ここは~広島~えーきービル~♪
その後もどう言う訳か陽菜乃は一言も口をきかなかった。
そして無言の内になぜか、広島駅で下車する。
どこへ行くつもりだろう? 周も黙って彼女の行く方向へと進んでいく。
広島駅の改札口は地上2階である。改札を出ると向かいに駅ビルがあり、特に若い女性が喜びそうな洋服を扱う店がずらりと並んでいる。
しかし陽菜乃はそれらに眼もくれず、階段を降りて1階へと向かう。
北口はバスターミナル、南口は路面電車の発着場となっていて、どちらかというと賑やかなのは南の方だ。
どうやら南口へ向かっているようだ。
駅構内の1階には主に土産物や食料品を扱う店が並んでおり、この暑いのにチーズケーキ専門店には行列がずらりとできていた。
そう言えば姉はチーズケーキが好きだったな。
今度、向こうに行く時は買って行ってあげよう。
そこを通り過ぎた頃、陽菜乃が足を停めた。
そして向かいからあらわれたのは、なぜか寺尾だった。
周は咄嗟に陽菜乃の手から手を離した。
彼はどうも近眼らしい。遠いところからこちらを見ている時、眉間に皺を寄せていた。
そして開口一番、
「なんでお前がここにいるんだよ?」
「悪いか?」
「俺は、陽菜乃に話があるんだよ!! とっとと帰れ!!」
予想はしていたが、寺尾は大きく手を振り、電車の方を指さす。
「藤江君が一緒じゃなきゃ、何にも話さないから!!」
陽菜乃が腕に抱きついてくる。
寺尾は一瞬、驚きを顔に浮かべたがすぐに、嫌な笑いを浮かべる。
「そうか、まぁ……それもいいかもしれないな」
ついてきな、と彼は顎をしゃくる。
どこへ行くのかと思えば、カラオケボックスだった。駅前の雑居ビルの3階。
わざわざ歌を歌うために途中下車させたのだろうか。
しかし寺尾はリモコンもマイクも手にしなければ、何か飲み物を注文するでもなかった。
テーブルを挟みソファに向かい合って腰かける。
寺尾はテーブルの上にスマホを置いた。
「見ろよ、これ」
なんだ? 周は画面をのぞきこんだ。そうして。
「……えっ」
思わず声が出るほど驚いた。
写真に映っていたのは、陽菜乃と沓澤だ。
二人は向かい合って座っており、どちらも笑顔である。場所はおそらくどこかのレストラン。何となく見たことがある店のような気もする。
「お前、あんな鬼瓦の何がいいの?」
寺尾はニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。
陽菜乃はすっかり血の気を失っていた。
「男の趣味、悪いよな~……しかもなに、藤江周と二股? 可愛い顔して、やることえげつないよな……」
寺尾の言うことを理解するのに、周の脳はしばらくフル稼働しなければならなかった。
いま『二股』って言ったか?
俺は別に水城と付き合っているという認識はないんだが。
「もちろん、黙っておいてやるよ。こっちの条件を飲めば……な」
元々、あまり好きになれないタイプだとは思っていた。
気が合わないとか、そう言う問題ではない。今ハッキリと認識した。
こいつは最低だ。
むしろ大嫌いな人間の部類に入る、と。
「これ、どうやって手に入れた写真だよ?」
周の問いに対し、寺尾は得意げに答える。
「そんなこと、教えられる訳ないだろ」
「……あのさ、一つ聞いてもいいか? この写真が何だって言うつもりなんだ?」
「はぁ? 何言ってんの、立派な浮気現場の写真じゃねぇか!! あの教官、あんな不細工のクセに美人の嫁さんと、ガキがいるんだぜ?!」
ああ、確かに奥さんは美人だったし、子供は父親そっくりだった。
「これを見てそんなこともわからないなんて、お前、刑事志望のくせに笑わせるなよ」
周は真っ直ぐに相手の顔を見つめて言った。
「その台詞、そっくり返してやるよ」
「なんだと?」
「こんな写真が証拠になると本気で思ってるのか?」
「どういう意味だ!!」
ここがカラオケボックスだったのは幸いだ。大声を出しても誰も訝しがることはない。
「教官が学生と二人だけで飯食って、何が悪いんだ」
「おかしいだろ、どう考えたって!!」
「そうか?」
周の余裕が気に入らないのか、寺尾は貧乏ゆすりを始める。
「沓澤教官が家族で、ここで食事してるところに、偶然、水城が居合わせた可能性だって否定できない。奥さんと子供が映っていないのは、たまたま席を外していただけかもしれれない」
「そんなの詭弁だろうが!!」
「俺はあくまで可能性の話をしてるだけだ」
寺尾は反論の術を探しているようだ。ギリギリと歯ぎしりしながら。
「だいたい、それを言うなら俺だって、たまには人妻と2人きりで飯食いに行くことだってあるぜ?」
「……なんだって?」
もちろん『人妻』とは姉の美咲のことだ。
義兄を含め3人で食事に行く約束をしていても、義兄の方に急な仕事が入ってキャンセルになり、結局姉と2人だけで予約した店に行ったこともある。
もっと遡れば、実の兄が生きていた頃だって2人だけで外で食事したことなんて、何度もある。
事情を知らない他の人にしてみれば、周と美咲が2人でいるところを見たら、夫婦かカップルとしか思えないだろう。顔立ちは良く似ているけれど。
「もっとも、人妻って言っても……俺の実の姉だけどな」
周は思わずニヤリと笑ってしまった。
「裏にある深い事情を知りもしないで、パっと見ただけの状況で判断するのは……愚かなことだぞ」
どの単語に反応したのか、寺尾がさっと気色ばんだ。




