所詮世の中は、それがすべてとまでは言わないまでも
「さて、話を戻します。宇佐美梢に、いわゆる美味しい【要素】がなくなったことを知ると、寺尾は次のターゲットを探しました。それが立川七緒という少女で、彼女の友人でした。そして七緒と言う少女には既に、高柳稔という恋人がいた。同じクラスだったそうで、宇佐美梢も彼のことを知っていました……」
「……つまり宇佐美梢は、即座に寺尾が高柳稔って子を殺したんだと考えた訳ね?」
「ええ、彼女の友人もそう言っていました。でも目撃者は誰もいない。後で判明したことだが、ヤンキーのフリをして絡んできた2人組の男……一ノ関と西岡は寺尾とグルだった。警察はさっさと事故として処理してしまった。このままでは、真相が闇に葬られてしまう……兄の時と同じように……」
沓澤は苦しそうな顔をする。
「あんたのせいじゃないって、言ったでしょ?」
「これは僕の推測ですが、恐らく彼女は水城陽菜乃に持ちかけたんでしょう。あなたの兄の死の真相を調べる為に手を組まないか、と」
「手を組む……?」
沓澤はすっかり青くなって震えている。
「調べたところによると水城陽菜乃は、高校1年生の時、単身で東京からこちら、広島の高校に転勤してきたらしいのです。理由はもちろん、兄の死の真相を突き止めるため。事件が起きたのは宮島……当然ですが、広島県警の管轄内です。県警に入っていずれ刑事になって、そうして事件を調べ直したいと考えたに違いない」
「……そうだったとして、どうして宇佐美と……?」
「端的に言えば、コネです」
「コネ……?」
「彼女の父親、家族関係については先ほども申し上げた通りです。だからこそ、交換条件を持ち出すことができた。あなたもおわかりでしょう、なりたいからといってなれるわけではない、それが刑事です。まして女性警官にとっては今でもハードルが高い……」
沓澤は何か思うことがあるのか、俯いてしまった。
「宇佐美梢は愛する兄を殺したのはあなただと、そう信じていた。そうすることで自分を納得させていたのかもしれません」
「……俺は……知らなかったんだ。あいつが……堤洋一に、そんな事情があったなんて」
「そうでしょうね。理想を申し上げれば、知らない方が良かった。例えどんな背景を持っている学生であろうと、教える立場であるあなたとしては公平を期す……」
でも、と和泉は続ける。
「理想と現実には深い隔たりがあります。社会的構造とでもいうのでしょうか、世渡りの術とでもいいましょうか……親切な仲間がいれば、あいつは幹部の息子だから少し手心を加えてやれ、とアドバイスしたことでしょう。でも、残念ながらそんな人はいなかった」
北条は沓澤の肩に優しく触れた。
「恐らく……ですが、沓澤さん。他のことでも、誰かに恨みを買っていたりしませんか?」
「他のこと……?」
「そうですね、例えば。出世が早かったとか、綺麗な奥さんをもらったとか……」
「それだわ!!」
いち早く反応したのは、北条だった。
「珠代のことで、あんたのことを恨んでる人間はたくさんいた。そう言うことなんじゃないのかしら?」
「……」
そんなに美人妻なのか。
一瞬だけ興味を覚えたが、和泉は話を元に戻すことにする。
「とにかく彼女……宇佐美梢は、あなたを罠に陥れようと考えていたのだと思います。そこで考えたのが不倫疑惑を起こすこと」
沓澤はごくり、と喉を上下させる。
「まして彼女達は未成年です。騒ぎになれば、タダでは済まないことを、きっとよく理解していたはずだ……」
「ああ、そうか……でも、それならどうして、本人じゃなくて陽菜乃の方が?」
「簡単なことですよ。宇佐美梢の場合は面が割れているし、擦り寄っていったところで間違いなく警戒されてしまう。それに……」
すると沓澤は苦笑いを浮かべる。
「それに……例え裏事情があろうと、こんな醜い男には近づきたくもない? そうでしょう……」
そんなことを言うつもりではなかった。しかし、この手のコンプレックスを抱えている人間に対し、何を言っても無駄だと知っている和泉は黙っていることにした。
「違うわ」
「隊長……?」
「あの子の性格的な問題よ。宇佐美梢は誰にも何にも頼らない、何でも自分の力でなんとかする、そういう考え方をしている子だから。下手にあんたに甘えるような真似をしたりすれば、すぐに企みがバレると考えたから。そうよね……? 水城陽菜乃!!」
えっ?!
思わず和泉は、北条の視線の先を辿った。
入り口のところに確かに人影がある。
北条は立ち上がってスタスタと扉の傍へ立つと、バンっとドアを開けた。
ショートカットに包まれた可愛らしい童顔は、今や真っ青になって震えている。
「陽菜乃!!」
彼女に近づこうとする沓澤を、彼の先輩刑事が押しとどめる。
「……教官……私……」
「ちょうどよかったわ、あんたもここにいなさい。この刑事の話が本当なら黙っている、違うのなら反論しなさい」
水城陽菜乃は泣き出しそうな顔で、助けを求めて沓澤を見つめている。
無慈悲とも思える行動だが、北条は2人の間に大きな体躯を割り込ませ、畳の上に胡坐をかいた。その左手はしっかりと陽菜乃の細い腕をつかみ、最早脱走は不可能と思われる。
和泉は少し待って、話を再開した。




