第十二話【眠れる森の少女】
頬を突かれる感覚に意識が覚醒に向かう。
寒い。衣服はぐっしょりと濡れていて下半身は水に浸かっていた。水の落ちてくる音から察するに、どうやら落ちた先に地底湖があり、奇跡的に岸に打ち上げられたようだった。
水から上がり、全身の状態を確かめるために立ち上がると、左腕と右胸部に酷い痛みが走り嘔吐する。出てくるのは喉を焼く胃液だけ。腹筋が引き締められて肋骨に圧力がかかり、さらに激痛が走る。
周囲は暗く、何も見えない。こんな滝の裏から落ちたような洞窟の中にが差すわけがない。そうなれば助けもない。つまり待ちうけるのは死だけだ。
「死んで・・・たまるか・・・!」
兄妹をあんな寒い場所に残したまま死ぬわけにいかない。首元に突き付けられた鎌に抵抗するためにもう一度立ち上がる。
歯を食いしばって激痛に耐え、ベルトに取り付けたポーチを弄ってライトを取り出して周囲を照らす。
「なんだ・・・これ?」
背後には不気味な地底湖が広がり、正面には岩の壁が聳え立っている。しかし、そこには異様なものがあった。それは、錆のない鈍い金属光沢を放つ丸みを帯びた扉だった。
歩き始めるが、幸いにも足に痛みはない。だが普段は感じることのない衝撃が胸を突き、叫びたくなるほどの激痛が走る。
「はぁ・・・はぁ・・・」
この先に行けば、ここから出られるかもしれない。どうにか扉の前まで進み、手を伸ばす。
「いっ・・・」
腕の自重による痛みで声が漏れる。そして掌が滑らかな金属な扉に触れた。その時だった。
突然、扉から青い光が放たれ、声に似た何らかの音声が発せられる。
『jhsdぁbヴすdhfぁいさllbhjsばkjsbfづらだ』
確実に人の声。だが、何を言っているのか全く理解できない。扉の上部から横一線の光が上から下へと走り、身体を照らされる。
『dさlf;じゃl...脳波スキャン完了、言語野解析...完了。言語特定完了...日本語。DNA解析...完了。外地放逐人種の確立99.3%、基準値クリア、保持細菌・ウイルス特定、ワクチンの作成...可能、作成開始、対象への投薬の準備開始。負傷発見、生命の維持...可能。内部への侵入を許可。セキュリティレベルを引き下げます』
すさまじい早さの音声が流れ、扉に光の亀裂が走り、割れるように開いていった。
『お待ちしておりました。中へお入りください』
扉の中は光で満たされ、洞窟内とのギャップが激しい。恐怖が体を固めるよりも先に、この状況が変わる可能性が足を突き動かした。
「どうにでもなれ・・・」
鬼が出るか、蛇が出るか、できるなら蛇であってほしい。なぜなら蛇であれば殺せるからだ。
廊下を進むと、もう一つ扉があったが近づくと勝手に開いた。中は部屋になっていて巨大な管と機械が壁を覆っていた。
部屋の中心にあるのは中身が漆黒とも思えるほど黒いカプセル。それに近づくと、背後から光が差した。
『言語変換完了。出力開始』
振り返ると宙に映像が映し出されていた。
『このパターンの映像を君が見ているということは、試金石であるばずのガーディアンを倒さず、あまりにも長い時が流れた末にに、ここへ辿り着いたということになる。流石に装置が持たないから、君に全てを託させてもらうことにするよ』
映し出されている男は溜息を吐き出し、頭を掻いた。
『そこに黒いカプセルがあるだろう? その中にいるのは私の娘だ。私が生きている今現在、その子は追われている。だから未来に託すことにした。頼む、その子を連れて地上へ向かって欲しい。そして外の世界を見せてやってくれ』
頭を下げた男は顔を上げると、今までと違う優し気な眼差しで口を開く
「一緒にいてあげられなくてごめんよ。こんな世界に縛られず、広い世界で幸せに生きてくれることを祈っている。娘をよろしく頼みます」
映像はそこで途切れた。
『カプセル内の空間解凍を開始します』
コンプレッサーから空気が抜けるような音が背後から聞こえ、振り返ると漆黒のカプセルが徐々に透き通っていった。
中には白い服を着た長い金髪の少女が眠っていた。思わず見とれていると不意にカプセルが開いた。
少し間を置いて朧げに少女の瞼を開く。
「あなたは・・・誰?」
俺の存在に気付いたのか、か細い声で問われた。
「・・・」
頬に涙が伝った。声が、その声があまりにも似ていたからだ。もう聞くことができないと思っていたサクラの声に。
「どうしたの? 何で泣いているの?」
「何でもない・・・俺はミナトだ。お前は?」
「私は・・・あれ、思い出せない・・・何でだろう?」
少女は首を傾げ、身体を起して周囲を見渡す。
「変な服。ここ、お父さんと私の秘密基地だけど、何であなた・・・ここに居るの? お父さんのお友達?」
「お前の父親なんて知らない。ただ、さっきお前の父親だっていう奴の映像が流れて、お前を地上に連れていけと頼まれたが、俺は地下に行かなきゃいけない。悪いがお前に構ってる暇はないんだ」
「地上に? 外の世界は人が住めないくらいに汚れてるから出ちゃダメなんじゃないの?」
少女は驚いた様子でよくわからないところに食いついてきた。
「はぁ・・・? 何言ってんだ。汚れちゃいるが、人が住めねえ程じゃねえよ」
「身体が腐るんじゃないの?」
「腐らねーよ。外から来た俺が言うんだから安心しろ・・・それより、ここから出た・・・ぐっ!」
痛みに耐るのも限界が来たのか、足が震えて崩れ落ちた。
「ど、どうしたの、大丈夫?」
少女はカプセルから降りると、俺の体を激しく揺する。
「がっ・・・ばか、揺すん・・・な・・・骨が折れてんだよ」
少女から揺すられたのがとどめとなったのか、そこで再び意識が途絶えた。
***
さっきとは対照的に温かい感触が頬を伝う。
「お前・・・泣いてるのか?」
「何でお父さん居ないの? お父さんと、お母さんに会いたい・・・!」
泣いている子どもの相手をしている暇はない。だけど、その声で泣かれては無視できない。痛みを覚悟して身体を起すと何故か痛みが消失していた。
「痛く・・・ねえ?」
「ぐすっ・・・治した」
目を擦り、鼻を啜り、少女はそう答えた。
「はぁ? お前、ケガを治せるのか?」
希少な治癒能力者の処置を受けたことはないためよくいわからないが、これが治癒能力の力なのだろう。
「うん・・・治せる。でも、お父さんとお母さんは人に言っちゃダメって。だから誰にも言わないで」
「それは構わねえけど、お前はこれからどうするんだ? 俺は四十九層に行かなきゃなんねえし、お尋ね者だから地上にはもう戻れねえ。だから、お前を地上に連れてくことはできないんだ」
父親と名乗る男にこの娘を託されたが、それを引き受けることはできそうにない。
「四十九層? 四十九階に行くの? だったら私も連れてって! お父さんとお母さんが家で待ってるかもしれないから」
「家? いったい、お前の家ってどこにあるんだよ?」
「五十階。転送機ですぐだから一緒に行こ?」
ありえない。人類のディーオスでの到達点は三十六層までのはずだ。五十層なんて言葉が出るということが意味するのは唯一つ。この少女は普通じゃない。
だが、この少女の言うことが本当であれば一瞬で四十九層どころか、五十層に到達できる。
ならば、迷うことはない。
「わかった。じゃあ、一緒に行こう」
少女は小さな掌で俺の手を掴み、立ち上がるように促す。
「行こ?」
「あぁ」
「こっち!」
手を引かれて立ち上がり、少女の後についていく。
どうやらこの少女は、人懐っこいようだ。どのような人生を送ればこのような警戒心の薄い性格になれるのだろうか。
スラムの子どもであれば、瞳は濁りいつでもナイフを抜けるように警戒しているはずだ。
少女は扉らしきものの傍に付けられた機械に手を添えるが、首を傾げて何度もペチペチとそれを繰り返す。
「あれ、開かないや」
「じゃあ、俺が入ってきたところから出よう」
「裏口から?」
「あれは裏口だったのか」
踵を返して少女は裏口へと向かった。
「あれ、何で明かりがつかないの?」
「俺が持ってる。ほら」
「なにこれ? あ、光った」
少女にライトを渡し、裏口から出た空間を照らす。
「何で・・・全部無くなってる。プールは? エレベータも無い」
上を見ると微かに明かりが漏れていることから、夜は明けたらしい。
「よし、これを付けて待ってろ」
少女の腰にベルトを巻き、頭上を見上げる。高さは約十メートル。壁伝いに走ればいけないこともないだろう。
「ふぅー・・・ウィング・ドレス!」
風魔法で身を包み、身体能力を格段に上昇させる。勢いに任せて壁を駆け上り、頭上の穴に到達した。
周囲を警戒するが、オートマタは居ないようだった。
「よしっ・・・」
倒された車両を漁ってカーボンワイヤー、電子フック、そして小型巻上機を手に戻った。
巻き上げ機を太い木に固定し、電子フックを少女に投げてベルトに装着させる。
「付けたか?」
「う、うん!」
「上げるぞー!」
少女はワイヤーに引っ張られて湖の中に入り、腰まで浸かったところで身体が浮き上がっていった。
ただ巻き上げるだけでは岩に引っかかってケガをしてしまうため、直前のところで巻き上げ機を止めて手を掴んで引っ張り上げる。
「ケガは無いか?」
「うん、大丈夫」
滝の裏から出て車両を起そうとしたが無理だったため、必要な物品を取り出していると再び地響きが発生した。
急いで車の中から這いずり出るが、すでにあのオートマタは目に見える所まで迫っていた。
「おい逃げろ!」
「え、何で?」
「見りゃわかんだろ!」
一人であれば逃げ切れる。だが少女を連れては不可能だ。手を引いて滝の裏の穴に向かおうとしたが、少女は立ち止ったまま。
「お、おい!」
声を掛けても少女はきょとんとしている。そして、息を深く吸い込んだかと思うと大声で叫んだ。
「ティラン!」
俺の手を振り払った少女は迫りくるオートマタに駆け寄るとその鼻の先に抱き着いた。
オートマタは立ち止ると、少女に甘えるような様子を見せている。
「は?」
ひとしきり少女はオートマタを撫でると、指示を出した。
「ティラン、私家に帰るからお父さんが来たらそう伝えておいて」
青色に光る瞳が点滅すると、少女はもう一度撫でてオートマタから離れた。
「ティラン、これを起してあげて」
ティランというオートマタは車両に近づくと頭で押して、車両を正しい向きに戻してくれた。
あまりにも意味が分からない光景に絶句していると、少女が戻ってきて手を繋いできた。
「これでいい?」
「あ、あぁ・・・」
車両に乗り込みカギを回すと、無事にエンジンがかかった。
「で、お前が言ってた転送機ってやつはどこにあるんだ?」
「この川を下って森を抜けたところ」
「わかった。じゃあ行くか」
オートマタに見送られ、車を発進させる。
森を抜けた場所。それは誰かがすでに探索をしているはずだ。そんな場所に転送機なんてものがあれば今頃その情報は広まっているはず。
この少女の正体が大まかに見えてきた。もしこの予想が正しければ、この少女にとって最悪な状況となる。
「おい、お前じゃ呼びにくいだろ。なんて呼べば良いんだ?」
「わからない、自分の名前が思い出せないんだもん。お父さんに会えばわかるはずだから、それまでは好きに呼んでいいよ。でも、かわいい名前が良いーな」
ここは第七層。肉食獣も生息しているため、十歳そこらの少女が一人で生きていくどころか、出歩くには余りにも過酷な環境だ。生きるか死ぬか、そんな中に居ることを理解していないのかのような能天気ぶり。予想がどんどん現実味を帯びていく。
「じゃあ・・・」
一瞬、サクラの名前が頭をよぎる。だが、この少女はサクラではない。ただ声が似ているだけの少女に過ぎない。
「花・・・ハナはどうだ? 呼びやすいだろ」
「ハナ・・・うん、素敵!」
ハナは笑う。この森を抜けたとき、この少女はどのような表情を見せるかを想像するのは、あまりにも容易かった。