妻の判断
「……離島の駐在所勤務は、嫌なの?」
県警本部のビル。正面玄関ではなく、職員専用の通用口で北条は、沓澤と向き合っていた。
彼は何か憑き物が落ちたかのようにさっぱりとした顔をしている。
結局、彼は辞職することに決めたらしい。
水城陽菜乃のアリバイの偽証を手伝ったこと、その件に関しては情状酌量してもらえた……というよりも、隠匿しておこうという上の計らいがあったようだ。結果としては【諭旨免職】という形になったらしい。
この件に関してはもう何も言うまい。
「両親から、元気なうちに帰ってきて家を手伝えと言われていましたし。幸いなことに農家なので、食うには困りません……」
そう、と北条は長い前髪をかきあげた。
「それに。俺は……警察官として、あるまじき行為をしました」
ブブブ……携帯電話が震える。
北条が振り返ると、つられて沓澤も後ろの方を見る。
珠代が立っていた。
「珠代……」
彼女は泣き出しそうな顔をして、ツカツカとこちらへ走り寄ってくる。
そして。
ばちーんっ!!
珠代の平手打ちが夫の頬を直撃した。
「バカっ!!」
「すまん……」
沓澤は持っていたカバンから何か用紙を取り出した。
「後はお前がサインするだけだ」
緑色の枠で囲まれたそれは【離婚届】だ。
「駿のことを、よろしく頼む……」
彼はそう言って頭を下げ、書類を差し出す。
珠代は離婚届を奪い取る。そして。
ビリビリ……いくつにも細かく千切って、風に撒き散らした。
音を聞いて驚いた沓澤が顔を挙げる。
珠代は目に涙を浮かべ、夫にしがみついた。
「……嫌よ」
「たま……」
「別れてなんかやらない、絶対に!!」
「……」
「あなたは私が選んだ、私が愛した人なのよ?! どうしてそんなこと言うの?!」
しかし沓澤は顔を背ける。
「俺は、お前に顔向けできないようなことをした……もう、夫でいる資格はない」
「資格って何? 誰が決めるの?!」
「……でも……」
「私のこと、嫌いになったの? もう……愛していないの……?」
「そんな訳があるか!!」
「だったら!! 私が許す、って言ってるの……もう、それでいいじゃない……」
「……なんで俺なんだ? 他にもいい男はいっぱいいるのに……」
「あなたじゃなきゃダメなの」
「どうして……俺は頭も悪いし、力しか……」
なおもグダグダと言いかけた夫を妻が制する。
「それ、金輪際口に出すのは禁止よ?!」
沓澤は驚いている。
北条もびっくりしていた。
珠代が大きな声を出すタイプだとは思っていなかったからだ。
「あなたのことを尊敬しているって言う人、たくさんいるのよ。素敵な人だって思う人もね。気付いてない、気づかないようにしていたんでしょう?」
「そんなこと……」
「子供の頃に言われたことってね、ずっと心に刺さって抜けないものだけれど。でも、大人になった今は理性で考えることができるでしょう? 誰がなんて言ったって、あなたは私の大好きな、大切な旦那様なの。他のどこにもいない、私だけの……」
すっかり当てられてしまった。
北条は我が身を振り返り、少し寂しくなってしまった。
帰ろう、学校へ。
「隊長……」
沓澤が何か言いたそうな顔でこちらを見ている。
「沓澤」
北条は彼の鼻先に人差し指を突きつけた。
「あんたのしたことは、警察官としては大きな間違いよ。でもね……いかにも人間らしい、あんたらしいわ。今回のことを教訓にして、珠代を一生大切にしなさい!!」
この時交わした【敬礼】を、自分はきっと一生忘れることはないだろう。




