ハニートラップ発動
「そう言えば君は、刑事志望だって書いてたね?」
陽菜乃は答えない。
「宇佐美梢もそうでした。二人とも刑事を志望したのは、おそらく高柳稔氏の死の原因について真相を調べるため。違うかな?」
やはり返事はない。
「でも……なりたいからって、そう簡単に刑事になれる訳ではない。それに、仮に念願かなったとしてもこの男社会、縦社会の警察組織内において、女性が思うように動けるなどあまり期待してはいけない。父親を見てきた彼女はきっと、幼い頃からそう言った事情を知っていたに違いない。自分に協力すれば、ある程度は自由に動ける立場に着けるよう融通してやるとでも持ちかけたかもしれません。戸籍上のつながりはなくなったといっても親族一同、警察幹部ですからね。コネはある」
「……」
「望みを叶えるために力を貸してやる、だからそっちもこちらの言うことを聞け。兄を死に追いやった、憎い沓澤という教官を罠にはめる為に、女の武器を最大に活用して近付けと……ね」
「やっぱり……ですか」
答えない陽菜乃の代わりに呟いたのは、沓澤の方だった。
「何がやっぱりなの?」
「こんな可愛い子がなんで、俺なんかに……? そう不思議に思っていました。そういうことですか。本命はやっぱり、藤江周の方でしたか」
すると。
ばっちーん!!
北条が思い切り沓澤の頬を叩いていた。
うわぁ、痛そう……。
「あんたね、だったら珠代も何か裏があって、あんたに見合いの話を持ちかけたっていうの? ふざけんじゃないわよ!!」
「……」
「あの子はね、心底、あんたに惚れてるのよ!! 口下手だし、愛想は悪いけど、優しくて親身になってくれる人だって、だからあんたが浮気してるなんていう噂が出た時、本人にそのつもりがなくても、女の方が本気になってしまうだろうって……そういう心配をしていたのよ!?」
「珠代が、そんな……」
「それにね。あんた、自分じゃ気付いていなかったでしょうけど。アタシは気付いたわ」
北条はポケットからスマホを取りだす。
「これ、アタシに送られてきた写真。あんたとこの子が一緒にいる時よ……」
和泉もその写真をのぞきこんだ。
元々、可愛らしい顔立ちの少女ではある。だが。
なぜだろうか、この写真の表情が、より一層魅力的に映っているように見えるのは。
「今もわかるわ。あんたと一緒にいる時のこの子の鼓動、それから……瞳孔」
「瞳孔?」
北条はちらり、とこちらを見る。
「……人の目はね、興味のある対象を見ている時、瞳孔が大きく開くの。そして、それがとても魅力的に人を映すのよ」
そういうことだったのか。
和泉は改めて、自分の推理が間違っていないことを確信した。
「この写真を見てすぐにわかったわ。あんたを見つめるこの子の目、すごく瞳孔が大きく開いている」
陽菜乃はまるで、眼を見つめられるのを避けるかのように俯いてしまう。
「女は皆、女優だって話は本当みたいね。かわいそうに、藤江周は単なるカムフラージュだったのよ。好きだから、本気になっちゃったから……あんたに迷惑をかけたくないって思って、なるべく疑われないように……他の男に興味のあるフリをしていただけ。そんなことも見抜けないようじゃ、刑事の素質はないわね」
こんな時だというのに、沓澤は少し頬を染めていた。
まぁ、今は責めるまい。
そして。
「彼女が本気であなたを好きになってしまったことが、大きな誤算だった訳です。恐らくそのことで、宇佐美梢と争いになったのではないでしょうか?」
はっ、と全員が我に帰る。
「宇佐美梢はあなた方が予想に反して、本物の恋仲になってしまったことに腹を立てたのでしょう。そしてきっと、あの大会の後……口論になった」
そうです、と陽菜乃がぽつりと答える。
「その日……梢が寺尾と組んで、教官の奥さんに、嫌がらせのメールを送ったり、そんなことをしていたのを知りました。だから私、ちゃんと役目を果たすからやめて、ってお願いしたんです」
役目、という単語に反応した沓澤は微妙な顔をした。
「そうしたら……信用できないって」
「そうだろうね。彼女、ただ一人の友人の他には誰も信じていないようだったから」
「……立川七緒さんですか……?」
「……知ってるの?」
「兄から、何度か話を聞いたことがあります。可愛い彼女ができたって喜んでいましたから」
「……それで、どこで何があったの?」
「……」
「言いたくなさそうだね。なら、こっちの推測を話させてもらうよ。これは周君から聞いた話だけど、彼女……宇佐美梢は割とすぐに、カッとなって手を挙げるタイプだったようだね。以前にもそんなことがあったらしいけど?」
こくん、と彼女は頷く。
「1つだけ、どうしても気になることがあって……首元だよ」
「首元……?」
「僕は女性のファッションに疎いから、全然わからなくてね。初めはこの暑いのに、マフラーを巻いているのかと思っていたんだ」
和泉は北条の手からスマホを撮り、アリバイに主張された写真を拡大してみせた。
「これは、マフラーじゃなくて……ストールって言うらしいね? 日焼け防止のためと、エアコンが効きすぎた時の寒さ対策だったりもする。でもね」
陽菜乃は何を言い出すのだろうかと、怯えた表情でこちらを見る。
「ふと、考えてみたんだ。ひょっとすると首に、他人に見られたくない何かの【痕跡】があったんじゃないかって……」
「痕跡?」
「あれからずっと、君の仕草を観察していた。そうして気付いたんだよ……しきりに首を気にしてるってこと。そうして何気なく、手が離れた瞬間に見つけた。首に赤い傷跡みたいなものがついていたことに」
陽菜乃は俯く。
「たぶん宇佐美梢は、君の首を絞めようとしてきたんだね?」




