再会
酷い目に遭った、というのは実際その通り。危うく命を落とすところだった、というのも確かな事実。まあそれでも気にせずにいこうと決めたのだから、アースは確かにもう気にしていないのだが。
簡単に作った土の寝床から体を起こし、アースはふわ、と大きなあくびを溢した。まだ少しだけ眠気の残る頭だ。目を擦り、空腹感に合わせて布袋からパンと干し肉を出していく。火を通すほどでもないと判断したのか、アースは出した端から口に放り込み始めた。味わうという行為に興味はないのか、それともさっさと食べて出発したいのか。アースは連れもいないためマイペースに手早く、食事を済ませていく。
さて、と食べながらアースは思案する。今日は次の村に行き着くつもりである。ただ、自分が討伐したスライムの変異個体に関してどう説明すればいいのか、そもそも説明をするべきなのかアースは迷っていた。まず変異個体はそんな簡単に発生しない。発生した時点で目撃情報をギルド……冒険者ギルドが収集し、特別な依頼として告知する。そして3パーティーほど集まるのを待ってから討伐を許可する。そうしないと魔石だけ集めて変異個体を倒したこともないような詐欺師が横行してしまう。
つまり何が言いたいのかというとアースは変異個体を討伐したはいいがそれを証明することは難しいし、むしろ証明しようとするほど疑われてしまう、なんて状態だということだ。
アースは記憶を失っているが心根はまっすぐだし、人並みに傷付きやすい。自分の実力もある程度だが理解していて、それわ否定されるのはあまりに嬉しくない。
はあ、と溜め息を吐いてアースは考える。この魔石はもう適当な店で売っ払おうかな、と。アースに使い道がない以上それは正しい判断とも言えるだろう。
「片付けよし、荷物よし、武器よし、装備よし、体力は不安があるがま、大丈夫だろ。方角は適当に……んじゃ行くか」
荷物をまとめ、装備の確認をすると大地属性の魔法で起こした土をもとに戻し、アースは立ち上がった。体を伸ばし、眠っている間に固まってしまった筋肉をほぐしていく。
眠気は動いていく内に晴れていき、アースは覚めた目を軽く見開いた。明るくなった空に目が眩んだような気がするがそれも些事。今意識を裂くべきなのは、大気を切り裂くような音に対して。
「っ、朝っぱらから暇なのかぁ?! このクソ野郎!!」
大剣を抜くと同時に振り抜き、荷物を地面に投げ捨ててアースは相手と睨み合った。
全く嬉しくもない再会。一度自分の命を狙った相手との二度目の対峙。輪転する刃を首筋に向けた相手。
けれとストームはアースに攻撃を凌がれたことに特に表情は変えず、弾かれた輪転牙を手元に戻してから目線を合わせた。
眉根を寄せるアースと、無表情のストーム。正反対の表情の二人が向かい合う。そして、苛立ったアースが纏ったのは火炎属性の魔力。焼き尽くし、破壊し尽くす紅蓮の炎。空を染めんばかりの火力にしかし、ストームは一切動じなかった。
「……」
ゆらめく魔力は大地。静かに冷えた瞳の奥で、ストームは決意を抱いていた。深く重く、暗い決意。ストーム一人が背負うには本来重すぎるもの。本当ならストームが負わなくともよかったもの。
アースはそれを不気味に思う。何も知らないアースにとって、ストームの雰囲気まで蝕むその決意は理解できないものだ。名前も知らない、理由もわからない。それなのに命を狙われる。恐れるというよりも忌避したい。なぜ? 自分が何をした? アースが何をした? アースのことを召喚した彼らが、何をした?
一体全体、あんなにも人を殺しておいて何をしたいというのだ? 人の命を奪う理由が、人を殺していい根拠が、どこにあると言う?
何も知らない相手から命を狙われる理由など、アースには思い当たらない。アースに殺される義理はない。
ではどうするのか? アースが彼に対してできることは?
「……なんで、俺を殺そうとするんだ……!」
それはただ一つ、敵と見做すこと。命を狙ってくる敵。アースのことを召喚し歓迎してくれていた(?)人まで殺した敵。この楽しい世界に留まることを許そうとしない敵。
アースの火炎の魔力が地面を舐めた。怒りとも困惑とも、焦りとも違う感情が空を焼く。
それと同時にアースの火炎の魔力が紅蓮から、蒼白いものに変化した。
「そんなもの、お前が悪魔だからだ」
けれど、どこまでもストームは無感動だった。魔力は草木を焼きはしない、物質的なものではない蒼白い魔力と炎は、ただ魔力的なものを破壊する力を孕む。けれど肝心の使い手自身はそれを知らない。
あの時は魔力の残りも少なく退くしかなかったストームも、無知の相手と対峙するなら問題はない。さらに言えばここは平原だ。原始ノ者の系譜、全ての大地で生きるストームにとって平原は一番動きやすい。
ストームの静かな殺意が大気を満たす。大地の魔力は火炎に対し干渉もしない対極の魔力。水のように消し去ることはない。風のように強めることもない。ただ対極に位置するがために、干渉しない。
「『蒼キ焔』!」
「『母なる大地』」
馬鹿のように魔力を詰め込んだアースの特殊火炎魔法に対し、ストームは大地による防御魔法で対抗。魔力に関わる全てを焼き尽くそうとする蒼白い炎は土壁も大地の防壁も構わず飲み込んでいくが、しかし隆起した地面だけは飲み込めない。魔力を帯びず、命のみを宿す地面は、浸透している魔力以外に魔力を帯びない。
ストームを守護している地面の壁に炎を通そうとして、アースは配分など考えずに魔力を注ぎ込んだ。
蒼い炎はその性質的に存在するだけで使い手の魔力を消費する。指向性を持たせることは他のどの魔法に比べても突出して簡単だが、燃費が悪すぎる。常人なら、普通の人間なら10秒も待たずに魔力が、MPが枯渇する技術なのだ。
しかしアースの魔力は人間種ではあり得ないほど量がある。エルフ種と比べても遜色ないほどの魔力量。そして、記憶が存在しないにも関わらず保持している、知識。
高出力で放つ蒼白い炎に自分の魔力を喰らわれ焼かれながら、それでもアースは大剣を手放さなかった。物理的な力が足りていない。炎が焼くのは魔力のみ。土壁に魔力を侵させてはいるが、生命力に満ちた物質へ魔力を浸透させるのは、無理とは言わずとも難題だ。
「鬱陶しいんだよ! 悪魔ってさぁ、俺が一体何をした? 俺が誰を殺した? 俺は何を壊した? お前に比べりゃ、俺なんか全然マトモだろうがよぉ!!」
怒鳴り散らし、アースは大剣に炎を纏わせるとそのまま土壁へと飛び掛かった。蒼白い炎は大剣の刃を焼く。けれど剣は壊れない。頑丈と言うレベルをもはや通り越し、不壊属性すら付与されていそうなもの。
それが土壁に、ぶち当たった。
土壁が剣の与えた衝撃に耐えきれず、呆気なく崩れ落ちる。
しかし土壁の向こう側にストームは居なかった。
「ふざけたことを……」
アースの頭上から落とされる、呆れたような意味を孕む言葉。無感情な溜め息。降り下ろされる刃。風が、大気が、割れた。
「ふざけてるのはお前だろうが、クソ野郎」
パタパタと手の平を伝って血が流れていく。ラムたちのくれたアームインナーが汚れてしまうな、とアースはどこか冷めた思考で考えた。
無意識のような行動だった。アースの手が掴むのは刃。輪転牙を素手でアースは掴んでいた。
「俺は悪魔じゃない。俺は誰も殺してない。俺はお前を、俺からはお前を、殺そうとしたことなんてない」
ストームが掴まれた刃を引き、構え直す。
「せめて、名前で読んでくれよ」
けれどアースは構え直さなかった。
「俺は悪魔じゃないんだ」
地面に大剣が落ち、蒼白い炎が消えていく。
「俺は、アースだ」
ストームがアースの首を斬りつけようとすると同時に、何をしている、と言う怒声が響いた。一瞬の静謐と、それを引き裂く爆音。
ストームはその瞬間にアースの首元から刃を引き、自分の姿を黒い巨鳥へと変えた。そのストームの胸元目掛けて、鋭いナイフが飛んでいく。
ばさ、と羽音がして黒い巨鳥と化したストームは空へと飛び去った。平原に残されたのはアースと、どこかからか駆けてきた、青年だけ。
取り残されたアースは手のひらと首筋から血を流しながら、ただただ黙って泣いていた。
喜べない再会。




