ドキドキ壁ドン!!
一方その頃、というか、少し時間を戻して……でございます。
とりあえず、風呂に入ってこよう。
疲れた。
周は支度をして部屋を出た。
風呂場に向かって廊下を歩いていると、次々と同期生達が暗い顔をして部屋に向かっていくのとすれ違う。
日曜日の夜はどんなサラリーマンもたいていそうだが、自分達もそうだ。憂鬱で仕方ない。
明日からまた、あの辛い日々が続くのか……と。
「周君」
あと少しで風呂場、という所で周は、向かいから歩いてきた和泉に呼びかけられた。
「……なに?」
「訊きたいことがあるんだけど」
途端、なぜか嫌な予感を覚えた。
和泉の様子がいつもと違う。
「……後でいい? 俺、風呂入りたいから」
すると。いつにないことに、和泉はぐいっと力任せに周の腕を掴んで引っ張ってきた。
バランスを崩し、思わず彼の胸元に飛び込む形になってしまう。
「今じゃなきゃダメ」
周は慌てて体制を整えた。
それでも相手は手を離そうとしない。
「今日一日の行動を、細かく教えて」
なぜかわからないけれど、その言い方に周は無性に反発を覚えた。それに何より和泉の眼つきが気に入らない。
「なんで、休みの日のことまでいちいち報告しなきゃならないんだよ。プライベートだぞ」
思わずじり、と一歩後ずさる。
すかさず和泉が間合いを詰めてくる。
どん、と背中に衝撃を覚えた。すぐ後ろは壁だ。
意外に強い力で肩を抑えつけられる。
「……警察官って言うのは、そういうものだよ」
なーんちゃって、と今に言いだすだろう。周はそう期待していた。だが。
「起床した時から細かく」
「答えたくな……痛っ!!」
肩をつかんでいる手に力が入ったのがわかって、思わず悲鳴を上げる。
「これは命令だ。答えろ、藤江周巡査」
すぐ頭に陽菜乃の顔が浮かんだ。
今日一日を振り返ってみれば、確かにあれこれと数々の疑問は残る。
「答えないと、他の仲間にも迷惑がかかることになるよ?」
和泉は本気だ。
すると。
「教官、待ってください」
なぜか横から上村の声が割って入った。どうしてあいつが?
「確かに細かい所まで新任者の行動を把握しておく必要があるのはわかります。でも、無理にしゃべらせなくても……日記を書かせればいいではありませんか」
「……日記は捏造できるよね?」
「そんなこと。真実か創作かなんて、和泉警部補ぐらいの方になればすぐに看破されるのではありませんか?」
上村はいつにない笑顔で、持ち上げるように言う。「それに、そんな怖い顔で睨まれたら……答えたくても答えられませんよ。そうだろう? 藤江巡査」
周の中に一度に、名状しがたいいろいろな感情が浮かんだ。
そうして思い切り力を込めて和泉の肩を押し返す。しかし、態勢を変化させることはできないままだ。
上村は何のつもりで口を挟んだのか、とっとと踵を返してどこかへ行ってしまう。
周は和泉の顔を見上げ、半ば自暴自棄に答えた。
「……今朝、水城陽菜乃から電話があった!! 出かけたいから付き合ってほしいって。別に予定もなかったし、暇だったから了承して……」
「それから?」
頭の中でいろいろ振り返ってみる。
「寮のロビーで待ち合わせして……」
そうだ。
「校門をくぐるところで、沓澤教官に出会った」
「ふぅん、それで?」
「どこに行くのかって聞かれて、水城が宮島だって答えたら……」
そうだ。あの時、沓澤はすごく妙な表情をしていた。
なぜだろう?
「彼女は、宮島へ行く理由を話した?」
「……言ってない。そもそも、俺も行き先さえ聞かされてなかった……」
「それなのに承知したの?」
言われてみれば。
どうしてあの時、何も考えずに承知したのだろう。電話越しに聞こえた陽菜乃の声がひどく湿っぽくて、何か思い詰めているように感じたからじゃないだろうか。
「いいだろ、別に」
顔を逸らして吐き捨てるような答え方をすると、和泉に顎をつかまれ正面を向かされる。
すぐ傍を通りかかる同期生が、怪訝そうな、気の毒そうな表情でこちらをチラチラ見ながら通り過ぎていく。いたたまれない気分だ。
「続けて」
「……駅で、水城が服を着替えたいって言うから……」
「どこの駅?」
「坂……」
まともに視線を合わせられない。
「電車に乗って宮島口まで行って、それからフェリーに乗って……花屋を探したいって言うから……」
そうだ。
宮島に到着するとまず花屋を探して、それから陽菜乃はタクシーを拾って包ヶ浦海岸へと言った。
タクシーを降りたのはなぜか、海水浴場から少し離れた辺鄙な場所だった。それから陽菜乃は何も言わずに勝手に歩き進め……迷っている様子は一切なかった。
「そこで僕達と会った訳だね?」
周は黙って頷く。
「それで……その後、どうしたの?」
その時だった。
「彰ちゃん、ちょっと来て」
北条がやってきた。ひどく険しい顔をしている。
和泉はちらりと彼に視線を向けたあと、ようやく手を離してくれた。
「一応、人目のあることころでは敬語を話すようにね?」
そう耳元に囁き、彼は背を向ける。
ほっと安心すると同時に、力が抜けた。
ずるずる……と、背中を壁につけたまま、周は膝を曲げてしまった。




