駿河君と日下部さん
3時間目は武術の授業。
やたらに広い道場の中で、まだ新しいであろう畳の匂いが鼻をくすぐる。
周は柔道も剣道もほとんど経験がない。
高校生の頃に、体育の授業で何度かやったことがあるぐらいだ。
まわりの生徒達の中には長年、ラグビーやレスリングだとか、何かしらスポーツをやっていたが、柔剣道は初めてだという者もいる。
しかし卒業までに、初段は取らなければならない。
辛いけれど、自分の身を護るには大切なことだ。
現場に出て仲間の足を引っ張る訳にはいかない。
周にとって今や義理の兄に当たる、捜査一課に所属する現役の刑事は、親に言われて子供の頃からずっと剣道をやっていたそうだ。
進路を決めた頃、彼は周に何度かマンツーマンで剣の稽古をつけてくれたことがある。
さらに柔道に関しては、和泉の同僚で、強いと評判の刑事が何度か時間をとって教えてくれた。忙しいだろうに一から指導してくれた。
和泉が周のためにと頼み込んでくれたらしい。
そう考えると自分は本当に恵まれているのだと思う。
たくさんの人の親切に囲まれて今がある。
そう考えたら自然と気合いが入った。
教官は他の体育の授業と同じく沓澤である。
そしてなぜか、北条も授業に参加していた。
制服から道着に着替えている。すごく嬉しそうだ。
この人、きっと間違いなく強いんだろうなぁ……。
彼の実力を知っている周は、北条とだけは目を合わせないようにしようと思った。
最初はストレッチから。それが終わったら、いよいよ実技だ。
二人一組でそれぞれ向き合え。
号令に従って生徒達は動き出した。
周はちらりと上村を見た。実技の授業になると無条件に彼の姿を目で追ってしまう。
武術の時間になると調子に乗る生徒が何名かいる。
訓練と称して、日頃から恨みのある相手を徹底的に叩きのめす。
上村はよくその対象になる。
なんといっても、彼のおかげで余計な罰則を科せられる可能性が高いからだ。
その上、彼は仲間の規律違反を決して見過ごさない。
規律が細かく厳しい学校内で、中には密かに違反を犯す者もいる。上村に見つかったら最後、彼は逐一担当教官に報告するので、点数稼ぎだと仲間内からはかなり評判が悪かった。
だから、これを好機とばかりに上村を攻撃するのである。
ある日、そのことに気付いた周は、担当教官に実情を話した。
しかし答えは、他人の心配をする前に自分の心配をしろ、だった。
返す言葉もない。
それに、上村自身が何も言わない以上は大きなお世話だと。
彼も何かしらの覚悟を背負ってここにきたのだ。
お前も本物になりたきゃ、腹を括れ。