ぼく、あーちゃんだよ!
授業終了。
起立と北条教官への礼を済ませた後。
周が筆入れにペンや消しゴムを片付けていると、不意にあたりが暗くなった。同時に、大きくて温かな手が髪にそっと触れてくる。
不思議に思って顔を上げると、
「よく来てくれたわね、我が県警へ。心から歓迎するわ」
北条がすぐ傍に立って微笑んでいる。くしゃくしゃと頭を撫でられ、嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気分だ。
「彰ちゃんもすごく喜んでたわよ。あんたがいる間だけなら、自分も教官になりたかったなんてほざいてたけど……そうそうおいしい話なんて、ある訳ないわよねぇ?」
「……はい……」
気になるようで、他の学生達がチラチラとこちらを見ている。
「ま、これからしばらくよろしくね。あーちゃん?」
「……!!」
な、なぜそれを……?!!
周の子供の頃の一人称は【僕】でも【俺】でもなく【あーちゃん】であった。
さすがに小学生になる頃にはやめたけれど。
誰かが聞いていなかっただろうか。
周は全身から血の気が引く思いをしつつ、次の授業のために移動を始めた。
二時間目。犯罪捜査の授業だ。
模擬家屋に三十何人もの生徒が鮨詰めになって集まり、死体役を命じられた生徒を見つめている。
「……と言う訳で、外傷のない死体を前にした時、まずどんなことに注意するべきか?」
これと言った外傷の見当たらない死体がある、という通報を受けて臨場した、という設定である。
犯罪捜査の授業を担当する柳沢という警部補は当番や出席番号で当てる、というやり方をしない。とりあえず目が合った生徒を指名する。
「そこのお前、答えてみぃ」
どうやら目が合ったのは周のようだった。
「……ガス漏れです」
教官は面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らす。
「他には?」
周は必死に頭を捻った。すぐには思い当たらない。
「じゃあ、他にわかる奴は?」
すっと手を挙げたのは上村だった。彼はいつの間にか周のすぐ傍に立っていた。
「発火の危険性です」
そうか、と周ははっと目の覚める思いがした。
「それから冷蔵庫、テレビ、洗濯機などの裏側のように、コンセントとプラグの隙間にホコリが溜まり、そのホコリが空気中の湿気を吸収することで、漏電し発火する現象……トラッキング現象に注意すべきです」
へぇ~、と思わずと言った感じで生徒達からどよめきが起きる。
柳沢は面白くなさそうに僅かに首を左右に振った。自分の仕事を取られたと思って僻んでいるのかもしれない。
それにしても。
優等生だとは思っていたが、やっぱりすごい。
しかし上村はこれぐらい当然だと思っているのだろうか、少しも表情を変えない。
「……まぁ、正解としてやろう。トラッキング現象っていうのは、今度も何度となく現場で耳にするからな。覚えておけ」
プライベートは一切明かさない上村のその横顔には、調子に乗っている様子も、喜びさえ垣間見ることができなかった。