不思議な空を見た、その日
空が色を変えたその時、俺は目を覚ました。
騒がしさの理由を知りたくて、眠い頭を無理に引きずって。
「……空が」
本来の色を奪われたような、混じり合った青色。それが空に満ちて、雲を払って、そして融けてまた色を変えていく。
綺麗で、不気味で、俺は思わず窓から離れられなくなってしまった。目を離すことができない。……あの青色が、欲しいなあ。下らないことと解ってはいたけれど、どうしてもそう思わずにはいられなくって……窓を開けて、空に向けて手を伸ばした。
青い、青い、不思議な空。溶けて消えてしまいそうな悲しい色。もしもこの色を取れるなら……俺は、自分のことを幸せ者だと思えるかもしれない。誰よりも、何よりも。
「……綺麗だなあ、触ってみてえなあ……」
そんなことを呟いてる内に、空の色は水色に呑み込まれて、元の色に染まり直ってしまった。少し残念な気がする。
頭を掻いて、溜め息を吐き出す。
そろそろ良い時間かもしれない。爺さんに顔出して、昨日のことを少し話してみよう。
「はざまーす」
「ん、起きたんだね。おはよう」
良い匂いがする方向に歩いていって扉を開けたら、案の定爺さんが居た。真ん中にあるテーブルに、旨そうな皿がいくらか載ってる。
「昨日はちゃんと、夕飯は食べたかな?」
「え、夕飯……あー……わすれてた……」
ごめんなさい、と頭を下げたら気にしなくて良いよ、と優しく言われる。
「ただ、皿だけ返してほしいかな。持ってきてくれるかい? あと……何があったのかは解らないけど、顔を洗ってくるのをお奨めするかな」
「へ?」
「水は井戸に行けば貰えるよ」
よく解らないけれど俺は爺さんに言われるがまま、夕飯の乗ってた皿とかを返して、家から出て井戸の前まで行く。……あれ? なんか、ちっさい奴ら……色んな子供が居るぞ?
「あれ? お兄さんだあれ?」
「ん? きのーはいなかったよな?」
「あれー? おにーさんだれ?」
「お、おおう……?」
一気に声を掛けられて、少し戸惑っちまう。
この村に住んでる子供達なのか? わちゃわちゃしながら俺の周りに寄って来た。
「……名前は、なんですか?」
子供達の中で、一番年長っぽい……鱗に覆われた体を持つ子供が話し掛けてきた。なんか、見た目に似合わない落ち着いた感じで。
取り敢えず名前……本名を名乗るのはだめだろ? じゃあなんて名乗るかな……仕方ない、上の名前だけ教えるか。アルーダ、ってな。それなら大丈夫だろ? 多分。……いや、簡単な偽名を使った方がいいのかな? こう呼んで欲しい、みたいな。つまり渾名みたいなの。
……よく解らないけど、偽名を名乗っとこう。えーと、俺の名前の最初と最後の方を取って、間に長音入れて……。
「あーっと、俺はアースな。一応冒険者、かな」
「アースお兄さんぼーけんしゃなのか! じゃあきのうくらいにここに来たのか?! きづかなかった!」
「ぼうけんしゃ……じゃあそのほっぺの黒いのはノロイのあと? あーすおにぃさんすっごーい……」
「アースはオジイとおなじくらい強いのか? なあなあ、どーなんだ?」
「ブキはっ! アースはブキは何つかってるのっ!?」
お、おおおう! 聞き取れねーぞ!
しかしながら子供たちが俺の、そんな心の中を解る筈もなく……。
「ごめん、聞き取れねぇ! 一人ずつ喋ってくれねーか?」
仕方なく俺の頼みに子供たちは首を傾げたけど、年長っぽい彼が解ったと言って順番に話し始めた。つったって、全部簡単な質問なんだけどな。
「ぼーけんしゃならきのーきたのか? アースお兄さんは」
「あー、うん、そうだな。昨日の朝方に来たんだぞ」
「アースはオジイと同じくらいつよいのかっ?!」
「え、あ、いや……そのオジイってのが誰かは解んねぇけど、たぶん弱いと思う、ぞ? まあ気になるなら今度、そのオジイってのと模擬戦するかな」
「ブキは何つかってんだ!?」
「おおう……ええとな、それなりにでかい剣を使ってるな。たぶん頑張れば素手でも行けると思うけど」
大体返事し終えたところで最後に瞳に好奇心を湛えた子が俺に質問してきた。
ただその言葉は俺の予想の範囲外で、しばらく隠しながらも混乱することにはなった。
「目のしたからでてほっぺとおって首まである黒いのはノロイのあとなの?」
「ほっぺ?」
「あれ? 知らないの? ほら、あーすおにぃさんの目のしたから首くらいまで、なんだか黒いせんがあるよ?」
「……線????」
驚いて、確かめなきゃと思って、仕方なく桶に水を入れて自分の顔を見てみることにした。そして桶に溜まった揺れる水面を見た瞬間、簡単な詠唱が俺の脳裏に浮かぶ。
少し考えてから、唱えてみることにする。詠唱の意味を考えるに、そんなに威力とかがあるようなものじゃなさそうだし。
「透き通れ、旧き盟約の下に光を写せ……『水鏡』」
結局、その詠唱は水を操った。一応攻撃に使うようなものじゃないっぽく、ただ水が鏡のように透き通るだけの魔法だったようだ。ただ、それを使った瞬間に子供たちからわああっ、と歓声が上がる。あれ? これそんなに珍しいもんだったか?
でもそんなのを問いかけるより自分の顔を確かめる方が、俺の中では先だった。あの子の言ってた事が気になって気になって気になって……だから、俺は水鏡に自分の顔を写す。
「……何だこれ」
思わず溢れたのは、自分の顔を案外渇いた疑問を混じって撫でた声だった。
大きく容姿が変わってた訳じゃない。瞳の色とかが変わってたわけでもなく……ただ、左目の下から黒色の線が出ていた。頬の辺りで一度、二度曲がり、まるで雷が落ちたときのような形で首の辺りにまで線が落ちていく。……まるで俺が放ったあの術みたいじゃねぇか。黒光雷だったか……嫌な感じがする。
「……アースさん?」
そうやって自分の体に起きた変化に呆然としていた俺を現実に引き戻したのは、やっぱり年長の彼だった。一様に心配そうな顔をする皆を代表するみたいな形で、俺の方に一歩近付いて。
ふと、俺は笑いそうになってしまう。
「ああ、悪いな。大丈夫……ちょっと驚いただけなんだ」
俺は皆より年上なのに、なんたって皆を不安にさせるようなことをしたんだろう。年上としては酷いことだよな。
「悪いけど、この痕のことは俺にもよく解かんねぇや。昨日はなかったから、寝てる間かあの空が出てた間に何かあったんだろうな。でも呪いじゃあない……と思いたいかな」
説明したら、あの子はそうなんだ、とほっとしたような顔をして微笑んだ。俺としても良かった。
「んじゃ顔洗うわ。戻らなきゃいけないからな」
「そっか……」
「じゃあ後で遊ぼうぜ、アース!」
「後でブキ、見せてくれよ!」
「おにぃさんとおはなし、したいな」
少しくすぐったくて、俺は思わず頷く。
「じゃ、昼食べたらここに来てくれっか? 俺も来るからさ」
皆が嬉しそうな顔をして頷くのを見て、俺も頷いとく。そのまま軽く手を振ってそのまま井戸を離れた。
ま、何にせよ飯を食わなきゃ始まんないからな。
今日の朝飯は何かな。ちょっとの期待を持って、俺はあの家に戻った。
子供達との出会い