初めは正直言って、どっちかが一人芝居でもしてるのかと思ったほどですよ」
「あの子達は、仲が悪いの?」
沓澤は苦笑する。
「……ええ、まぁ、困ったことに……いえ、どちらも努力家ですし、決して素質は悪くないんですが……何かにつけて張り合おうとするのが困りもんですよ。高校の頃からの同級生らしくて、当時から犬猿の仲だったそうですが、未だに引きずっているらしくて」
「あら、いいじゃない。切磋琢磨ってやつよ」
そうですかね、と昔の部下は溜め息交じりに言った。
興味を覚えた北条は、水城陽菜乃の署名がある文章を探して読んだ。
彼女は淡々と、ただその日あった事実だけを記載している。これだけではどういうキャラクターなのかイマイチわからない。
まぁ、そのうち嫌というほど知ることになるだろう。
宇佐美梢の方もやはり、文面からはあまり人柄を伺うことはできなかった。
それから。ふと北条は、壁にかかっているカレンダーを見つめて思い出したことがあった。
「あ、ところで。あんた、今度の日曜日って別に当直じゃなかったわよね?」
「ええ、そうですが?」
「ちょっとアタシに付き合いなさい」
思うところがあって北条はそう言ったのだが、沓澤は困惑した表情をしてみせる。
「……その日は、予定がありまして……」
「何? アタシの頼みを断ってまで優先しなきゃいけないほど、大切な予定?」
威圧感たっぷりに腕を組んで見下ろしてみる。この時点で既に『頼み』ではなくなっているような気もするが。
「……どんなことですか?」
「まぁ、一言で言えば合コンよ」
沓澤はやや迷惑そうに、
「そういうのは、独身者のためのもんでしょうが……」
しかし、北条はかまわず続ける。
「HRTの若い子達に縁組みをしてやれって、上からのお達しでね。アタシが幹事を請け負った訳。やってくるのは全員、身元確実な銀行員の女達よ」
「どうして自分が……」
「サク……」
サクラ、と言いかけて思い留まる。「モデルになってもらいたいのよ」
「……モデル、ですか……?」
「そう、珠代と子供も一緒に連れて来て」
すると彼はますます困惑顔になる。
「なぜです?」
「だからモデルだって言ったでしょ? 刑事の妻になる可能性のある女の子達に、日頃の心得だとか、経験談だとかを予め教えてやろうと思って。なんたってうちの部下は、口下手な子ばっかりでね、どうやって場を盛り上げようかってアタシも必死なのよ」
本当のところは。
目的は他にある。沓澤にはまだ明かせない、深い裏事情も。
合コンの方はどちらかというと『ついで』である。
しかし、と沓澤は返答を言い淀んでいる。
「うちの子供はちょっと、人見知りをするので……」
「だったらアタシが面倒見るわ。宮島に包ヶ浦自然公園、っていうキャンプ場があるの。そこでバーベキューの予定だし、遊ぶところだってたくさんあるから子供も喜ぶでしょ? たまには家族サービスしてあげなさい」
「……」
ややあって彼は、わかりました、と答えた。