喪失感
結局、次なる指示は自習を命じられただけだった。
寺尾が去り、何ごともなかったかのような空気に包まれた教場内で、学生達はざわざわと雑談に花を咲かせている。咎める者は誰もいない。
「寺尾……およそ、生きている価値もない人間だったな」
周の近くでぽつり、とそう呟いたのは上村だった。
「……そうかもしれないけど、その判断を下すのは俺たちじゃない」
周は応えて言う。
「君は優等生だな」
上村は鼻を鳴らす。
「俺は事実を言っているだけだ」
「……それは君が、胸をかきむしられるほどの怒りを……強い苦しみを感じたことがないからだ」
彼は例の冷たい瞳を向けて、淡々とそう語る。
彼の過去に何があったのかは知らない。
けれど、引くつもりもない。
「あるさ」
周は端的にそう答えた。「俺だってお前が思ってる以上に、ハードな人生送ってるんだぜ? 何の苦労も知らないでのほほんと生きてきたと考えてるんなら、いますぐ改めろ」
「……君の半生に、特に興味はない……」
ああそう。
「今のところは」
変な奴。
「何にせよ、この組織に相応しくない人間はいずれ篩からはたき落とされる。そのことが今やっと、証明されたということだ」
「じゃあ、どういう人間が相応しいって言うんだよ?」
「……感情を……『自分』を、すべて捨て切ることのできる人間だ」
なんとなく彼の言わんとしてることはわかる。
でも、同意はできない。
それじゃ機械と一緒じゃないか。
犯罪を起こすのは人間であって、そこに至る理由、感情。科学だけで証明できないものは確実にあるはずだ。
だが、今はそのことについて論じ合うのはやめておこう。
キリがない気がしたから。
※※※
気がつけば昼休憩の時間。
いつもなら隣に座って、生のトマトをものすごい勢いでこちらの皿に移し換えてくる陽菜乃がいない。
ずっと様子がおかしかったのは知っているが、今、どこで何をしているのだろう?
初めは少し、うっとおしいと感じることもあった。
こちらの気分などおかまいなし。
いつもハイテンションで、ニコニコと近寄ってくる。それでも。
彼女のことを悪く思ったことなど一度もない。
陽菜乃はいつも必死だった。座学も武術も、いい加減なところなんて見たことがない。
それでいて仲間達にいつも気を遣っていた。。
落ち込んでいたり、顔色の悪い学生がいるのに気がつくと、こっちに来て一緒に食べようと誘ったり。断られたらそれはそれで、元気出してね、と優しく肩に触れたり。
彼女を悪く言う人間はほとんどいない。
遠慮なくベタベタくっついてきても、唐突な誘いを受けても。
たぶん、彼女だったから受け入れた……。
それがいつしか当たり前の【光景】になっていて。
気がつけば彼女のいない、この空間がひどく味気ないものと化していた。
「周……大丈夫か?」
「え?」
「全然、食べてないじゃないか」
「あ……いや、ほら。トマトがあるから……あいつが、来るんじゃないかって……」
どうしてだろう?
急に、泣きたくなってきた。




